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みんなとは違う道

先日、小学校中学校が同じで、仲良くしていた友達と会う機会があった。
カフェに行ったり、写真を撮ったり、楽しめたのだが、別れて家に着くと、精神が削られていることに初めて気がついた。

ぽっかりと空いた穴がさらり執拗にえぐられたような感覚。
身体も疲れていて限界に近かった。

精神が削られたのは決して、友達のせいではない。
私の認識、覚悟が甘かったのだ。

その友達は、私たちが通っていた小学校中学校から内部進学で高校に進学した。
関西でもトップクラスの偏差値を誇る学校で、京大、阪大、神大を目指して勉強してる人も多いということは、私も以前から知っていた。

友達とカフェで話しながら、大学受験の話にもなった。
友達によると、やはり京大、阪大、神大を目指す人は多いらしい。
さらに、私の学年はたまたまなのか、賢い人が多いらしく、東大理IIIに合格するのでは、と言われるほどの人が4人ほどいると聞いた。

私は、とてつもなく大きくて深い後悔の念に襲われた。

なぜ、病気になってしまったのか。

そのひとつの事実が、私の人生を大きく狂わせた。

以前の精神科の診察で、「学校には行かないでください」と、はっきり言われた。
それから母が学校に電話で事情を話し、半年ほど学校を休学することになった。

学校を休学している私。
毎日学校に行って、授業を受けて、塾にも行って、勉強に励む友達。
わかっていたことなのに、その事実を突きつけられると息苦しかった。

もう、みんなとは同じところには行けないと分かっていたのに、見て見ぬふりをしていた。
受け入れたくなかった。
でも、病気になったということは、そういうことなのだ。
私の覚悟が足りなかった。

病気の私は、本当の私ではないとさえ思っている。
「こんなの私じゃない」と。
でも、🫖さんも言っていたが、病気の私も、健康だった私も、本当の私なのだ。
そのことを、そろそろ受け入れなくてはならないと思う。

以前詳しく書いたのだが、私は小学校受験を経験している。
小学校受験すると決めたのは私自身で、当時は「みんなと同じはつまらない」と思っていた。
だから、公立小学校では経験できない、可愛い制服で学校に行くことに惹かれたし、電車通学にも憧れたのだ。

みんなは遊んでいるけど、私は勉強している。
みんなは地元の学校に通うけど、私は制服を着て電車で学校に通う。
みんなは小学校受験を経験しないけど、私は受験する。
 幼い頃は、人と違うことをするのが、とても誇らしかった。

でも、病気になって思うのは、幼い頃の私は堂々としていたということだ。
胸を張って、みんなと違う道を歩いていた。
今は、それができない。
胸を張れない。
今は、みんなと同じじゃなきゃ不安でたまらない。
みんなと違う道を堂々と歩ける人になりたい。

友達と会った日の夜、そんなことを考えていた。





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