生きることとと死ぬことについてよく考える。 生きること なんで生きるのだろうのかの理由は、大きく2つに分けられると思う。消極的な動機と積極的な動機である。 積極的な生きる動機 大好きな趣味がある、推しが尊い、仕事が楽しい、未知の経験をすることに喜びを感じているなど自分が心から楽しんでおり、そのために日々頑張っている場合がこれに当たるだろう。すべてに当てはまるが、好きなことは未来にすることになるため、つまり、明日であれ1年後であれ予定になっているため、その未来のために生
いえ、余り憂鬱ですから、逆まに世の中を眺めて見たのです。けれどもやはり同じことですね。 芥川龍之介『河童』の一節。 逆さまに世の中を見れば、見方は変わるが、それでもやっぱり現実は変わらない。 如何にもこうにもならないときもある。 言われてみればその通りだが、河童のセリフであったから、なんか心に響いた。 逆さまに世の中を見て、なにか気持ちが軽くなればいいのにな。
言語化できないもどかしさがある。 昨年に見学させてもらった屠畜場で覚えた感情を、いまだに言語化できていない。 日々他の生物の命をいただいていることへの感謝とか生々しさへの気持ち悪さではない。 そんな高尚な感情ではないが、なんて表現するべきか分からない。 この前行った、大阪中之島美術館のモネ展で感じたことをうまく掲揚できていない。 光の微妙な違いをうまく捉えている描写をうまく表せる形容詞がありそうだが、出てこない。 語彙力の問題なのか、表現力の乏しさなのか。 本を
目が悪いと、基本的には悪いことしかない。 裸眼で綺麗な景色を見られないし、メガネ代またはコンタクト代がかかる。 メガネの方が安く上がるので、メガネでお金の計算をすると、 20歳からメガネをつける。 メガネひとつ10000円。 2年間同じメガネをつける。 80歳まで生きる。 40本必要になり、40万円かかる。 無駄な費用である。 それはそうなのだが、唯一いいことがある。 それは、世界との繋がりを弱められることである。 目が悪いので、基本メガネをつけているが、ふと
やっぱり人付き合いはまだまだだな
最近、つくづく思う。 人付き合いが難しいと。 異性だとどこまでガツガツいくべきなのか。 当たって砕けろ精神が欲しいと思いつつも、気にしてしまう自分もいるし。 自分に合わない人との接し方もむつかしい。 その人が悪いとか自分に非があるとか、そういうことではなくて、感覚が違うだけだと思う。 そのずれあっている感覚をどのようにうまく擦り合わせていくか。 ほんとう、人付き合いってむつかしいなって。 まだまだ経験が足りないと。 特に、失敗した経験が少ないので、もっと自分の
『レインマン(Rain man )』(1988) 利己的な青年と重度のサヴァン症候群の兄の出会いと、兄弟愛の変化を描いた映画。考えさせられる一作である。 トム・クルーズの演じるチャーリーは、ディーラーを営むが、排ガス規制のために経営が苦しくなる。その折、父親が逝去。 遺産目的で故郷に帰ると、ほぼすべての遺産が、重度のサヴァン症候群の兄の信託財産として運用されていることを知る。ここで初めて自分に兄がいることを知る。 遺産を取り戻すために、兄を施設から強制的に連れ出す。
自己紹介で、ずっと気になっていることがある。 〇〇と言います。 こういうことをしています。 趣味は、 特技は、 よろしくお願いします。 言い方が変ではないのかといつも気になっていた。 自己紹介の前に、こういうことを言っていくと決まっていれば別だが、そうでなければ会話としておかしい。 急に、趣味は、と言われてもなと思う。 毎週釣りに行くほどの釣りバカです。の方が伝わるし、自然である。 自己紹介の形式的で形骸化された感じが、ずっといけすかなかった。 かといって、自分
この前、初めて全編を見た。子どもの精神的な成長を見事に描いている。 さつきとめい。 母親が療養のために入院することになり、考古学者の父とともに空気のきれいな田舎に引っ越してきた小学生6年生のさつきと四歳のめい。 病院のカレンダーを見る限り、2か月足らずの出来事ではあるが、2人の成長、特にめいの成長が丁寧に描かれている。後述するが、その中で象徴的に書かれていた、どんぐりの変化が一番心に残った。 最初の方は、さつきの言動と行動を真似するだけだった。 一人で遊んでいるときに
先日、ライフスペース事件について知った。 自己啓発セミナー団体の「ライフスペース」の男が、頭をたたく「シャクティパット」という治療法で病気を治せると喧伝していた。これを信じた男が、家族を治してもらおうとホテルに連れ込むものの死亡する。この団体は、この死亡しミイラ化していく男性を生きていると考えて、数か月ホテルに置いていた。通報により警察が発見したために、死亡したと主張した事件。 詳しくは知らないが、日本では、呼吸の停止と脈拍の停止と瞳孔の拡大を基準に、「医師のみ」が死亡を
醜さの中に現れる美しさ。 夕焼けが綺麗とか、青々とした緑が空に映えているとか、そういうあえて言えば純粋な美しさだけではなくて、汚い中に少しだけ見えるような、本当に輝いているのかもわからないような美しさもある。 さつまいもを掘っていて、泥まみれの中ふと綺麗な石を見つけるような、儚い美しさのようなもの。 この間、『パンズラビリンス』を見て、そう思った。 内戦後のスペインで、生き延びようと必死にもがく少女オフェリアの物語。 内戦で父親を亡くしたオフェリアは、母親と共に再
今、日課として投稿するために、書くことを考えている。 同時に、とてつもない睡魔に襲われている。一秒でも早く寝たいが、この連続投稿をやめるわけにはいかない。 どうにもこうにも行かない。 ただでさえ、最近書くことがないのに、この半分寝ている状態では出てくる言葉も引っ込んでしまう。 眠たい状態に任せて、普段思っていることを少しばかり。 大学周辺を、夜遅くに通ると、夜風で酔いを醒ましている人がいる。 微笑ましい光景なのだが、たまにつぶれている人もいる。歩道を汚してくれてい
私の母は、アルファベットを知らない。正確には、ABCまでしか分からない。 このことを知ったとき、いいことを知ったと思った。 知らない事実ではなく、こうしたことを知らない人もいるのだと。 世の中にはいろんな人がいるものだと子供の頃から、なんとなく感じていた。 親戚は何かと結婚で拗れたり、父は暴力を振るってきたり。 こういうことを書いていると、本当に大変な子供人生を送った人に失礼になるとは思うが、続けさせていただく。 以下の話を聞いた時、正気の沙汰では無いと思った記憶
会社を調べていると、いくつか引っかかるときがある。 年間休日を数字で示していないとか、給料が、なんでやねんてくらいひくいときとか。 一番ネックなのは、固定残業代が含まれているときである。 おいおいおい。 プラス45時間がマストかよ、って。 週2日休んで月8日。国民の休日が全くない6月だと、出勤日は30-8=22。 毎日2時間残業しても何も出ない。つまり、毎日10時間労働が基本になる。 いくら行きたいと思っても、こうなると話が変わってくる。 働いたことがないので