[本]社会学感覚 4-7章


書誌情報&著者情報

前回の続きです。今回で1-7章までの社会学を概観する部が終わります。次回からはコミュニケーションやメディアの部に入ります。ただ、いったん科学計量学を片付けたいので、しばらくは『社会学感覚』の更新はしないと思います。

要約

4章は社会というより社会学の構成について書かれていた。
5章は社会学の方法論としてよく聞く類型化・理念型の説明がされていた。
6章は社会「問題」の設定方法と類別
7章はほとんど学史

4章

プロ倫が資本主義を「経済」の領域で閉じた説明を与えるのではなく、禁欲的プロテスタンティズムという「宗教」の領域からの説明を与えたことを引き合いに出して、おおよその社会現象は実はさまざまな領域からの影響を受けていることを示す。

・部分社会
そこで、個々の領域(部分社会)を個別に社会学的に分析にすることに関心が高まりハイフン社会学が生まれた(教育社会学や、医療社会学など)。こうした教育や医療といったものは、往々にして個人の問題に還元されがちだが、そこには社会が大きくかかわっている。ミルズの言葉が的確である。

「一人の人間の生活と、一つの社会の歴史とは、両者をともに理解することなしには、そのどちらの一つをも理解することができない」

・総合社会学
部分社会を論じることと並んで「全体社会」を論じることも重要であり、この全体社会に対する理論の構築がコント→JSミル→スペンサーの流れをくむ社会学の起こりとされる。マルクスの唯物史観をこの一環として理解できる。その後は、デュルケームの一派が社会学主義(=社会学帝国主義)の流れを形成するが失敗?

システム論
パーソンズが全体社会を「システム」として捉えようとしたことに始まる。正直パーソンズは読まないとと思ってずっと読んでない。多分、数理社会学とかモデルとかをやるなら理論的な背景として知っておいた方がいい気がする。
社会は生物の生体システムと以下の点で異なるためシステム論に修正が迫られた。
(1)部分の自律性
(2)非目的性
(3)構造生成性:社会はたえず変化しつづける構造生成的なシステム
(4)自己組織性:システムはシステム自体を創造する
*ブルデューがハビトゥスのことを「構造化する構造であり、構造化される構造」といったことに(3)(4)はなんか近い気がする

こうしたシステム論の短所を見て、
①マートンは社会学は一般理論を志向するのではなく「中範囲の理論」の立場を支持するようになった。
②ルーマンは新たなシステム論を提唱した。ルーマンは最近、新書がでたから読まないと、、、

5章

類型化:観察対象間に何らかの共通点を見出して、グルーピングする社会学の典型的な研究手法。一見すると、再現性が反証可能性がないと批判されそうなものだが、そこには論理的な基準が存在することに加え、類型化自体が理論的考察をすでにふくむところに特徴がある。

本書ではデュルケームの『自殺論』が例にとられていて
自殺が
(1)自己本位的自殺
(2)集団本位的自殺
(3)アノミー的自殺
に類型化されていることが示されていた。

理念型:簡単のために、対象をある一つの特性でもって表象すること。たとえばプロ倫では、本来は多様であるはずのプロテスタントという宗派を禁欲的プロテスタンティズムという一つの特徴に代表させ、その点において他の宗教と比較している。著者も「網羅的に収集したところで因果連関の解明をますます困難にするだけであろう。それよりもフリンジを鮮明にし、要素の特徴を整理して分析に用いた方が、かえって現実の因果連関に近づける。」としている。このへんは、機械学習において大量の変数がある場合に、主成分分析をしてある程度特徴を絞るのと似ているのかもしれない。類型化と同様に個人的には検証可能性の問題が気になるが、社会学の側もこの点に関しては自覚的で、「理念型が適当かどうかは、ひとえにそれでもってなにが発見できたかというプラグマティックな成果によること」としている

・理念型のバリエーション
①個性的(歴史的)理念型:歴史的に一回だけ存在した個性的な現象についての理念型。プロ倫の禁欲的プロテスタンティズム→資本主義の精神はこれにあたる.
②類型的(社会学的)理念型:一回性をもたない普遍的な社会現象についての理念型

・類型化の役割
①「差異」をきわだたせること
②連続したスケールにおいて現実を位置づけることである:ここでは〈健康〉と〈病気〉の類型化の例が出されていて、この二つの類型化が存在することで、その中間としての大なり小なり「障害」を抱えてながら生きている我々の現実が理解可能になる、といった具合。本文ではいかのようにまとめられている。

極端な理念型を構成することは、たんに差異をきわだたせるだけでなく、現実の事象を中間項として流動的にとらえることを可能にする。これによって、偏見や常識がもたらす硬直した二項対立を打破することが可能になる。

『社会学感覚』

③共通形式に注目すること:以下の形式社会学を参照

形式社会学:ここでいう「形式」とは、競争や徒党、分業といった人と人の関わり方の形式であって、ジンメルの「多数の諸個人が相互作用に入りこむとき、そこに社会は実在する」という社会観がもとになっている。
以下の内容がとても分かりやすい。

たとえばCD・ケーキ皿・硬貨・フリスビー・タイヤ……が、さまざまな目的と素材――つまり「内容」――をもつと同時に、「円」という共通の「形式」をもつように、軍事的目的であれ教育的目的であれ治療的目的であれ、それらの諸目的のために、人間は軍隊・学校・病院といった上下関係をもつ組織を形成するという共通の形式をとる。

『社会学感覚』

そして、形式社会学はこの意味での社会の形式を探る学問である

6章

・全体的認識→実践的志向:
社会学の始祖コントは、そもそも師匠がバリバリの社会主義運動家サンシモンであることから社会の再組織に関心があり(should)、マルクスもこの系譜にある。一方で、ジンメル、ウェーバー、デュルケムは「世紀の転換期」の世代と呼ばれ、アカデミックな理論的歴史的関心を持っていた(be)。
*ただアカデミックと言っても彼らが対象としたのは、自殺や宗教・都市などの「卑俗」とされていたものを研究対象とした。

・社会問題
(1)社会病理(2)アノミー(3)社会解体(4)逆機能(5)逸脱(6)レイベリング といったさまざま社会問題のフレームワークが提示され、(2)アノミー(3)社会解体(4)逆機能に関しては、アーレントのイメージがある。「システムによる生活世界の植民地化」ですね(1)社会病理(5)逸脱(6)レイベリングはフーコーのイメージがあって、そのマスコミのフレーミング効果も含めて権力性が潜んでいることが指摘されている。

「法律家にとって本質的な事は、法律がある特定のタイプの犯罪者をどのように見るのかを理解することである。社会学者にとっては、犯罪者が法律をどのように見ているかという事も、それに劣らず重要である」

『社会学感覚』

潜在的社会問題
マートンは、「結果が知られるようになってはじめて望ましくないと判断される社会状態(=潜在的社会問題)」を顕在化させる役割を果たさなければならないというマートンの見解。

7章

・学史

(1)「総合社会学」十九世紀後半のヨーロッパ

(2)「世紀の転換期の社会学」すなわち「形式社会学」「理解社会学」「実証主義」一八九〇-一九二〇年のヨーロッパ

(3)「シカゴ学派」二十世紀前半とくに一九二〇年代のアメリカ

(4)「批判理論」「知識社会学」一九三〇年前後のヨーロッパ

(5)「社会学的機能主義」第二次大戦後のアメリカ

(6)現代社会学 一九七〇年代以降

『社会学感覚』7章

・社会の本質:
社会のモデルが秩序としての社会(機械・建築・生物有機体)→動的な社会(闘争・コミュニケーション)へと変わっいった。最近だと、記号・言語などのモデリングもある

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?