見出し画像

なぜ宇宙「人」なのか

ずっと疑問に思っていることだが、なぜ宇宙「人」なのか。宇宙「犬」でもいいし、なんなら宇宙「ナメクジ」でもさしつかえない。それは、人間が人間基準で考えているから、もっといえばその基準でしか考えられないから。

人間が、自分たちと同じような基準で考えるから、見たことも聞いたこともない、ましてや存在しているかもわからない宇宙の生物に、手と足と顔を生やしている。

ひとは、とかく人を最高の存在と考えがちである。他の生物の頂点に君臨すると勘違いしている節がある。生物の系統樹を見ても明らかである。

見にくいが、ヒトは、一番端に書かれることが多い。分岐を正しく表記すれば、ヒトとチンパンジーの場所を入れ替えても、本来は問題がない。だが、人が一番端に描かれて、特に不思議もない。

人間が作る世界だから、人間基準になるのは仕方がないと思う。ただ、所詮人間のレベルを超えることはできないことを心得ておくべきだとも思う。

動物番組でよく、猫や犬の感情に大変詳しい専門家がいらっしゃるが、怪しさの塊だ。この頃、評論家が多いので、僕もひねくれ評論家とでも名乗ろうか。話がそれたが、たとえ、猫や犬の感情が分かったとしても、人間の域を出ない。つまり、人間が理解できない感情を犬猫が持っていても、人間には分からないから、把握できない。怒るよりも高尚な感情であっても、起こるという枠組みに整理し直される。それが悪いと言っているのではなく、所詮動物の理解はその程度だと心得ておくべきだと思う。

人間中心に考えるから、テレビ番組では、視聴者にこびて、サルに服を着せて、芸をさせる。猿回しという伝統芸もあるから、僕が言えることではないから、人間がしてほしいように動物を操作するのはおかしい。一旦、人間中心の考えをしているとメタ的に捉える必要がある。

まあ、これは、人間と動物(宇宙生物も含む)だけではなく、人間同士でもいえる。所詮自分の枠組みでしか理解できない。だからこそ、いろいろな経験をして、枠組みを柔軟に広げる必要があると思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?