「バナナの皮を踏むと滑る」は事実なのか
「バナナの皮を踏むと滑る」というのは、事実なのか?思い込みなのか?
マリオカートとかで、バナナの皮を踏むとスリップする。
こんなことから、私たちには「バナナの皮を踏むと滑る」というのが常識として刷り込まれているのではないだろうか。
だが、これは事実なのでしょうか?
普通に生活してて、道端にバナナの皮が落ちていて、踏んで滑って転んだ経験のある方はどれほどいらっしゃるでしょうか?
つまり、「バナナの皮を踏むと滑る」はただの思い込みの可能性はないか?
身の回りの思い込み
バナナの皮の件にとどまらず、私たちの周辺では、思い込みがあふれているだろう。
そして、その思い込みが、あたかも事実であるかのようにとらえられている。そんなことが、多々あるのではないだろうか。
例えば、
学生が就職活動で着るスーツは、ブラックの無地で、シャツは白無地であるべき。いわゆるリクルートスーツを着るべき。
こんなのは完全な思い込みである。
採用担当の立場になったとして、
ストライプ等が入ったスーツをオシャレに着こなしていて、筋の通った発言をする学生
と
いわゆるリクルートスーツを着ていて、発言がちょっと頼りない学生
の二人がいたら、前者を採用するだろう。
何がそのような思い込みを生じさせるかは様々な要因がありそうだが、私たちは知らず知らずのうちに不要な思い込みに支配されている。
自分自身の思い込み
身の回りだけでなく、自分自身についても、
思い込みで知らず知らずのうちに自分自身に制限をかけ、縛ってしまっている。
そんなことが多数ありそう。
例えば、
家族がいるから、安定した収入の得られる職に就かなければならない。
こんな思い込みで自分を縛ってしまう。
自分軸と他人軸
上記の思い込み例に対して、例えば以下だったらどうだろうか。
家族を大事にしたいから、安定した収入の得られる職に就きたい。
この考え方のポイントは、
満たしたい価値観、即ち目的が、家族を大事にすることであり、
その目的を達成する手段が、安定した収入の得られる職に就くことになっている点である。
上記の思い込みの場合は、安定した収入の得られる職に就くことそのものが目的になっている。
この二つの考え方の大きな違いは、
目的が自分軸か、他人軸かの違い。
自分が満たされるためには、自分軸で生きることが必要(ただし、これだけでは十分ではないのだが)。
他人軸、これは自己犠牲である。自己犠牲では、なかなかモチベーションを維持するのは難しい。
なぜなら、自己犠牲は内発的動機ではないため、外発的な動機の有無によって充実度が変わってきてしまうからである(自己犠牲をするだけで満たされる!という方は別だが、少なくも私はそうではない)。
そして、その外発的動機は、常に増加し続けなければ、自分を満たし続けることはできない。
ちょっと非常識な解釈だが、こういうこと↓
モチベーションと動機の関係を数学的に表してみる|Yuki (note.com)
思い込みを外そう
思い込みに支配されている状態、それは他人軸で生きている状態ととらえることが出来そう。
逆に言えば、少しずつ、思い込みを外していくことで、より自分軸で生きていくことに近づけるのではないかって思った。
今の自分の常識が、本当に事実かどうかと考えることで、少しずつ外していけるのはないか。
「自己理解プログラム」での思い込みを外すワーク
私が受講している自己理解プログラムでは、①価値観→②長所→③興味 の順番で自分の内面から探し出し、これを掛け合わせることで「本当にやりたいこと」を見つけていく。
ここで、③興味を見つける前に、思い込みを外すワークをするステップがある。
思い込みを外すことが、本当に自分の内面から出てくる「本当にやりたいこと」を見つけることにつながるというのは、上述の内容とも重なり、理解できる。
ただ、このワークを③興味を見つける前に持ってきたのがミソだなって思った。
①価値観、②長所は、過去の経験などを深堀していくので、どちらかというと事実ベースで掘っていくのに対し、③興味は自分の感情ベースになる面が強く、最も思い込みに支配されそうな要素であると感じたから。
このプログラムで、この順序でこの思い込みを外すワークをもってきたことに面白さを感じるし、この思い込みを外すワークそのものが素晴らしいワークだって思った。このプログラムの流れを抜きにしても、このワーク単体で価値があると思う。
ところで、バナナの話は?
10年以上前のある日、道端にバナナの皮が落ちているのを発見した私。
「そういえば、バナナを踏むと滑るっていうの、本当なのかな?」
辺りを見渡す。
誰も私を見ている人は居ない。
私の中の好奇心が、溢れ出た。
そーっと、恐る恐るバナナの皮に足を伸ばす・・・。
”ズルっ”
まとめ
自分や、世間にあふれている常識はただの思い込みの可能性がある。
少しずつその常識が事実かどうか確かめていき、思い込みを外していくことで、「自分軸で生きる」ということに近づいていけるのではないだろうか。
バナナの皮を踏むと滑るという常識は、事実であることが確認できた。
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