射殺された逃亡犯から犯罪者について思う事

盗難車で暴走した犯人が警官に射殺された事件で、犯人が「余命宣告」を受けていた病人だということが発表されました。こちらの記事ですね。

昨年6月に警察官をひき殺そうとする殺人未遂で指名手配された未に逮捕、別の車上荒らし事件で再逮捕という凶悪犯ぶりでした。この記事で
・勾留停止を決定した裁判所
・「礼儀正しくて」と語る関係者
は断じざるを得ないと考えました。

まず裁判所。犯人が治療を必要だと判断したまでは正しいことです。裁判を受けさせ様々な見解を引き出させることは、細かいようでも集積していくことで凶行を防ぐ仕組みの整備に役立つというのもあります。そのために治療を受けさせ延命するのは正しい判断と言えますが、なぜ釈放まで致るのか理解不能です。勾留施設内でこの手の終末医療を受けさせる枠組みが無いのかはわかりません。が、警察官をひき殺そうとするような凶悪犯を釈放して、その後再犯するリスクが無いか考えられなかったのかが疑問です。

このような凶悪犯が「入院したい」と言ってきたとして、一般の病院が受け入れられると考えたのでしょうか。病院からすれば入院中に他の患者とトラブルを起こしそれこそ殺害とかまでされたら最悪なのに、わざわざこの凶悪犯を受け入れてくれる病院があるのかを考えたのでしょうか。勾留施設内での医療という形を採らなかったということは、つまり一般の病院に受け入れて貰う前提だったのでしょう。

勿論今の我々は「再犯した」という結果を知った上での非難であるわけですが、裁判所が再犯性についてどのように判断したのか。我々のような凡百からは一線を画すプロがどのように判断したのかその内容を知りたいところです。

次に「礼儀正しくて」と語る関係者。この件に限らず「ヤクザは礼儀正しい」という話はよく聞きます。その話を真に受けて憧れたのか「任侠もの」などというジャンル名も聞きます。自分から言わせれば「まず犯罪をするな」であり「正しいと思うことを何故合法下でできないのか」と詰問したいです。結局合法下で行おうにも「ルールが面倒くさい」「得られる報酬が不満」といったところが関の山でしょう。

根本的な話として、犯罪というのは「他人の人権を踏みにじる害悪or踏みにじりかねない予備群」のまとめです。それに手を出している人間の「礼儀正しさ」など、浅ましい逃げ口上に他なりません。免罪符もいいところです。法や社会基盤の追いついていない前時代であればともかく、様々な形で社会基盤が整ってきている現代においては「何故合法下でできないのか」というのは絶対的な問いです。警官をひき殺そうとするわ車上荒らしはするわ、そういった行為で世の中に与える害や恐怖は、小手先礼儀正しくしていたところで到底埋められるものでないというのを理解できないのが不思議でしかありません。

犯罪者側にも言い分はあるのかもしれませんが、犯罪に手を染めたことのない自分の立場としては言わずにはいられませんでした。何かございましたら遠慮なく下のコメント欄から送っていただければと思います。日常用の趣味も交えたごった煮のツイッターの方でも構いません。忌憚なく意見をいただければと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?