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ヒマワリのこと 「ひまわり」という映画のこと【KOZUKA 513 shop paper vol37 2022/06】

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ひまわりの種をどこかに植えたいな ふとそう思って買ってきた
ひまわりは 「日輪草(にちりんそう)」であり「日車草(ひぐるまそう)」であり 英語ではSunflower フランス語ではSoleil
「ひまわり」と名付けられた由来は大輪の花がいつも太陽の方角を向いていることから
朝には東を向き夕方には西を向く 日没後に起き上がり夜明け前にはまた東に向く
ただ これは成長が盛んな若い時期の 茎の上部の葉の動きだという
それにしても 陽の光を受けて輝く大輪の花は「太陽」と呼ぶにふさわしいと心から思う
 
『ひまわり』という映画があった
(1970年公開「I Girasoli」ヴィットリオ・デ・シーカ監督)
ウクライナのひまわり畑が舞台になったことで再認識されている映画なのだけれど 驚くべきことにこの映画は 伊・仏・ソ(旧ソビエト連邦)・米の合作映画だったのだ
「世界平和」・・・なんて気高く美しく そして儚く空しい言葉なのだろう
そんなことを考える日々
 
そして僕たちは3周年を迎えた
2019年6月3日 僕たちはCAFE&GUEST HOUSE「KOZUKA513」をスタート
房総半島を2度にわたって巨大台風が襲った2019年
新型コロナウィルスが猛威をふるい続けた2020年・2021年
そして今
順風満帆とはまるでいかなかった3年間だったけれどそれでもここまできた
支えてくださったたくさんの人々に ただただ感謝
 
明日はひまわりの種を蒔こう 梅雨明けの頃には大きく育っているだろうか
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映画『ひまわり』は1970年の公開。当時自分は小学生だから、封切で見たのではないだろうけど、比較的早い時期、中学生か高校生ぐらいのときに観たのだと思う。高校生の時が一番映画を観た時期だ。

『ひまわり』で印象的だったのは、1にソフィア・ローレンとリュドミラ・サベーリエワ、二人の女優の圧倒的な存在感。2に件のひまわり畑や広大なイタリア兵の墓地、シベリアの雪原(撮影地はカナダとか言っていたような気がする)などの映像の美しさ。そして3に、ヘンリー・マンシーニによるメインテーマの哀しさ、美しさ。

この後、映画音楽とよばれるものにはまった時期がしばらくあるのだけれど、そのきっかけになったのは『ひまわり』のヘンリー・マンシーニと、『冒険者たち』のメインテーマと主題歌「レティシア」(フランソワ・ド・ルーべ)なのだ。「レティシア」は主演のアラン・ドロンが歌っていて、これは『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘプバーンの「ムーン・リバー」ぐらいにレアだったのだと思う。


昔話になってしまうけれど、自分の故郷には「グリーンハウス」という映画館があった。1949年に開館した洋画専門館で、ロビーや客席のつくりがやけに豪華だった。1962年(自分の生まれ年)には「シネサロン」という小劇場も併設され、そちらは名作のリバイバル専門。
喫茶スペースがあり、厚切りのトーストがめちゃくちゃ美味しかった記憶がある。
確か映画評論家の淀川長治氏が「東洋一」だか「世界一」だか、絶賛した記事があったようなことを聞いている。(時代的にも伝聞のまた伝聞・・・)

中学生の自分は、封切ももちろん見たけど(ブルース・リーの『グリーン・ホーネット』が一番記憶に残っている)、安価だったシネサロンを毎週のように利用していた。確か週替わりの上映で、次週作を予約すると割引があったのだ。
早めに映画館に行き、厚切りトーストとコーヒーをゆったりといただき、名画を堪能し、帰りには次週の席を予約する。どんな中学生なんだ?
それでも、映画・喫茶を併せても1000円いかなかったぐらいだったと思う。もちろん、月に4000円なんて小遣いはもらってなかったから、親に懇願し祖母や伯母に甘え、なんとか映画代・コーヒー代を捻出していた。
あの時代に映画や映画音楽や一流と呼ばれる空気に触れはまれたことは、今の自分にも相当の影響を与えているのだと思う。

グリーンハウスは、1976年10月29日の酒田大火の火元となり、焼失・廃館した。自分は中学3年生。大火をすぐそばで見たし、風向きと風の強さいかんでは進学を志望していた高校が焼失してしまうのでは、と心配したあの日のことはいつまでも忘れることのできない自分史の1ページだ。




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