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日本語には主語がない❓️

こんにちは Minori です。

失恋の傷と,失業の不安を
振り切るかのように親友パオラと
クラブでダンスに興じるアリーチェ。
そんな彼女の前に,超超イケメン
パオラの同僚ルカが現れます。

アリーチェとパオラとルカ,
3人の会話です。
日本語字幕とともにまずは
ご覧くださいませ。

文字制限のせいもありますが,
今回のセリフについてた字幕は
かなりの意訳になっています。
では,実際は彼らがどんなイタリア語を
喋っていたのかを,細かく深読みしていきます。
上から順番に見ていきます。

👩‍🦱 Lui è un mio collega del giornale.
   新聞社の同僚なの。

同僚のルカをアリーチェに紹介するパオラ。

collega コッレーガ 同僚,仕事仲間 。
男性でも,女性でも collega です。
男女同形の単語です。

ルカは男性なので,パオラは
un mio collega と紹介しています。
同僚が女性なら,当然,
una mia collega となりますね。
男女同形の単語は,冠詞で区別します。
複数形は i colleghi

a で終わる男性名詞は他に…。

il problema (i problemi):問題
il tema (i temi):テーマ
lo schema (gli schemi):図・案
il panorama (i panorami):パノラマ
il dramma (i drammi):ドラマ
il pigiama (i pigiami):パジャマ
il dilemma (i dilemmi):ジレンマ
il poeta (i poeti):詩人(男性)

などがあります。
collega は男女同形ですが,
最後の il poeta は男性の詩人です。
女性の詩人なら, poetessa 。

こういうタイプの単語もありますので,
この手の単語は,その単語に出会った時に,
一つずつ覚えていくしかありません。
いかにも,イタ検に出題されそうな
やつらですね (-_-;)

👩‍🦱 Lui è un mio collega del giornale.
   新聞社の同僚なの。

パオラからアリーチェに
自分を紹介してもらって,ルカはさらに,
自分についてこう付け加えます。

👨‍🦱 È un collega molto stupito 
      nel vedere la nostra mamma 
      che finalmente fa serata in un locale.

  すごく驚いたよ。ママがパーティに復帰だ。

    Mi fa piacere. 
      いいね。

ママというのはパオラのこと。
なぜ,ルカがこう言ったのかというと,
パオラは新聞社に務めていますが,
現在は育休中。社交場に顔を出すのは
久しぶりだからなんです。

👩‍🦱 Lui è un mio collega del giornale.

このパオラのセリフを受けてからの,
ルカのセリフ。

👨‍🦱 È un collega molto stupito 
      nel vedere la nostra mamma 
      che finalmente fa serata in un locale.

日本語字幕は,かなり短くなっています。
イタリア語のセリフを,ド直訳で
細かく見ていきましょう。

È un collega …

自分のことなのに,sono ではなく,
3人称単数形 è を使ってるんですね。
これ,ちょっと頭に置いておいてください。

È un collega molto stupito …

stupito は,驚いた,びっくりした,
唖然とした
 という意味の形容詞。
stupire の過去分詞です。ド直訳すると …。

È un collega molto stupito …
とても驚いている同僚だ

分からなかったのは,stupito のあと。

È un collega molto stupito 
nel vedere la nostra mamma …

この nel vedere って何?
nelin + il だから … in +  il vedere 
ってことなんだけど,動詞に定冠詞が
ついてる?どういうこと?

👨 定冠詞は動詞や形容詞を名詞化する
      働きも持ってるよ。
     ここは,動詞に定冠詞をつけて 
     動名詞 を作っている。
     つまり,動詞の名詞化 ね。

ヴァレいわく vedere見る で,
定冠詞をつけて il vedere にすると,
「見ること」って意味になるらしい。

ここでは「見ること」をする際の,
状況や感情を表している とのこと。
つまり .... 。

un collega stupito nel vedere …
… を見て驚いている(ある)同僚

と解釈するんだそうです。
で,何をみて驚いてる同僚なのかというと…。

la nostra mamma che 
finalmente fa serata in un locale

la nostra mamma
これは,パオラのこと。
同僚のパオラが子供を授かって,
ママになってるから,ルカは、
パオラのことをこう呼んでいる。

で,どんな la nostra mamma 
なのかというと,その説明が
関係代名詞 che 以下。

finalmente fa serata in un locale

まずは fare serata
これは,夜,友人と出かけること。
飲みに行ったり,ディスコやクラブに行って,
楽しい時間を過ごすこと。 
まあ,要するに「夜遊び」。

ド直訳します。

È un collega molto stupito nel vedere 
la nostra mamma che finalmente 
fa serata in un locale.

僕らのママがついに夜遊びしてるのを
見て驚いてる同僚だ。

以前は遊びまくっていたパオラ。
子供ができて以来,家庭に入って,
ずっと社交場からは遠ざかって
いたのでしょう。

そのパオラが,また以前のように
盛り場に顔を出しているのを見て,
驚きつつ,喜んでいるってわけ。

このセリフについている
日本語字幕をもう一度見ます。

すごく驚いたよ。
ママがパーティに復帰だ。

すばらしい日本語訳です。
さすがプロ。

イタリア語のセリフに戻ります。
このセリフのポイントは,
なんといっても È un collega 
だと思うんです,私。

自分のことを言ってるんだから,
Sono un collega と言いたくなるところ
ですが,ここは自分を第三者的な
視点から見て言ってるので,ルカは
È un collega を選んだんですね。

こんな時の SonoÈ の選択って,
私たち日本語話者には,まず,
する必要のない選択だってことに
お気づきいただきたい。

ド直訳も日本語訳は …。
僕らのママがついに夜遊びしてるのを
見て驚いてる同僚だ。
ですが,
この手の文を作る時,この文の主語は何?
って考えなくても,日本語では文脈で判断されます。

一方,日本語と違って,イタリア語は,
原則的に,主語がないといけない,
っていうか文が作れない。

だから,セリフのような文章を作る際に,
Sono un collega か,È un collega
どちらかを選ぶ必要がでてくるってわけ。

なんてったって、
動詞の活用は主語によって決まる 
んだから、主語が決まらないと、
動詞の形が決められない 。

私たちがイタリア語(外国語)で
文章を作るとき,主語はどれにするのか,
何にするのか,この《主語の選択》が,
私たちにとって、実はものすごく難しく,
意外とこれがネックになって,なかなか
口からイタリア語(外国語)が出てこない
一つの要因になっているんじゃないかと,
私思うんですよ。

 🤓 そんなの簡単じゃん!
    主語は動詞の動作をする人でしょ?

確かに .... と,思うでしょ?
じゃ,これ,どう思います❓️

例えば,「食べる mangiare 」。
イタリア語は .....。

io  - mangio
tu - mangi
lui / lei - mangia
noi - mangiamo
voi - mangiate
loro - mangiano

このように,主語の人称によって,
イタリア語は動詞の活用(形)が
変わりますよね、じゃ,日本語は?

私は 食べる
君は 食べる
彼は 食べる
私たちは 食べる
君たちは 食べる
彼らは 食べる

日本語は,人称がなんだろうと,
全部 食べる で同じなんです。

 🙁 そんなの知ってるよぉ。
       今更,何言ってんの?

いやいや,ちょっと我慢して
聞いて下さいよ。

動詞の形が一緒ってことはさ,
日本語には主語がない ってことを
証明しているんじゃないかと
思いませんか?

イタリア語と違って,日本語は
そのへんがかなり曖昧で適当なせいで,
これこそが,私たちの外国語習得の
大きな妨げになっているのではないかと,
最近, 改めて感じまして。

というのも,この動画を
見たからなんですけど。

実は … 日本語には主語がない❓️

というテーマで語られる
とても興味深い動画です。

でね,この動画を見て,今まで,
なんとなくもやもやしてた何かが晴れて
すっきりした気分になりまして。
是非,皆様にも共有していただきたいと。

例えば …。

象は鼻がながい。

この文の主語はどれでしょう。
象は でしょうか? 鼻が でしょうか?
それとも 象は鼻が でしょうか?

分からないでしょ?これも,
主語がないんだって考えれば,
何にも悩まずにすみます。

 😒主語?主語は 象は じゃないの?
      〇〇は が,主語だって,
     ずっと思ってますけど。

そこなんですよ,まさに,
今回声を大にして言いたいのは。

この動画中で検証してるのは,
〇〇は は主語じゃなくて,
主題 なんじゃないか,ってとこ。

〇〇は「主題」で,
私は〇〇について今,話をしています
と,聞き手にトピック提示しているに
過ぎないんだと。

 😩 ごめん,言ってる意味が
      ちょっと分かんない。

詳しくは,是非,動画を
見ていただきたいのですが。

象は鼻が長い。

では,この文をイタリア語で
言うとしたらどうします?

象は が主語だとして,まず,
L’elefante … あるいは複数形で
Gli elefanti … と文を始めますよね。
で,その後の「鼻が長い」は?
どうします?

L’elefante … il naso è lungo.
象は …   鼻が長い

この文章が変だってのは,みなさん,
すでにお分かりだと思いますが,
こんな単純な文章をとってみても,
イタリア語(英語もしかり)と
日本語の構造に大きな違いが
あることに改めて気付かされます。
イタリア語で言うなら,

L’elefante ha il naso lungo.
Gli elefanti hanno il naso lungo.

象は長い鼻を持っている。

このようにイタリア語では,まず,
L’elefante, Gli elefanti という主語を
明確に決めて,それに合わせて
動詞 avere を活用させ,
文章を作っていくわけです。

調べたら,象の鼻 la proboscide 
という単語があるんですよ。
なので,こういう言い方も
するのかもしれません。

Gli elefanti hanno la proboscide.

まあ,いずれにせよ,
L’elefante あるいは Gli elefanti 
と主語が明確に決まっています。
(単数が複数か問題はここでは触れません)

😲  象[は] 鼻がながい,じゃなくて
       象[の]鼻はながい って言えば
       いいんじゃないですか?
      象の鼻は を主語にして,
     イタリア語の文を作ったらどうですか?

なるほど。こういうことでしょうか。
Il naso dell’elefante è lungo.

では,この文はイタリア人にとって,
自然なのか不自然なのか。
うちのイタリア人に聞いてみました。

👨 うん,いいよ別にそれでも。

あ... なんだ、いいのかよ 😅
でもでも,言わずもがなですが,

L’elefante il naso è lungo.

この文は,文法的にはだめだというのは明白。
ただ,喋り始めたばかりの赤ちゃん言葉の
ような表現ですが,これでも言わんとすることは
イタリア人には伝わります,絶対。

ここ,ちょっと分かれ道。

外国語を話す際に,多少不自然な表現でも
相手に通じさえすればいいのか。

多少,不自然な表現でも,
相手に伝わりさえすればいいやと
割り切ることも大事なことだと,
私だって,もちろん思っています。

間違いを恐れ,細かいことに
こだわってたら,いつまでも,
外国人とコミュニケーションが
とれるようにはならないでしょうし,
緊急事態であれば,もう間違いなんて
気にしていられないってのが現実ですし。

Sbagliando s’impara.
間違えながら覚える。
失敗は成功のもと。

という諺もありますからね。
でも,だからといって,これを
ず〜っと放置していると,
どっかで行き詰まるんじゃないかと
私は危惧しているわけでございまして。

では,この文章はどうでしょう。
こちらも動画の中で
取り上げられていたものです。

こんにゃくは太らない。

この文章の言わんとしていることは,
日本語話者ならすぐに理解できるはず。
では,この文の主語はどれでしょう。

 😗 こんにゃくは じゃないですか?

そうでしょうか?でも,
こんにゃくが太ったり,痩せたり
しますか?いや,しませんよ。

 ☹️ こんにゃくは食べても太らない
       って意味でしょ?だから ...。
       主語はやっぱり こんにゃく

こう解釈したとしても,
やっぱり,こんにゃくが,何かを食べたり
することは絶対にありえませんから,
主語とは言えないのでは?
という疑問が湧いてきます。

😤 じゃあ,こう言えばどう?
      こんにゃくは人が食べても太らない。

なるほど。で,この文の主語は?
それに,この「人」って,誰?

😫 じゃあ,じゃあ,
   私はこんにゃくを食べても太らない。
      これならどうだ!

なるほど。でも,これは「私」に限った
ことではないですから,「私」を主語にして
限定しちゃうのは,どうでしょうか?

そう,私たちが普段何気なく使ってる
文章の中には,こういう日本語特有の
不可解な文章がかなりあって,それを,
主語を必ず必要とする言語で言おうとすると,
もんのすごく難しいんです。

では「こんにゃくは太らない」を
イタリア語で言うなら,
どう言えばいいのかって話しですが。
またまた,うちのイタリア人に
登場していただきましょう。

 👨 そうだね,僕なら使役使って…。

    こんにゃくは太らせない。
    Il Konjac non fa ingrassare.
    Il Konjac non ti fa ingrassare.


    と言うかな。

そう,やっぱり,イタリア語ではまず,
Il Konjac と主語をはっきり決めて,
その主語に合わせて,以下の文章が
作られていくという印象です。
逆もしかりですよ。例えば。

I cibi che non ti fanno ingrassare.

というイタリア語があったとして。
参考書の訳って,ド直訳でしょ。

あなたを太らせない食べ物

みたいな訳語がついてること多い。
わざとそうしている感もありますが。

進化しつつある Google翻訳などの
自動翻訳も,まだまだ限界があって,
妙な日本語が出てきてしまうのは
このせいです。

注)Google翻訳に先程のイタリア語を
ぶち込んだら,ちゃんと「太らない食べ物」
と出てきました。進化してますっ!

まあ,何が言いたいのかというと,
こういうことです。

外国語で話をしようとするとき,
しょっぱなから外国語で考えられる方は
別として,ほとんどの人は,まず,
頭に思い浮かべた日本語の文をベースに,
それを外国語に言い換えるという
作業をするわけですよね,頭の中で。

でも,どう逆立ちしても,
その日本語にあたる外国語が全く
思い浮かばないって経験ありませんか?

例えば,こんな会話。

👩 あなたたち何学部?
👩‍🦱 私は医学部で,彼女は教育学部よ。

という,日本語ならなんの疑問も
湧かない何気ない会話ですが,

私は医学部。

この文をどう思います?
だって,私 = 医学部  ではないですよね。
このままイタリア語にド直訳したら ...。

Io sono 医学部

いやいや,こんなのだめに決まってる。 
イタリア語や英語なら
私は医学を勉強している,とか,
私は医学部を専攻している,とか,
私は医学部の学生だ,とかって
言わないといけないんでしょう。

このように,たとえ 
Facoltà di  Medicina 医学部
って単語を知っていたとしても,
正しい文章が作れるとは限らない。

思考の過程で,日本語に邪魔される
わけですよ。日本語教育の世界では,これ,
母語の干渉 って呼ばれてます。

日本語には,イタリア語や英語にはない
こんな特殊な表現があるので,
それに気づかず,そのまま
ド直訳で外国語にしようと
躍起になっても,そもそもが無理な話。

外国語を話す時,
日本語で考えるなっ!

多くの外国語達人者がおっしゃるのは,
そういう理由からだと思いますが,

そうは言ってもね,ですよ。
このレベルに達するのは,
そう簡単なことじゃありません。

むろん,逆もしかり。

イタリア語は主語に合わせて動詞を
活用させる言語です。
なので,主語をわざわざ言わなくても,
動詞の活用で主語が誰か分かる言語。

それをね,かなり日本語がお上手な,
ヴァレさんですが,彼はときに,
日本語でもこのイタリア語モードを使っちゃう。

何がどうしてこうなったのような,
長めの状況説明をするときに,
特に,このイタリア語モードの癖が出て,
主語をやたらと省略する。

でも,日本語はイタリア語と違って,
人称で動詞を活用させないから,
主語(主題)を省略,あるいは,
途中で変えちゃうと,
誰が何をしたのか,誰が何をされたのか,
聞き手は,分からなくなってしまう。

🥺 私だって,主語,省略するよね。

そう,おっしゃる通り。
じゃあ,私たちはどうしてるかっていうと,
〇〇は と一旦,主題として提示したら,
主題はずっと変えないで 話し続けます。
例えば,こんな文章。

太郎は19歳。(太郎は) 東京大学の学生だ。
(太郎は) 大学で医学を勉強している。
(太郎には)弟と妹がいて,
(太郎は) 両親と2人の兄弟と
5人で目黒区に住んでいる。

(太郎は) ある日, 電車に乗っていると,
突然,(太郎は) 女性から声をかけられた。
「チャック,開いてますよ」
なんてこった!
恥ずかしいったらありゃしない!

冒頭で「太郎は」と, 一度,主題を提示すれば,
その後は, 太郎は,太郎は といちいち言わなくても,
また,イタリア語のように動詞を活用させなくても,
聞き手は理解できるという仕組みになっています。

女性から声をかけられた。

「かけられた」と受身を使っています。
ここで「女性は太郎に声をかけた」と
能動文で言う方はいないと思います。

なぜかというと,この文章の主題は「太郎」で,
原則的に主題は変えずにその後の文章を作る
という決まりがあるからこその,ここの受身。

(太郎は) 女性から声をかけられた。
女性は(太郎に)声をかけた。❓️

私たちは無意識ですが,どんなに文が
長くなろうと,この文の主題を
ずっと崩さずに話してるんですね。

一方,イタリア語は,
基本的に動作主を主語にして文を作る傾向が
あるので,イタリア人はここで受身を使わず

女の人は太郎に声をかけた

と,「女の人」を主語にして
言いたくなるんじゃないか,と。

しかも,同じ単語の繰り返しを
嫌う言語ですから,彼は とか 彼女は 
って代名詞をやたら多用するわけですよ。

これがね、私には妙に心地悪く,
このせいで,聞いてるうちに何がなんだか
わからなくなるんじゃないかと。

 👨 日本語で喋ってんのに
       なんで分かんないのさっ!

って,昔、ヴァレはよく不思議がって
ましたけど,そんなこと言われても,
分かんないもんは,分かんないんだよ!
って,よく喧嘩してたっけ

こんな,母語の干渉による誤用が
今ではほとんどなくなって,
気づけば、いつの間にかヴァレさんも、
必要に応じて受身を使って
話すようになっていました。
でも,そこまでの水準に達するまで,
結構,時間かかってたと思います。

私は,といえば...。
もちろん,私の場合,圧倒的に
実践が足りないんですけどね,
いくら考えても,イタリア語が
欠片も浮かんでこないときが
あるんですよ。

自分が頭に浮かべている日本語を
イタリア語にしたいとき,
単語レベルじゃなく,
イタリア語でどう文を作ったらいいのか
全く想像がつかないときがあるんです。

で,なんでなんだろうって
ずっと思ってたわけですよ。🙄

で,今回「ゆる言語ラジオ」さんの
この動画を見て,なるほどね,
その欠片もイタリア語が
浮かんでこないときというのは,
象は鼻がながい。
こんにゃくは太らない。
私は医学部だ。
系の日本語を,
必死にイタリア語にしようと
してたんじゃないのかぁ❓️
と,腑に落ちまして。

そこで,とりあえずは,
自分が今,喋ってる日本語を
イタリア語で言うなら,主語は何?
っていうのをね,常に考えている
今日この頃なのでございます。

本日も,例のごとく長くなって
しまいました。
ここまで読んでくださった方,
お付き合いありがとうございます。

こちらの動画も負けずに長いですが,
すごく参考になりますので,
是非,ご覧いただけたらと思います。

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