見出し画像

見えなかった社会の影 5

このテーマで投稿して、気がついたことがあります。それは、イジメによる自殺で亡くなった子供達全ての死が無駄ではなく、個人レベルではないけれど自然発生する社会貢献にかえているのではないか?人の死をバカにしていると思う方も、今回の投稿を読んでください。

社会貢献というと違うかも、しかし、小さな私には この言葉しか思い浮かびません。ごめんなさい。これは、自殺せず耐えて生き残った私だからであり、同じ方は皆 近いことを体験していると思います。

対岸の子供たちの一部の謝罪は、組織に伝えました。その時は、何もなく。しかし、大きく風向きが変わるキッカケが、謝罪した子供達の訴えの

異常性。

私の行動を追っかけている、それをネタにいじめる。

すると、追っている対岸の異様な空気が伝わってきます。組織から、少し我慢できないか、これから様相が大きく変わるかもしれないという事を詳しい内容で説明がありました。詳しく伝えると、傷つくので控えます。

予想だにしない公的な事で、対岸が崩れ出した。謝罪した子供達が王手に出るキッカケになったのでしょう。

卒業時まで軽いイジメはありましたが、比べ物にならないくらい。また、女子高へ行き、自然消滅しました。

これで、終わっと思いますか?終わりませんでした。社会に出て思いもよらないことが。

時は20代半ば。当時の彼氏とデート。一軒のセレクトショップへ。レジへ行くと店主が、大きく目を見開き 一言…

綺麗になった…綺麗になったね…。◯◯だけど憶えてる?あの時は、ごめんなさい。とても酷いことを君にした。本当に、ごめんなさい。

彼氏はニヤリ。私は、?え〜、待って…何?そう…。頭の中、真っ白でした。その時の私の反応は、記憶にない。褒められ・・・それも綺麗…そして、時間が経つのに謝罪をまたされた。え〜!!??? 彼は、謝罪してくれていた対岸の1人。

彼だけではありません。小さい同窓会時で数十年ぶりに行き会うと、綺麗になった〜!!!!???と驚かれ、挙句は、整形したか?と。

整形でなく、社会に出て自信がつき、もちろんいじめもなく、意思表示をしたことのより本当の顔・表情が出たのです。

学生時代のイジメへの謝罪は、続いています。久しぶりに会うと、謝罪の言葉を口にする方もいますし、酷く動揺し顔が引きつって話す方も。

そう、社会に出て常識をわきまえると、過去のことが必ず 思い出されるようです。家庭を持ち、子育てをします。そこで、我が子を育てるうちに、本人が親御さんから受けた教育、組織からの注意・警告が繋がり出す。

対岸でしたことが、思い出の中に残る。何らかのきっかけでプレイバックするのです。

たぶん 私と同級生、対岸にいた子供達=過去・現在・未来のイジメに遭遇する人々は、いじめがなくならない限り 、社会貢献や自身のしたことによる自然発生する社会的制裁から逃げられないと思います。家庭・学校…場所ではないかも。虐待も含め、死へと追い込んだものは特に。

世界からイジメや虐待が無くならない限り、弱い立場の方の対岸にいる人は、自分の記憶の中にある過去が、社会的制裁を加えます。これは、歳を重ねる程、増します。

何より報道でいじめを取り上げるたびに、文字で残るたびに。自然に問いかけられる、いえ、自分で問いかけることもあるでしょう。

※  あなたの若い頃、何がありましたか。自分は、何をされましたか?自分は、何をしてしまいましたか?

私が大きな同窓会へ行かない理由は、対岸にいた友達の 私に会った時の苦渋の顔がみたくないからです。時を経て反省しているだけで充分で、涙が溢れるからです。

虐待・イジメに関わると、社会的常識がついたころから自他共からの時を経ての社会的制裁は大きい。

そんなこと…人生にさせないために、お子さんやお孫さんがのいるご家庭、特に働き盛りの親御さんは、お子さんとの対話を細やかにお願いします。

※ 子供を見ると、親の今までの環境(育ち・受けた愛情)が見えてくる。※ 子供を見ると、親子関係が見えてくる。※子育てをしている親の精神年齢と、育てられている子供の精神年齢はどこか似ている。

先人たちが、残した言葉です。

イジメを目に耳にするたびに、私のイジメによる記憶は思い出され、イジメや虐待されてるお子さんの姿に胸が痛み涙が出ます。これは、いじめや虐待が無くならない限り永遠です。悲しい。

当たり前なはずだけれど、人=命が軽く扱われない大切にされる世の中になることを改めて  願います。