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私の少女漫画

 年季の入ったオタクなので、好きな漫画についてもつらつらと書いていけたらいいなと思っている。

 漫画と一口に言っても数え切れない程の作品が世の中にあるが、どのジャンルが好きかと問われれば少女漫画と答えるだろう。更に最近の少女漫画というよりかは、1980年代~1990年代の少女漫画が特に好きだ。母親や母方の親戚が漫画好きだったこともあり、物心ついた時からすぐ傍に漫画がある環境だった。母親たちが読んでいた漫画が、丁度その辺りの年代の少女漫画だった。
 ひらがなを読めるようになってすぐに漫画を手に取った。最初は文字を読めるのが楽しくて、ストーリーなどお構いなしにひたすら文字を読んでいるだけだった。小学校に上がると、会話の内容を理解出来るようにはなったが、やはりそれでも登場人物たちの細かい心の機微は読み取れず、ただストーリーを眺めてばかりいた。
 ストーリーの内面を読み取れるようになったのは中学生辺りだろうか。あのコマの登場人物の目線はこういう感情を表しているのかもしれない。あの台詞、あの空白はもしかして……と、やっと言外の情報を読み取ろうとする意識が芽生えたのだった。
 今でも時折その漫画たちを読み返すと新たな発見があったりもする。自身の物事の見方が変わったのかもしれない、と、ちょっとした成長に気づくことが出来る。

 そんなふうに小さな頃から傍にあり、何度も読み返している漫画の一つが、くらもちふさこ先生の作品だ。
 くらもち先生の漫画はとにかく繊細だ。登場人物の目や手、何気ない台詞すべてがその人物の感情を語っている。彼らを作り上げている線の一本一本に、くらもち先生の漫画に対する情熱が籠っている。読んでいてとても心地よくなってくる。
 くらもち先生が描くヒロインは「身近な女の子」といった印象で、思わず共感することが多い。先生の心の中に永遠の少女が住んでいるのではないかと思うくらい、ヒロインたちは子どもから大人になる間の、瑞々しい感情を抱いている。

「おしゃべり階段」のヒロイン、加南は天然パーマに悩んでいるごく普通の中学生の女の子だ。体育の先生に美容院でパーマをかけていると勘違いされ、叱られたことに傷つき、クラスメイトにからかわれることに怯え、一人ぼっちになってしまうことを恐れている。
 加南の親友として「粟ちゃん」がいるのだが、この子もまた身近にいそうなタイプの女の子である。ただし、あまり好きになれそうにはない側の子だ。
おそらく、加南と仲良くしているのは自分が引き立つからという思惑が少なからずあるように思う。女子生徒憧れの根岸先輩が、自身のストレートの髪を褒めていたことを加南に嬉しそうに報告する。運動会のリレー選手に推薦されるよう、それとなく加南を誘導する。文化祭でお化け役になった加南を「似合うわよ」と大声で笑う。加南に心から寄り添うことはしない子だ。
 3年生に上がってクラスが分かれると、粟ちゃんはあっけなく加南との親交を絶ってしまう。根岸先輩と付き合うことにもなるのだが、後に割合短い期間で別れてしまったらしい、ということを加南は本作のヒーローである線から聞く。
 加南の立場から見るとやはり好感は持てないのだが、現実では大体の人間が「粟ちゃん」なのではないかとも思う。中学時代、本当に友人のためを思って行動したことがある人間はどれほどいるだろう。私自身、思い返せば大体は自分のことしか考えてなかった気もする。クラスが分かれて疎遠になってしまった友人も沢山いるし、憧れの人と近づけたものの、些細な仕草に幻滅してそれまでの感情が急に冷めてしまうこともある。
 そして同時に周囲の視線を気にして、一人ぼっちにならないよう必死になっている「加南」も、心の一部にしっかりと存在していた。
 おしゃべり階段の前半は、そんな脆くて必死な中学生の生き方が鮮やかに描かれている。

 高校は線や友人とは異なる学校へ入学することになるのだが、幸いにも「光咲(みさ)ちゃん」という素敵な親友が出来る。光咲ちゃんは顔立ちがどことなく線に似ていて、そして加南に好意を抱いている「とんがらし」こと真柴くんが好きだ。(髪が真っ赤なので、加南がこっそりとあだ名をつけた。)
 この真柴くんの魅力に気づいたのは大学生の頃だったように思う。それまでは加南と線の恋路を邪魔する奇抜な人、という印象であまり好きではなかった。しかし久しぶりにおしゃべり階段を読み返してみると、何故か真柴くんが途轍もなくいい男になっていた。
 加南たちよりも年上で、実力のあるバンドのボーカルという時点で、まずかっこいい。そしておしゃべり階段の番外編で「まゆをつけたピカデリー」というストーリーがあるのだが、そこで真柴くんは高校入学前に苦い恋を経験している。かっこいい。
 大学生になってオタクに磨きがかかってきたことと、単純に年を重ねてものの見方も変わってきたこともあって、真柴くん、こんなにかっこよかったのか……と彼が描かれたコマを見つめながら打ち震えたのだった。光咲ちゃんが好きになるのも納得である。そんな光咲ちゃんは加南に嫉妬することもなく、親友として物語の最後まで寄り添うことになる。彼女もまた素敵な女性だ。
 真柴くんは煙草を吸うのだが、その姿がこれまたかっこいい。くらもち先生の別の作品「銀の糸 金の針」の大ちゃんにも通じるところがあるのだが、多分くらもち先生はこれらの漫画を描いた当時、煙草を吸う男性に魅力を感じていて、その感情をペン先に込めたのではないかと個人的に思っている。そう思えるほど、彼らが煙草を吸う時の表情や指先が色っぽく、魅力的なのだ。

 長々と語ったように、くらもち漫画はヒロイン、ヒーローだけでなく、その周囲の人物も非常に味わいがある。ちょっと嫌な人、いい人、どっちでもある人、そんな人間の有り様を先生は丁寧に掬い取って漫画に落とし込んでいる。紙の上にリアルな人間関係がしっかりと存在していることも、私がくらもち漫画を好きな理由の一つだ。
 そういった登場人物一人ひとりに目を向けることが出来るまで、未熟な私は多くの年月をかけてしまった。ただ、こうやって長年一つの漫画と向き合いあれこれ考えることが出来るのも、ありがたいことなのかもしれない。

 また少し間を置いてから「おしゃべり階段」を手に取った時、新たな気づきがあればいいなと思う。


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