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もう会えない実家の夏の思い出は今日も夢の中にポーッと輝く🎐

帰省というものをしなくなってから数年経つ。
それまでは毎年今頃、帰省していた。
35年間かそのくらい毎年毎年。

初めの頃はとても若くて一人だったから、特急列車の指定席も予約せず、座れなければ何時間もデッキに立っていても全然平気だった。

車窓の景色はいつも同じ。だんだん山の中に入っていって、トンネルをくぐるたびに緑が深くなっていく。いくつもの町を通り過ぎる。空が真っ青で、雲がモクモクしていて、それもいつもの景色だなと思う。実家の庭にはどんな花が咲いているのか目に浮かぶ。サルビア、マリーゴールド、ニチニチソウ‥。
着いたらお昼だ。そうめんかな。スイカもあるかな。お土産喜んでくれるかな。考えることもだいたいいつも一緒。

実家の最寄り駅は観光地だから、お客さんでごった返している。観光客の間をすり抜けて実家に向かうというのが、なんだか誇らしくて嬉しかった。
自宅までは、緩い坂をどんどん登って行く。帰ってきたぞ〜。頑張ったんだぞ〜。話したいこといっぱいあるぞ〜。小さい声でぶつぶつ言いながら、時には何か歌いながらずんずん歩いた。

いつまでも舗装されていない細い道を入って行く。大きなお宅の板塀の脇にタチアオイが咲いている。これももうお馴染みの夏の風景。
とうとう実家が見えてくる。風鈴が鳴っている。
いつもの夏の花が咲く、夏の庭がある。

あれ?早かったね。
玄関のドアに着く前に、開け放した茶の間の窓から母が声をかける。
ただいま。
おかえり〜。
みんないる。
実家の匂いがする。蚊取り線香とか、甘い果物とかいろいろ混ざった、実家の夏の匂い。床がひんやりしている。エアコンはなくても、とっても涼しい。外から見ると暗いのに、中は明るい。
大人と子供が何人も住んでいる活力みたいなものに満ちた明るさ。

そうめんだけど、いいよね。夜はご馳走だよ。
と母が言う。
おっ、ご馳走って何だろうな。
と父が言う。
兄弟達は、どんどん大人びていくみたい。
おばあちゃんも涼しげな服装で、二階から降りてきていつもの優しい顔でおかえり、と言う。

なんでもないことだった。とっても普通のこと
だった。珍しいことも、びっくりするようなこともあるわけじゃなかった。
でも、全部なくなってみると、それは夢の中のことみたいに、美しくて、温かくて、尊い不思議な光に包まれた世界だ。なんだかポーッと輝いている。

時が流れただけのこと。毎日を一生懸命生きながら、みんなが少しずつ変わっていっただけのこと。
それぞれの人生をしっかり全うしてるだけのこと。
でも、あの頃は、あんな夏が当たり前のようにずっと続く気がしていた。
あの板塀やタチアオイは、まだそこにあるのかもしれない。変わったものも変わらないものもある。

私は、今も時々、うたた寝から覚めて寝ぼけていると、そこが実家で、母が台所で何か作っているような気がして、今夜のご馳走って何だろうなんて思ってしまうことがある。
帰省したその日の晩御飯って、いつも何だったけ。
なぜだか、そこは忘れている。

帰省という言葉が、気ぜわしくて、面倒くさくて、でも嬉しくて、くすぐったくて、好きだった。
夏の帰省のあの当たり前の景色が、遠い思い出に変わるとは、人生はなんて長いんだろう。🌻

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