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失いたくないもの

久しぶりに友人に会った。
もう20年レベルでの付き合いだ。
まだ私が短パンTシャツでライブハウスに通っていた頃、とあるアマチュアバンドをきっかけにネットで知り合った友人だ。
今のようにSNSはなく、いわゆる「掲示板」である。

時は流れ互いに紆余曲折を経て、何年か前にご飯を食べたきりになっていた。
突然「ライブのチケットが取れすぎてしまったので、安くするから来てほしい」と連絡が来た。
こういう、ふとした音楽が、最近は本当に減ったなと思う。
サブスクで流れてくる音楽はチャートに沿ったものが多いし、それもまたふとした音楽であることには間違いないのだけど、誰かの熱量とともに知る機会が減ってしまったのが寂しい。

友人はこの日出演するXⅡX(テントゥウェンティ)というバンドが好き(正確にはベースの人が好き)で、翌日アルバムの発売もあるからという話もされた。緑黄色社会、ACIDMANとの3バンドのイベントだった。

私はACIDMAN以外初めてだったのだが、どれも素晴らしくて、ああこういう感覚久しぶりだあ…としみじみ感じていた。
チケットは自らもぎりスタッフの指示する場所へ入れ、ドリンク交換は時間制限があり(これはSHELTERで慣れている)隣と離れたパイプ椅子で見るライブハウス。平常でないのはわかっているけれど、適応能力というのはすごい。だいぶ違和感を感じなくなっているし、密着しない居心地の良さも少し感じ始めている。

先述の通りACIDMAN以外初見だったので知る曲も少なかったが、それでも十分楽しかった。
出演順がACIDMANが最後で、登場のSEも手拍子も懐かしく、大木氏の宗教めいた(自称です)MCも、今なら壺でも買ってしまいそうなくらいありがたみを感じた(実際、念とチャクラの話してた)
人前でライブをやるのが1年以上ぶりだという話を経て「チューニングの時間すらも愛おしいよね」と言った大木氏の言葉に目の前が滲んでしまった。
FREE STARでグッときて、「今日はアンコールないから!」と言った最後のある証明で、涙。
耳なじみのある曲だったから、ということもあるし、ある証明の歌詞が過去から未来に向かっていくように感じるものだったからかもしれない。まさか自分が泣くとも思っていなかったので、終演後、思わず自分自身に笑ってしまった。

この日、緑黄色社会の演奏の時に、サプライズでスマートフォンのライトを照らそう、という企画が、主催であるスペースシャワーTVの計らいであった。
各座席にフライヤーとして置かれた紙の一部が折り曲げられており、それを開くとサプライズの詳細が書かれていた。
スタッフ一人ひとりが折ったのだろうし、座席に置いたのだろうと思うと、イベントを作り上げるという愛しさが込み上げてきて、協力せずにはいられなかった。
思っていた以上にスマートフォンのライトは明るくて、全員で照らしたら普通にステージの照明になるのでは?と思うくらいだったのに笑いそうになったが、その光が天井の大きなミラーボールに反射されるのを見て、こういうのも悪くないな、と思った。
そのミラーボールはACIDMANの時にはきらきらと回ったが、どちらの光も美しかった。

私たちは制限を余儀なくされた世界で、会場に足を運ぶとか、生のものを見たり聞いたりするというアナログなものを失いつつあるけれど、だからこそありがたさを実感するし、失いたくないと思う。
生で発信する音楽や演劇は特に形として残らないし、映像として形にはできても、五感で感じることはその瞬間、その時だけだ。個人的に私は演劇をDVDで見るのが苦手で、あまり買うことはない。その時の空気と記憶にお金を払いたいと思ってしまう(オタクとしてはあまりいい発言ではないかもしれないけれど)
きっと今後、配信ビジネスは一般化され、生発信と同時に、という機会は増えていくんだろうけれど、できる限り、五感をフル活用するその場にいる機会を失いたくはないと思った。

たった一秒で 世界は変わる(FREE STAR)

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