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「命と別れる」ということ 「命を見送る」ということを考えた3月【KOZUKA 513 shop paper vol22 2021/3】

店に来てくれるお客様には、いろいろな事情を抱えている人は当然いる。

その人は、親御さんの介護のために実家のある南房総に定期的に訪れ、
そのたびに店に立ち寄ってくれた。
立ち入ったことを聞くことはしなかったが、どことなく元気がなかったり、疲れがにじんだりする様子が気になってはいた。

ある日、久しぶりに来店されたその人は、それまではいつも一人だったのが、お嬢さんと一緒だった。そして、それまでになく、どことなく明るく、すがすがしい雰囲気だった。

もちろん、立ち入ったことは聞かないけれど、
「きっと、よい見送りができたのだろうな」と勝手に想像した。
その人は、店のショップペーパーを気に入ってくれ、バックナンバーももらっていってくれる人だったから、ショップペーパーの中で少しでも元気づけることができたなら、そう考えたのだ。

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2021年の彼岸の入りは3月17日 中日が20日(春分の日) 彼岸明けは23日
「彼岸」は現世である此岸に対して 煩悩や苦しみ・迷いから解き放たれた悟りの境地「涅槃」を指すのだという 修業を積んだ者を除き死後にたどり着くのが一般とされる
 
小さなころ とてつもなく臆病な子どもだった
「死」ということに敏感で
それを連想させる「4」や「白」を極端に恐れていた
例えば毛布の表裏が模様地と白地だったら
白地が見えるように使うことができなかった
けれど 長い時間を生き歳をとった今
もうそんな自分ではないことに気づく
 
 ふりかえるひまもなく時は流れて
 帰りたい場所がまたひとつずつ消えてゆく
 すがりたいだれかを失うたびに だれかを守りたい私になるの
 わかれゆく季節をかぞえながら わかれゆく命をかぞえながら
 祈りながら嘆きながら とうに愛を知っている
 忘れない言葉はだれでもひとつ たとえサヨナラでも 愛してる意味
                      (中島みゆき「誕生」)
 
長い時間を生きるということは
それだけ多くの大切な人たちを見送るということ
それは避けて通ることのできない真理だということが あるとき突然わかる
その大切な人たちが 彼岸で待っているのだとすれば
過ぎていく時間をいたずらに恐れるのではなく
彼岸で大切な人たちに再び会うまでの貴重な時間をしっかりと生き
たくさんの土産話を蓄える時間にしたい そんなことをときどき思う
 
「息吹」は呼吸 地上のあらゆるものの生きている証 春の息吹を全身で受け止める3月
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ペーパーに込めた思いが伝わったのかどうかは分からない。
でも、書かずにはいられなかった自分がいる。

自分自身、30代だった弟を突然死で失い、癌に侵された従姉を失い、長い寝たきり生活の末に亡くなった父を見取り、まだまだ元気でいてくれると思い込んでいた伯母を見送った。
思えば、小学生時代の友人、中学生時代の友人、高校時代の、大学時代の、
社会人になってからも、「なんであいつが」と思う友人が病や事故や自死、様々なかたちで亡くなった。

生きるということは、生き続けるということは、どれだけ多くの命と別れ、見送っていくということなのだろう。ふと、そのことの重さと寂しさ、悲しみやおそれにとらわれる。だから、この文章は、自分自身に向けて書かずにはいれないものだった、と今は思う。

それにしても、中島みゆきの紡ぐ言葉はどうしてこうも、さらっとしてそれまでは聞き流していたのに、あるときふとその言葉に打たれ、立ち止まって考えさせられ、真理に気づかされ慰められるのだろう。

中島みゆきの歌詞評論を書きたい。(書かないけど・・・)

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