文章修行中

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ガザの子 アリーの物語

報道によると、ガザでは毎日大勢の子供たちが殺されている。彼らには名前があり、彼らの物語がある。 Day 1  僕の足にお父さんが名前を書いてくれました。お父さんとお母さんの名前も書いた。僕が誰かわかるようにするためです。みんな書いています。妹はキリー。まだ見つかっていません。沢山の手や足を見ましたがキリーはありませんでした。 Day 2  太陽が崩れて壊れたコンクリートに反射してみんなを照らしています。僕たちは太陽とかくれんぼ遊びをします。鬼は太陽。太陽に照らされないよう

    • 石牟礼道子 『タデ子の記』 を読む

      昭和18年に16歳で道子は代用教員になりました。そして敗戦の21年3月に戦災孤児であるタデ子を拾い、自宅に連れ帰り50日間面倒をみました。道子18歳でタデ子15歳(17歳かもしれない)でした。簡単に言えば『タデ子の記』はその顛末を記したものです。わずか17頁に敗戦直後の日本がどういうものであったかを、50日間のタデ子のことを、50日の果てにタデ子が道子の元を去っていたこと、そしてタデ子を引き留めることのできなかった道子の惨めさ、小ささが記されています。 読みながら、タデ子

      • ヴァージニア・ウルフ著      『自分だけの部屋』   を読みながら        『わたしのペンは鳥の翼』          『十六夜橋』『椿の海の記』石牟礼道子 『掃除譜のための手引書』       ルシア・ベルリン    を読む  

        最所に本文を書いている私は男性である。 ヴァージニア・ウルフは1928年10月ケンブリッジ大学のニューナム女子学寮とガートン女子学寮の女子学生から、『女性と小説について』の講演を依頼された。彼女は二日間考えたあげく、このテーマで何か述べるとすると、“女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たねばならない”ということを述べることしかできないという結論に至り、『自分だけの部屋』というタイトルで話をした。と言えば簡単に講演が済んだかというと、そういうことはなく、講

        • テラに祈りを込めて     短歌集    夏の間に短歌というものを始めて書いた。1日1作 ツィッターに書いた

          #短歌 初めて作ってみる。難し! 寺山修司の10代初めごろからの習作のすばらしさを実感。  たくさんの 茄子の青持て 汗ぬぐう 友なる風呼ぶ 白き手ぬぐい #短歌 2作目  友の声 こだまする峠 遠く見て 去り行くわれの 残る黒影  彼にとって、私は本当に友だったのか? 遠い昔、お互いに同じ道を歩んでいるつもりだったのに。 #短歌 3作目 希望持ち 錆びたナイフを 砥ぐ我に 危ないから やめろという君  何をしようとしたかは詳らかにできない。自分の

        ガザの子 アリーの物語

        • 石牟礼道子 『タデ子の記』 を読む

        • ヴァージニア・ウルフ著      『自分だけの部屋』   を読みながら        『わたしのペンは鳥の翼』          『十六夜橋』『椿の海の記』石牟礼道子 『掃除譜のための手引書』       ルシア・ベルリン    を読む  

        • テラに祈りを込めて     短歌集    夏の間に短歌というものを始めて書いた。1日1作 ツィッターに書いた

          ガダルカナルの鐘           ツィッターで綴った小説

          1. 8月29日深夜。ぼろぼろの軍服を着たおおぜいのカオナシが踊り狂っている。 うつつか夢か、夢かうつつかの鐘ならし、ピンピンシャンシャンドンガラガ、ピンピンシャンシャンドンガラガ 「信夫起きろ。俺を呼んだろう。」カオナシが私を起こす。叔父か? 2. 踊りと賑やかな音は続いている。 「父親と同じだな。腑抜けた顔をしている。」父は25年前に10歳年下の叔父の所に行った。叔父の写真がないので、顔は知らないが戦死したのは24歳の時。軍刀を差した小隊長として。「あの軍刀は俺のでは

          ガダルカナルの鐘           ツィッターで綴った小説

          至福の烙印 を声に出して読む そして、AIなんていらないとと強く思う!      クラウス・メルツ著 白水社刊

          至福の烙印 クラウス・メルツ ヤーコブは眠っている 本来なら長編小説  どこにでもある家族の日常が簡潔な文体でつづられているが、父が癲癇持ち、母が鬱、弟は水頭症、兄は医者のミスで名前が付けられる前に死亡。叔父は変わり者で盗んだ飛行機で事故を起こし死亡。家族の日常と書いたが、それは死と生と病(やまい/障害)が隣り合わせで住んでいる日常である。こうした日常での主人公ルーカスを詩とも思える文で語っている。クラウス・メルツ以外ならとても長い長編小説となったかもしれないが、クラウス

          至福の烙印 を声に出して読む そして、AIなんていらないとと強く思う!      クラウス・メルツ著 白水社刊

          そのい人の名は祈(いのり)  その3 父の書斎 母の裸婦画

          私は祈(いのり) 父の書斎 母の裸婦画 伯母が去ってがらんとした部屋の中で、祈は子供の頃見た絵のことを考えていました。絵は2点ありました。「あの絵は私を産んで亡くなった母を描いた絵に違いない。」と考えていました。そしてお腹の子に話しかけました。「私はあなたを産んで必ずこと手で抱くから心配しないでね。」 祈(いのり)は子供の頃、子供たちは父の書斎には入らないように言われていたのに、父の作った緑釉湯呑を見たくて、誰もいないときにこっそり入ったことがあります。父が穴窯で作り出

          そのい人の名は祈(いのり)  その3 父の書斎 母の裸婦画

          その人の名は祈(いのり)   その3祈の娘は Lavender's Blue が好き  (祈の本当の母)

          8月6日朝、広島に原爆が落とされた音を私も母のお腹の中で聞いていました。母は広島が全滅らしいと聞くと、広島に嫁いだ小さいころから仲の良かった友人の静子が気がかりで伯母が止めるのもきかず、翌朝電車に乗って広島に向かいました。途中、広島からくる列車は大やけどやけがをした人で超満員でした。電車は広島まで行く前に運転中止となり、母はお腹の私に声をかけながら長い距離を歩いて市内へ向かいました。途中で避難してくる人の群れは悲惨でした。おお火傷で焼け残った衣服が身体にくっついていたり、ぼろ

          その人の名は祈(いのり)   その3祈の娘は Lavender's Blue が好き  (祈の本当の母)

          その人の名は祈(いのり)  その2        祈の娘 父はピアノの音

          私は祈の娘 私は敗戦の年の12月に生まれた。父は朝鮮半島の人で2月に召集令状がきて入隊したきりで消息がない。生きているかも死んでいるかもわからない。写真もないからどんな顔をしているかもわからない。父は母が私をみごもったのも知らない。父と母は正式に結婚していないので戸籍には母と私の名しかない。母は父が作曲したというピアノソナタを、産まれたばかりの私に「これがあなたのお父さん」と言って弾いて聞かせていた。そのピアノの音が父である。 母は私を妊娠した時に、祖母にすべてを話してど

          その人の名は祈(いのり)  その2        祈の娘 父はピアノの音

          その人の名は祈(いのり)  その1      モーツアルトピアノトリオ 

          その人の名は祈(いのり)。 1925年4月に治安維持法が制定され、大正デモクラシーで高まりを見せていた民衆運動に影を投げかける中、祈(いのり)は7人兄弟の末っ子として瀬戸内海に程近い小村で生まれました。その時、父親はすでに54歳で陶芸家をしながら高等女学校で音楽教師をしていていました。母(ひさ)は会津の出身。ひさの父親は旧会津藩士で西郷隆盛ら薩摩藩士との西南戦争のおりに戦死しました。その残された手紙に、『この戦いには戊辰戦争の復讐で行くのではない。再び愚かないくさをしなくて済

          その人の名は祈(いのり)  その1      モーツアルトピアノトリオ 

          #森は考える   人間に寿命があるように、地球にもほかの生物にも寿命がある。そのことを森は考えている。 

          この森には樹齢が数百年を超える樹々が多い。寿命が尽きたはずの樹々も、根をしっかりはって大地を掴む。彼らは根と根を絡ませてネットワークをはり、水や養分を融通し立ち続ける。しかし永遠に生きるわけにはいかない。森にも寿命はある。大地は動く。森も動く。 樹々の中には樹洞を抱えているものも多く、そこを住みかとする生き物がいる。この森は生命にあふれている。フクロウもそこを根城にする。フクロウは森の主と言われているが、彼らは森の主は森であることを知っている。 いつも森の音に聞き耳をたて

          #森は考える   人間に寿命があるように、地球にもほかの生物にも寿命がある。そのことを森は考えている。 

          村上春樹 街とその不確かな壁     読むこととは共鳴することでもある それを短い言葉にする

           1 p8~13 遥か見る 君の肩抱く 陽炎の街  2 p14~17 君の視る 溢れる水と 高き壁  3 p18~21 獣呼ぶ 文字の記憶と 角笛の叫び  4 p22~27 透明の 手紙(ふみ)読む時間 影二つ  5 p28~32 時止まり 夢読みの読みし 古き夢  6 p33~36 写し夢 生身の我を 空にする 7 p37~44 壁 壁 壁 入ることを       出ることを 拒む 影のない街を 古き夢が語る 聞こえぬつぶやき  8 p45~54

          村上春樹 街とその不確かな壁     読むこととは共鳴することでもある それを短い言葉にする

          牟禰へ

          #牟禰へ いつか書くことができるか? 物語を書いてみたいと思い、ツィッターで書いてみた。しかし思い立てば書けるものではないと思い知らされた。書くことの膨大な訓練、多くの調査抜きにできることではない。経験のない私に書くために必要な訓練と蓄積が残された少ない時間でできるだろうか? 以下本文である #牟禰へ 1 茂った濃い緑の常緑樹のトンネルを抜けると淡く光る桜の里が開けていた。振り返ると小さな家の瓦屋根だけが丸く切り取られた絵画のように見えた。いつか必ず行こうと牟禰と約束してい