混ぜるな危険、発達特性

私はどんな季節も、天気も、すきな人間です。

よく「梅雨とか最悪」とか、「冬はいいけど夏は嫌」とかいいますが…、わたしはどんな時もすきです。

わたしが表現するとしたら、「ジメジメしていると◯◯だからいやだなぁ」とか、「汗はかきたくないなぁ」になります。

わたしはこのように、側から見れば同じような意味合いでも、表し方が違うというような、ニュアンスを大事にしています。そして、表現の仕方にこだわりがあるようです。

わたしの中で、たいせつにたいせつにしていればいいのですが、他人に押し付けるかたちになる場合があります。

それは、どんな時でしょうか。


わたしは、「衝動性」がやや高い傾向にあります。

これは、ADHDの特性のひとつといわれています。

自分のなかの‘ニュアンス’と他者の表現が異なる場合、違和感を感じたり、腑におちなかったりします。

もし、相手の表現が自分と異なったことで、傷つけられたら、少しイヤです。

身近な人が、わたしと異なる表現をしたとき、「こうじゃないのか?」と衝動性が抑えられない。こういってほしい、とか、こういうふうでしょ、とか…

このように、‘こだわり’と‘衝動性’が並列すると、攻撃的な状態になるようです。もう少しマイルドにいうと、🦔になります。


ほかの、‘混ぜるな危険’をとりだしてみます。

わたしは以前のnoteに、「熱しやすくて冷めやすい」という記事を投稿しました。

簡単にいうと、人間への、異性への興味・関心が高い傾向にあるようです。

いわば‘好奇心’が高い状態にあるようです。

しかし、これが単純に「仲良くなりたいな〜」だとか、「この人って、どんなひとなんだろう♪」という感情ではないところが、とても厄介だと感じています。

「わたしに対してこの人はどのような愛情をくれるだろう」
「わたしがこの人のなか(内側、心)に入り込んでみたら、どんな景色がみえるだろう」
「この人のいろんな側面がみたい」

うまく表現ができないし、ニュアンスがちがう気もしますが、わたしの好奇心はこのへんです。

これだけならいいんだ‼️
わたしには‘衝動性’くんがいます。

あとは、お察しのとおりです。

実は、この内容は‘嫌われたくないという感情’の表れであるとの見方もあります。

嫌われたくないから愛想を振り撒く。
愛想をふりまく以上、同じように愛してもらいたい。せめて、よく受け取ってもらいたい。

一見、今回のnoteと内容が異なるように感じると思います。でも、同じような事柄を、切り取り方を変えて書くと、嫌われたくないという内容になる側面を持っています。

このように、もしかしたら、違う表現になるかもしれない。だけど、今このとき感じたものを、これからもnoteにしていってみたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

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