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表象不可能性への苦悩ーー二人の新海誠から読み解く『すずめの戸締まり』

1.はじめに

 今回の『すずめの戸締まり』の物語は、入場時に配られた薄い「新海誠本」で記載されてたように、三つの物語のラインで組み立てられ、次のようになっている。

1つは、2011年の震災で母をなくしたヒロイン・スズメの成長物語
2つめは、椅子にされてしまった草太と、彼を元の姿に戻そうとするスズメの、コミカルで切実なラブストーリー
3つめは、日本各地で起きる災害(地震)を、『後ろ戸』というドアを閉めることで防いでいく「戸締まり」の物語。
これらの3つの要素を、九州から東京、東北へと旅を続けるロードムービーとして描いていく。

 すずめの成長と、恋愛、そして日本列島における災害対する態度の問題というそれぞれ独立した3つの物語ラインを、最終的に旅の終点である宮城――東日本大震災の被災地――において、一挙に解決させる新海誠の仕事ぶりには感服するしかない。殆どの観客は、このような華麗な解決を目の当たりして、すこぶる晴れた気持ちになったのであろう。私も半分はそういう風になっていた。しかし、心の中のどころで、やはりどうしても何かが欠けているような気がした。それは、どういうことなのか?

2.二つの不満点

 私を何かが欠けたような気持ちにさせたのは、大きく分けて2つの点があったと思う。一つは、新海の災害の固有名に対する拘りがあり、もう一つは東京という街に対する曖昧な態度である。これを、順に追って論じていこう。

2.1観光客的態度と記憶の不可能性の処理

 まず最初に私を困惑させたのは、新海が「3.11」という固有名にたいする執着である。その執着は、映画の本来の基調と明らかに衝突している。その衝突は、主に2つのレベルにおいてである。
 一つのレベルは、災害に対する態度である。「3.11」を特権化させ、災害が持つ匿名性、複数性の性質を覆い隠したのである。新海自身がまとめたように、今作の一つの物語ラインは、九州から東北までの災害巡礼をロードムービー的に描き、日本列島(本当は本州であるが)に散在する災害の痕跡、及び災害に対する各地住民の態度を垣間見せことである。ここでは、すずめは一人の旅人=観光客として、災害巡礼の旅に臨んでいる。
 例えば、この映画では、災害の扉である「後ろ戸」は、かつて起きた災害か、もしくは人口過疎化で廃墟化した寂しい場所に現れるもので、また、それを閉じるには、「閉じ師」が部外者として、かつてそこに住んでいた人々の思念を想像し、閉じる力を増幅させる必要がある。閉じ師という旅人=観光客の視点から、日本列島の災害を巡礼するこの構造は本来、日本という災害の国をそれでも生きていく、生きていけるんだという積極的な態度の現れである。しかし、この旅人=観光客の態度は、映画の半分までしか続かず、後半では、旅の終点である「宮城」にすずめを向かわせ、直面させるための養分としてしか描かれていなかった。この特権化は、正しく旅人=観光客の態度を破壊したものである。
 実際、この映画の最後では、匿名的な災害を生きる人々を肯定するエールを発しているが、上記する「3.11」の特権化によってその効果は半分しか実現しなかった。映画の最後で、旅の終点ですべてを解決したすずめは常世の中で子供時代の自分と再会する。子供時代のすずめには、ずっとおかしな夢に惑わされていた。その夢の中で、彼女は奇妙の光景に覆われた丘の上で、死んだはずの母親とそっくりした女性に出会う。その女性は、まさに旅の終点ですべてを解決させ、成長した後の自分である。成長した自分は子供の自分を抱きしめ、これからたくさん辛いことがあっても、キミはこの先ちゃんと大きくなって、幸せになっていく、なぜならそれはすでに決まったことだから。このエールは本来、災害に生きるすべての地域の人に対して発するものだったが、「3.11」の特権化によって範囲が狭まれていた。

 2つのレベルも似たような状況である。それは、すずめの喪失した記憶に対して、その「トラウマ」的な性質を適切に表現できなかったことである。
 この問題点はとりわけ映画後半、すずめが故郷の宮城に戻るパートで現れている。映画の前半では、すずめは災害に対する記憶があやふやになってしまったキャラクターとして描かれた。その記憶は、巨大な災害や強烈な感情の揺れがあまりにも耐え難いから、トラウマになり、封印されたものと言える。この記憶のトラウマ性をよく表しているシーンがある。すずめが眠りについた時、しばしば夢としてフラッシュバックしてくるある映像があり、そこでは、子供時代のすずめは、涙を流しならが、日記帳に何かを一生懸命に書こうとしている。しかし、よく見たら日記帳には何の文字も記されていない。そこにあるのは黒塗りされたページばかりだ。日記の黒塗りは、その日の出来事がとてつもなく耐え難いことで、記憶=記録するのが不可能なトラウマであることを描くための、極めて巧みな表現である。しかし、故郷に戻り、日記を掘り出して確認してみれば、黒塗りされた日記には唯一塗りつぶされていないところがあった。それが、「3月11日」という日付である。この塗りつぶされていない「3月11日」は、間違いなく黒塗りされた日記というトラウマ的な表現を破壊する蛇足である。
 ただ、勘違いしてほしくないのは、ぼくはここで蛇足と呼んだのは、「3.11」を出したことではない。「3.11」の出し方にこそ、問題があるのだ。もしここで、「3.11」であることを示しつつ、同時にあるトラウマ的な経験が記憶不可能であることを強調しようとすれば、それは次のような表現で描けばよい。例えば、「3月11日」も黒塗りにして、「3月10日」はしない。そうすれば、観客は「3月10日」の「次の日」にとてつもなくトラウマ的なことが起こった、という形で「3.11」を間接的に推測することができる。「3月11日」をあまりにも直接的に表現しまったせいで、本来ここに宿る「記憶不可能性」のテーマが破壊され、すずめの記憶が持つトラウマ的な性質、その経験の恐ろしさは半減してしまった。本来であれば、「記憶の不可能性」はむしろ新海の得意分野で、記憶の中にある不自然な黒塗りもしくは空白は、例えば『君の名は。』の中でもよく使われた手法である。瀧と三葉はいつも原因のわからないノスタルジーや既視感に囚われ、何か大事なこと、大事な人を忘れたかもしれない感覚を持って生きている。そのような、記憶の中の不自然な空白、トラウマ的な記憶、言い換えれば「記憶の不可能性」のテーマは、新海は慣れたはずなのに、今回の『すずめの戸締まり』では、「3.11」を直接表現しようとする欲望に負けてしまった。それが非常に残念なことである。

 この2つのレベルにおける、「3.11」への過剰な拘りは、映画前半の、コミカルに描かれた旅人=観光客の態度を破壊させ、その態度から導き出された本来のテーマ――「災害を生きるすべての地域の人々に対するエール」を「特定の災害、特定の被災者に対するエール」に矮小化してしまった。もちろん、特定の災害に対するエールは、ポスト3.11に生きる現在の人々、特に日本の人々に対して、極めて政治的に「正しい」テーマであるが、その「正しさ」を拘りすぎたあまりに、本来あったはずのより普遍的なテーマを切り捨ててしまっている。『君の名は。』の隕石災害や『天気の子』における気候変動は、明らかに3.11のメタファーであるにも関わらず、匿名的な、グローバルな危機としても機能する潜在的な力を有していると言うならば、『すずめの戸締まり』は「メタファー」が持つこのような力を矮小化してしまったと言えよう。

2.2東京はなぜ寂しい場所なのか

 この映画で、僕を困惑させた二つ目の点は次のことである。東京の「後ろ戸」は他のものと比べて明らかに処理が曖昧である。
 今回の『すずめの戸締まり』は、上映前のイベントなどで新海が繰り返し言及したように、人がいなくって、廃棄された寂しい場所を描きたい、ある種のポストアポカリプス的な視覚的デザインをやりたいというのである。実際に映画の中で描かれた災害の扉「後ろ戸」は、おおよそその言葉通りのものになっている。すずめの災害巡礼において、とくに宮崎、愛媛、神戸、宮城はこの視覚的デザインに従っている。宮崎は山中にある荒廃した温泉リゾート地で、愛媛は土砂災害に遭い廃棄された学校、神戸は経営不振により閉鎖された遊園地、宮城は震災や津波によって平にされた居住地。これらの土地はすべて人がいなくなり、廃棄された寂しい場所である。しかし、人が押し寄せる東京がなぜ「寂しい」場所かは、映画の中では有効な解釈がされていなかった。実際、すずめが東京についてから、その人が集まる大都市ぶりを見て、次のような感想を口にした。

 膨大な数の生活がここにはあるのだと、私は改めて思う。この巨大な街のどこかに、古びた石像だか石牌だかがひっそりとあることが、私は上手く想像できなった。

小説版

 東京はこのように、寂しい場所として想像することができない街である。だから映画の中では、東京の「後ろ戸」は都心地下の洞窟に残された城門の遺跡として描かなければならないのである。この地下洞窟の城門遺跡は、たしかに、人がいなくなって寂しくなった場所ではあるが、しかし、上記する四つの場所に比べて、明らかに「都市伝説」すぎるのである。宮城の災害後の居住地遺跡ほど「社会的」ではないが、荒廃したリゾート地、廃棄された学校や閉鎖された遊園地は、現代の状況に照らし合わせて、ありそうな場所である。しかし、東京地下洞窟の城門は、明らかに新海による捏造である。東京は「寂しい」場所として想像することが難しいだったら、いっそう東京を書くことを諦めたらよい、と思うところもあるが、しかし、新海にとってそれは絶対にできない。だから彼は東京の「寂しい場所」を捏造しなければならないのである。
 では、なぜ、彼はそこまでして、東京を「寂しい」場所にしたがるのか?このような傾向性は、『すずめの戸締まり』だけでなく、新海の過去作にもよくあることである。『君の名は。』のラストで、建築会社の面接で、東京もいつかなくなっていくかもしれないという瀧の発言はあった。この後に東京を水没する『天気の子』のきっかけになったセリフは、実は『言の葉の庭』を作る2012年ですでに新海の文章にあらわれていた(注1)。
 その時の新海はすでに「3.11」に衝撃を覚えたが、まだそこまで「3.11」という固有名に拘っていない。むしろ彼の災害に対する想像は、彼自身が立っている東京という土地にこそ向けていた。このような東京に対する何らかの不安から、我々は匿名的な災害に対する想像を発見できる。『すずめの戸締まり』で、東京はその他の場所と同列に扱われ、人がいなくなった後の寂しい場所、一種のポストアポカリプス的なイメージとして描かれたのは、間違いなく、災害を東京に降臨させようとする新海の考えがあった。しかし、気候変動という匿名的、グローバルな災害で東京を破壊しようとする『天気の子』に反して、『すずめの戸締まり』で新海は「3.11」に拘っているから、東京を破壊する災害をどうしても固有的なものにしたいという欲望が存在する。彼は、東京の「膨大の数の生活」の中で、東京に内在する「固有的」な寂しい場所を見つける必要があった。しかし、言うまでもなく、グローバル資本主義の象徴である東京(注2)は、固有性が強い地方都市に比べて、そこでの生活が圧倒的に「匿名的」で、その想像もまた、決定的に難しい。だからこそ、彼はその「固有的」な寂しい場所を都市伝説的に捏造する必要があった。
 単なる都市伝説だったらまだいい。しかし、新海はその都市伝説をより強固な固有性にしたい欲望に負けて、その都市伝説の担保として「天皇制」に手を出してしまった。なぜ、東京都心の地下に廃棄された城門を有する洞窟が存在するのか。新海の答えは、まさにその洞窟の場所にある。それは、皇居内堀の下にある。言い換えれば、新海は彼が捏造した都市伝説的な固有性に合理的な担保を求めて、「万世一系」たる天皇の神話に手を出してしまったのである。
 僕はこれを理由に、新海を天皇主義者として断罪するつもりはない。むしろ、これは新海が苦悩した後、仕方がなく下した決断として捉えたい。しかし、東京の寂しい場所は忘れられた皇居に関連する遺跡であるという設定は、間違いなく、この映画の雰囲気を一変させた。ここで被災地として想像された東京は、もはや『天気の子』の中での匿名的な東京ではない。天皇=日本列島と癒着した、強固な固有性をもった東京になったのである。このような、災害の想像における、匿名性から固有性への矮小化は、上記する「3.11」への過剰の拘りとともに、この映画の可能性を、著しく狭まってしまった。

3.災害に介入する普遍的な問題

 新海作品の災害に対する描写は、今までそれが匿名的に書かれたが故に、世界中の観客に自分自身の周りの災害を想起させ、同時に、災害を生きる人々へのカタルシスを普遍的に機能させた。しかし、今回の『すずめの戸締まり』は「3.11」への過剰の拘りを示せ、あらゆる地域の人へと届く普遍的なエールを破壊し、3.11だけに捧げるものとして書いてしまった。このような感想は、私が海外の観客であることにもちろん関係するし、今作は世界的に好評された『君の名は。』と違って、日本と海外で評価が分かれる可能性もなくはない。しかし、グローバルな視点を肯定し、ローカルな視点を批判するのは、単にこのような国際主義的な立場によるものではない。なぜならグローバルとローカルの対立関係の中には、もう一つ重要な課題が隠されている。それは、虚構は災害を描くことが可能なのか、という問題である。
 『すずめの戸締まり』の小説版あとがきの中で言及されたこの問題は、新海のアニメーション創作に通底しているだけでなく、彼が本来『すずめの戸締まり』で書くべきテーマでもあった。その小説版のあとがきで、新海は次のように『すずめの戸締まり』の創作動機を語っている。

 僕にとっては三十八歳の時に、東日本大震災が起きた。自分が直接被災したわけではなく、しかしそれは四十代を通じての通奏低音となった。アニメーションを作りながら、小説を書きながら、子供を育てながら、ずっと頭にあったのはあの時感じた思いだった。なぜ。どうして。なぜあの人が。なぜ自分ではなく。このままですむのか。このまま逃げ切れるのか。知らないふりをし続けていたのか。どうすれば。どうしていれば。――そんなことを際限なく考え続けてしまうこと、アニメーション映画を作ることが、いつの間にかほとんど同じ作業になっていた。あの後の世界が書き換わってしまったような瞬間を何度か目にしてきたけれど、自分の底に流れる音は、二〇一一年に固着してしまったような気がしている。

小説版あとがき

 この文章を読むと、新海のアニメーション創作における「3.11」の特権的位置を再確認するものだと、一般人は思うであろう。それはもちろんそうだが、しかしより重要なのは、「3.11」は新海にとって果たしてどのような問題なのか?もしくは、新海が「3.11」に直面して一体何に対して悩み、何に対して葛藤しているのか。

 なぜ。どうして。なぜあの人が。なぜ自分ではなく。このままですむのか。このまま逃げ切れるのか。知らないふりをし続けていたのか。どうすれば。どうしていれば。

 この一文が示した新海の苦悩を、我々は次のように2つの問題として整理することができる。一つ目は、人間は偶然的な死に直面する時、どのような態度を取ったらいいのか。自分も災害に巻き込まれて死ぬ可能性は十分あるはずなのに、なぜ他でもないこの私が生きていたのか、と新海は感じたのである。それはつまり、新海にとって、「3.11」における死は偶然的な死で、被災者はそこで死ぬ運命が刻まれたわけではなく、だからこそ、その死が自分に降りてくる可能性もある。
 もう一つの問題は、生と死を隔てる絶対的な障壁に直面して、非被災者である自分は被災者の死に対して、永遠に介入することができないことの困難である。偶然的な死を刻まれた歴史は、その一回しか起こらない単独性によって、この障壁をより強固なものとする。新海は非当事者として、当事者に介入することの不可能さに直面し、どうしたらいいのかのわからない無力感に襲われている。
 この2つの問題を思考することが、アニメーションを作ることが「いつの間にかほとんど同じ作業になっていた」のは、言い換えれば、新海は以上の難問に直面しつつも、次の問題を模索していると言えよう――非当事者である自分が、そして自分が作るアニメーションが、一体災害を、被災者の経験を描くことが可能なのか。もしそれが可能ならば、自分はどうやって表現すればよいのか。
 こうして見れば、新海を悩ませたのは、「3.11」それ自体ではないことがわかる。彼が直面しているのは、むしろ「3.11」がもたらした死の偶然性と、その偶然性によって隔てられた生と死、非当事者と当事者、その間にある越えることのできない障壁である。そのため、新海が『すずめの戸締まり』で描こうとしたのは、本来「3.11」への拘りではなく、むしろこの普遍的な困難なのである。

3.1その他の作品と生活中における普遍的困難

 この普遍的な困難は、同時に様々な文学作品が直面し、また我々の日常生活の中でよく見かけるものである。例えば、私が以前書いた『サマーゴースト』についての評論の中で、監督loundrawがイラストとして参加した小説作品『君の膵臓をたべたい』を同じ枠組で分析したことがある。『君の膵臓をたべたい』の中で、主人公が直面したのは、まさに偶然的な死の問題である。それも、必然的な死との対比関係の中で、である。
 この作品では、ヒロインの桜良は難病を患い、近い将来で死を迎える運命であるが、闘病生活の中で主人公と出会い、特別な関係を結ぶことできた。彼女は必然的に死んでいくが、特別な人のそばで迎える死は、同時にロマンチックな雰囲気に包まれた、幸せな死でもある。それが難病ものの純愛的構造である。しかし、不幸なことに、その幸せかつロマンチックな死を迎える前に、彼女は通り魔に殺害されてしまう。通り魔による死は、偶然的な死で、必然的な死と同じ死であることは変わりないが、前者は後者により遥かに耐え難いことは明らかである。『君の膵臓をたべたい』の後半では、必然的な死が偶然的な死によって先取りされたこの困難を、主人公はどう向き合っていくのかを描いたものである。
 その困難を表したものとして、次のシーンが代表的である。桜良が通り魔に殺害されたことを知った主人公は、あまりの衝撃で心を閉ざしてしまった。桜良の葬式ですら出席することができなった。しかし、それは彼が臆病だからではない。本当の原因は、彼と桜良が築いた特別な関係は、同級生、先生、教師といった周りの人に知らせていないため、偶然の死によってこの秘密な関係性が闇の中で葬られてしまった結果、彼は桜良の「特別な人」として葬式に参加することができず、ただの「同級生」の一員としてしかそこに列席することが許されていないからだ。この「特別な人」から「同級生の一員」への身分の変化、言い換えれば、「桜良の死」を当事者として経験する可能性の喪失こそが、彼の最も耐え難いものである。

 同じ状況は、例えば我々の日常生活の中でも起きることはある。ここで一つ、私自身の例を語ってみよう。この例は、私が主催する「2020年代の批評ライン」の一連のスペースイベントで話したことがある。それは京アニ放火事件に対して私が持っている疎外感である。京アニ事件が起こったその日、私は西京区にいました。留学生として授業に出席していた私はおそらく海外のオタクの中でも、事件現場と非常に近いことにあったと言えよう。しかし、私はこの事件から物凄く離れているところにあるような感覚に襲われたのである。その感覚はある種のトラウマになり、私は長い間京アニ事件を語ることができなかった。
 あることを知るまで、私はこの感覚を言語化することができなかった。事件が沈静化して、スタジオのビルが解体された後のことである。近隣の住民たちは事件の跡地を慰霊碑や公園にしないように求める要望書を京アニに提出した。なぜなら事件を目のあたりにした彼らは静かな暮らしに戻ることを望んでおり、不特定多数がそこに押し寄せ、生活の安寧を影響してほしくなかったからだ。そこで、私は初めて思い知らせられたのである。京アニ事件は、単なるアニメーション会社が放火された事件ではない。それは同時に、具体的な地域、街、住民の周りで起きた事件であり、オタクとしての私が京アニと築いた読者―作品の想像的関係は、被災地域という具体的な関係性の前では、あまりにも弱いものである。このような当事者性の不在や、事件に介入することのできない無力感こそが、私が持つトラウマ的な体験の真実である。

3.2文学はアウシュビッツを証言できるのか

 新海が抱える困難は、『君の膵臓をたべたい』やアニメーションの観客である私が抱える困難でもある。これは、ある偶然的な事件に直面する際、とりわけ偶然的な事件によって生と死が分割され、非当事者がその越えられない壁に直面する際に出会う問題である。では、このような困難は結局どのように捉えたらいいのか。言い換えれば、それはどのような思想的な苦境なのか。もし現代思想の文脈について、少し触れたことがある人ならば、この問題は、実は哲学や文学研究の領域において様々の議論を及ぼしたある問題の変形だということを、敏感に察知できるのであろう。それは、「ホロコースト後の文学の問題」、「アウシュビッツの後に文学が可能か」である。
 この問題はおおよそ次のようにまとめることができる。
 アウシュビッツの強制収容所で行われたホロコーストは、それがあまりにも徹底かつ残虐だから、人の想像や認知を超えてしまう。人はそれをどうやって形容するのかもわからない困難に陥る。数少ない生存者も、その経験を語る時しばしば口を閉ざしてしまう場面に出会う。哲学者のジャン=フランソワ・リオタールは、すべての計測機器を破壊してしまう計測不能な地震でこのような人の想像や認知を超えた出来事の性質を形容した。このような人間の認知能力の限界に位置する出来事がもたらした性質を、哲学や文学の領域では、「表象不可能性」と呼ぶ。
 また、ホロコーストは表象が不可能なだけでなく、その証言もまた極めて困難である。同じくリオタールがあげた例を紹介すると、それは例えば「ガス室」の存在を証明することは極めて困難であるという例だ。ホロコーストのような徹底した殲滅行動では、「ガス室」が存在し、かつそれが殺人のために使われたことは、それによって殺害された被害者本人しか証明できない。しかし、既に死んだ被害者本人はもちろん証言できるわけがない。ここでリオタールが言っているのは、もちろん、誰も証言できないから「ガス室」は存在しないということではない。歴史はリオタールが仮説したように甘くはなく、ナチスはよく強制収容所の犯人を組織し、「ガス室」の仕事を彼らに押し付けている。その一部が生き残り、「ガス室」の存在を加害者として証言できた。しかし、リオタールが言いたいことはよく分かる。その場の出来事を証言できるのは、その場にいるその人たち以外に誰もいない。それはつまり、一種の「証言不可能性」の困難である。
 この2つの困難が結合し、さらにもう一つの問題を導き出すことができる。即ち、フィクションはホロコーストを証言できるのか?このように言い換えることもできる――フィクションはホロコーストのような表象不可能な出来事を描くことができるのか。この問題にまつわる論争は、哲学史、文学史において、大量な言説を生み出した。二つの立場の中で、それができないと主張する言論の中で、一番代表的なのはおそらくテオドール・アドルノによるあの言葉である――「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」。それに対する立場はもちろん、フィクションは表象不可能な出来事を書くことは可能だと主張するのである。新海と同じように、非当事者と当事者の間にある越えられない壁を逆説的であるが、繋げようとするこの文章はもちろん後者の立場に立つのである。
 このような逆説的な立場に立つ人物は、文学では、例えばアドルノの言葉を真正面から挑んだドイツ系ユダヤ人の詩人パウル・ツェランが挙げられる。哲学では、例えばジャン=リュック・ナンシーが良い例である。
 ナンシーはその文章「禁じられた表象」で芸術作品がホロコーストを描く可能性を広く肯定し、またその可能性の条件を精密に規定した。それは「表象」のあるべき厳密な意義従う場合である(注3)。ナンシーの話は複雑で、あくまでその芸術論の部分だけを取り出して要約してみれば、それは、芸術における表象は、完全かつ閉じた円満のもの不在を現前化するのではなく、不完全なだからこそ開いた残欠のものの不在を現前化するものである。「表象」の厳密な意義を後者に委ねている。その後者の例として、彼はイスラエルのヤド・ヴァシェムの彫像群と、ベルリンにおける「恐怖の場所」と表記された収容所についてのプレートを対置させた。彼はヤド・ヴァシェムの彫像群の誇張された表現は「表象」しているのではなく、ただの標識としてあることに甘んじていると評する。それに対して、「恐怖の場所」のプレートは、「表象」の残欠かつ開いた性質を、その表現手法のなさと芸術作品としての欠陥(ただのプレートでだから、イデアを円満に再現できないから)において表しているから、単なる標識であることに甘んじることなく、「表象」していると評価された(注4)。
 このような残欠かつ開いた性質を持つ「表象」を、文学、とりわけナラティブにおいて考えたらどうなるのか。アメリカの批評家で、イェール学派の一人であるジョセフ・ヒリス・ミラーの著作『焼失された共同体 アウシュヴィッツ前後の小説』(注5)は大変参考になる書物である。ミラーの答えは明白である。表象不可能なものを描くためには、表象不可能性それ自体を記述すればよい。ミラーのこの解釈は特にアウシュヴィッツの生還者であるケルテース・イムレによる小説『運命ではなく』においてよく現れている。この小説の主人公は収容所の生還者であるにも関わらず、「ガス室」の存在を問われた時に冷静に「ない」と答え、なぜなら彼はそれを目撃するはずがなかったからだ(目撃したらそもそも生きていない)。このような当事者以外の誰でも証言しようがないのような発言は、ミラーの問題関心と非常に合致している。この小説の読解を通して、彼が考えた表象不可能なものを描くための手法を次のようまとめることができる。

  • ① 「経験する私」と「叙述する私」を分離させ、不可能な経験の直接かつ円満の再現を避け、経験の再現不可能性を強調する。

  • ② ホロコーストの経験をアイロニカルな態度で捉えることを描く。例えば、タバコを吸いながら、ハイタッチして殺人の手法を考えるナチスの士官を想像すること、ホロコーストを子供の悪ふざけのように喩えることなど。このような手法からはある種の「悪の凡庸さ」(アーレント)を洞察できる。

  • ③ 時間的な順序を厳密に従うこと。それは単なる出来事に対する記録性の要求ではなく、語り手が時間と共に変化していくことの記録性への要求である。

  • ④ 語り手の優柔不断や自我矛盾を描くこと。①と関連して、「経験する私」と「叙述する私」を分離させた後、両者に目の前にある出来事や自分の行動に対して、違う立場や評価を取らせ、混乱させることで、結論に対する遅延や、経験への介入の難しさを表現する。

 ミラーは他にもいつくかの手法を挙げたが、彼自身が認めるように、一番中心的な手法は①である。そして、この手法の背後にあるのは、まさにタイトルである『運命ではなく』と同じような一種の「無運命」的な態度がある。例えば、主人公にとって、収容所に閉じ込められたのは、一つの運命ではない。運命ではないという言葉がここで意味するのは、それは神から与えられた試練ではない、ということである。それは試練ではなく、むしろ、単にあの時たまたまあるバスに乗っていただけで、それだけで彼は収容所に送られたと考えたのである。そこで彼が直面したのはある偶然的な状況である。あらゆる苦痛は神の意志という確固たる必然性に押し付けることはできない。その生還もまた、神によるものではなく、偶然的な出来事とそれに対する自分の結果もわからない行動と決断の総体の中でのものであり、そのような状況からたまたま生還しただけである。このような「無運命」的な態度が、彼の語りを分離させ、自分の行動や周囲の出来事をアイロニカル的に見る視点を形作ったのである。
 ミラーがここで示したのは、表象不可能性、証言不可能性に直面する際に、人に現れるある普遍的な態度である。フィクションはホロコーストを円満なものとして再現はしないが、この表象不可能性に直面した時の態度を、ナラティブのレベルにおいての複雑化として示すことで、表象不可能なものを描くことができる。その上、ミラーは一つの仮説を提示した。それは、作者がホロコーストに接近すればするほど、ナラティブの複雑化は一層に増すことである。ミラーはこの仮説を「ミラーの法則」と呼んだ。そして、このような普遍的な態度を支えたのは、まさに我々が度々言及した偶然性による想像である。
 この想像はかなり普遍的で、例えば同じミラーの著書の中で言及されているように、ホロコーストの生還者のみならず、それと無関係の人々もいざホロコーストを知ると、よく2つの苦悩に直面することがある。一つは罪悪感である。ホロコーストで死んだのはなぜ自分ではなく他人なのか、そのことについて原因もなく罪悪感を覚える。もうひとつは共謀感である。自分はナチスではないし、ナチスに協力したこともないが、どうしても自分とナチスはホロコーストを実行する潜在的可能性は一緒で、自分もやってしまうかもしれないという妄想に取り憑かれる。自分を加害者もしくは被害者として想像してしまう、ホロコーストの死に対する偶然的な態度をここで発見することができる。この想像は新海が『すずめの戸締まり』のあとがきで記した想像とまったく同じである。まさにこの視点においてのみ、『すずめの戸締まり』の本来のテーマを理解することができる(注6)。
 『すずめの戸締まり』に対する分析を再開する前に、依然疑問を持っている読者がいるかもしれない。それは、アウシュヴィッツの枠組で「3.11」を語ることは正当なのか、という疑問であろう。私の答えは明白である。それは正当ではない、ただし、それは以上の議論を踏まえてなお、アドルノの立場に立つ場合のみである。アウシュヴィッツと「3.11」がイコールで結ぶことはない。なぜなら、あらゆる災害の事件は、その歴史的な一回性により、それ自体以外の任意の災害の事件とは決して同じではない。ある災害と別の災害、そしてある死と別の死の、絶対にイコールで結ぶことのないその性質こそが、アウシュヴィッツが「表象不可能」であるの問題であり、アウシュヴィッツと「3.11」と繋げて語ることを禁ずることは、言わば同時に『すずめの戸締まり』がフィクションとして――そこで描かれた災害は、決して「3.11」の災害それ自体ではない――「3.11」を描くことの可能性を否定していることを意味する。アニメーションは現実の災害を描くことができる。もしそのような立場に立つならば、それはすでに我々の問題意識の中に位置していると言えよう。

4.『すずめの戸締まり』は災害の表象不可能性をいかに処理しているのか


 改めて『すずめの戸締まり』の分析に戻るとしよう。この映画は果たして、ナンシーとミラーの規定にどのぐらい従っているのか。もしくはこのような問も建てることができる。新海は彼が表現しようとする本来の主題について、一体どれだけ表現できたであろうか。私の答えは80%である。『すずめの戸締まり』はその本来のテーマをかなりの程度で表現できたか、しかし、いくつかの細部の処理においての失敗は、そのテーマを最終的に十分に表現することができなった。では、その失敗はいかなるものか、ここで順を追って分析してみよう。

4.1記憶の不可能性の問題

 『すずめの戸締まり』は震災によるトラウマ的な経験がもたらした「記憶の不可能性」の問題があると、第2節で述べた。その問題はまさに表象不可能性の問題の一つの変形である。我々が知っているように、新海はあとがきで自分が抱えている苦悩を記した。その苦悩は、非当事者はいかに当事者の経験を介入=描くことができるかについてのものであり、またその苦悩は彼のアニメーション映画創作と一体化している。だから、我々は『すずめの戸締まり』を、新海が当事者の経験を介入=描くことの試みとして解釈することができる。それはつまり、新海は自分が当事者であることを想像し、すずめという当事者に自分を重ね、震災の経験を描こうとしている。では、この想像的な介入は、ナンシーがいう「表象」の厳密な定義に従っているのであろうか。
 『すずめの戸締まり』には、新海がよく使うある手法が導入されたことに注目する必要がある。それは、経験したことのないはずの記憶が頭に浮上し、そのことについて何の心当たりがないが、何処かで見たような雰囲気を覚える、そういう曖昧な記憶である。この手法について、私は今年5月の東京文フリで販売された『感傷マゾvol.07 仮想感傷と未来特集号』に寄稿した文章で、「幽霊的」な記憶だと呼称した。その幽霊的記憶の手法は、新海の初期作品である『雲の向こう、約束の場所』から、最近の『君の名は。』まで、よく使われるものである。この幽霊的記憶の手法は、非経験者が不可能な経験を介入=描く時に極めて有効な手法である。それは一方では、自分の経験ではないことを強調し、他方では、その記憶は自分に何処かで見たような感覚を与え、恰もそれが自分が経験したように感じてしまうのである。
 『すずめの戸締まり』の冒頭で、すずめが見たあの夢がまさにそれである。超自然的な光景に包まれた丘で、子供時代のすずめは自分の母と似た雰囲気の女性に出会う。このシーンの風景はあまりにも奇妙かつ美しいから、嘘のように映り、だから決して自分が経験したことではないだろうと判断する。しかし同時に、その景色が何処かで見たような感じがして、そこで出会う女性も自分の母とそっくりな雰囲気だから、それはきっと自分と深く関わったものだと判断する。このように相反する性質をもった夢が、すずめの頭に浮かぶ度に彼女を困惑させ、苦悩させている。だからこそ、遊園地で「後ろ戸」を閉めようとする時、彼女はこの幽霊的記憶に惑わされ、観覧車の窓から転落しそうになる。
 この幽霊的記憶の手法は、非経験性を強調しながら、同時に経験したような感覚を与える。両者に挟まれる苦悩の姿は、まさにナンシーやミラーが規定する「表象」に合致すると思われる。しかし同時に、注目する必要があるのは、物語の後半で、この幽霊の記憶の謎が解き明かされたことである。それは、旅の終点で成長じた自分が、常世で子供の時代の自分と再会したからである。この物語上の設定は果たしてその規定に合致するだろうか。ここで、一旦ミラーが規定する厳密な時間的順序を置いといて、幽霊的記憶がここで成立するかどうかを検証する。たしかに、新海作品はよく幽霊的記憶の手法を使うが、しかし同時に、これらの幽霊的記憶を実在するものとして解釈する傾向性を持っている。例えば『雲の向こう、約束の場所』では、夢の中での声は、夢の世界に閉じ込められた佐由理の本物の声で、『君の名は。』では、夢の中での出会いやラストにおける「キミをどこかで」は、可能世界のものだが、実在する冒険だった。新海は超自然的、SF的な設定を駆使して、これらの経験したことはないが、どこかで見たことがある幽霊的記憶を、目の前の現実世界とは限らないが、実在するものとして解釈する傾向がある。ならば、それはナンシーとミラーの規定から逸脱していると言えるであろうか。
 この幽霊的記憶の実在化において、新海がよくやるのは実在化と共に記憶を削除する手法である。同じ『雲の向こう、約束の場所』と『君の名は。』で見てみよう。『雲の向こう、約束の場所』では、夢の世界に閉じ込められた佐由理は浩紀に思いを伝うことに成功し、夢の世界から救出されたが、その代償として、(夢の世界で築き上げた)浩紀に対する思いそれ自体が削除される。『君の名は。』では、三葉の死や村の壊滅を回避するために、滝は歴史改変に成功するが、その代償として、彼らの出会いからの記憶は全部削除された。この記憶削除の処理は、新海の特許ではない。ループもののエロゲーやラノベではよくあるものである。それは、ナンシーの規定に対して巧妙な答えを出している。幽霊的記憶の実在化において、たしかにキャラクターは当事者になったが、しかし記憶の削除によって、当事者とその当事者であることの認知を分離させることができる。これを、当事者が自分の当事者であることの経験にアクセスできない「記憶の不可能性」の問題へと変換することができる。これは表象不可能性の問題の一つの変形であることは明白である。そこで彼らは当事者であるが、当事者であるための条件、経験そのものにアクセスことが禁じられ、再び「証言不可能性」の問題に直面することになる。
 『すずめの戸締まり』では、幽霊的記憶の実在化において、同じ記憶削除の手法が採用された。少なくとも映画の前半では、ナンシーたちの規定を十分に守ったといえよう。第2節でも論じたように、本州を横断する災害巡礼の旅では、すずめは少なくとも前半では、旅人=観光客として過ごし、「後ろ戸」を閉じることで、他人の災害の経験を想像し介入している。ここでは、ミラーが規定したような、「経験する私」と「叙述する私」の分離を発見できる。「経験する私」(子供時代のすずめ)は夢の中に封印され、「叙述する私」(少女すずめ)とは徹底的に分離されている。しかし同時に、幽霊的記憶を用い、しばしば両者の関係性を撹乱する。本来当事者であるはずの彼女を、非当事者の立場に繋ぎ止めようとし、幽霊的記憶がまだ幽霊的に機能したのは、まさに彼女の記憶が失われたためである。そこでは、非当事者の問題は、当事者の「記憶の不可能性」の問題に変換された。これこそが、自分が当事者であることを想像し、すずめという当事者に自分を重ねて震災の経験を描こうとしている新海の最も巧妙な手法である。そこでは、災害の経験を直接かつ円満の再現ではなく、自分のような非当事者はいかにして当事者を介入=描くことの問題を、極めて曲折な形で、すずめの記憶の不可能性の問題へと変化させた。この処理は巧妙であると同時に、極めて冷静な判断である。しかし残念ながら、その冷静さは映画の半分までしか続くことができなかった。

4.2記憶の不可能性の破産

 すずめが記憶の不可能性の苦悩から離脱したのは、映画の後半、東京から離れて故郷である宮城に向かるところである。すずめの災害巡礼の前半は、おそらく次のように要約することができる。それは、すずめが見習いの閉じ師として地元住民の災害経験を想像し、同時に地元住民はすずめを終点へとエスコートするという、(相手にとっての)非当事者が(相手である)当事者の不可能な経験に互いに介入=描く構造である。この非当事者として互いに介入=描くことの状態は、一つの災害が他の一つの災害に対して互いに非当事者であるにも関わらず、それでも互いに介入=描くことが可能だというメタファーとして捉えることができる。しかし、物語の後半、東京から宮城へと向かう道では、このようなメタファーは綺麗さっぱり消えている。
 そこでは、すずめはもはや非当事者ではない。記憶が回復され、幽霊的記憶に惑わされなくなったすずめは、ここでは完全な当事者になったのである。物語の前半で、ミラー的な手法で分割された「経験する私」と「叙述する私」のナラティブ構造も、ここでは一体となり、二度と分離することのない強固なひとつの「私」になったのである。記憶の不可能性を克服したことを表したものとして、次のこのシーンは極めて代表的である。子供時代の記憶があやふやで、幽霊的記憶で困惑したはずのすずめは、故居の跡地の下に埋められている日記帳を、なんの手間もかけずに見つかってしまう。日記帳を掘り起こすその姿には何の迷いもない。あたかもそれを地下に埋めたのは、十二年前でなく、昨日だったように。
 それに加えて、「3.11」という固有名の回復も極めて代表的なシーンである。第2節で述べたように、すずめの日記帳は震災に関するページは全部黒塗りされており、その処理は震災経験がもつ表象不可能性、記憶不可能性の表れである。その経験はトラウマ的で、耐え難いほどの苦痛だから、黒塗りして見えないようにするしかなかった。もしくは、こういう風に推測することができる。その黒塗りの下には、おそらく何の記述もなくただの空白で、震災の経験はもはや言葉にすることすら不可能で、黒塗りという否定的な形式でしか表現することができなかった(後に確認したが、小説版ではまさにこういう感じだった)。しかし、第2節で述べたように、そこではただひとつ日付である「3月11日」が黒塗りされていなかった。この「3月11日」を手掛かりに、彼女の記憶は一気に回復する。「後ろ戸」で過去の自分と出会うことで、記憶の最後の一枚も集められ、彼女は映画の最後、なんの忘れ物もなく、円満な記憶を手に入れてしまう。まさにこの瞬間に、記憶の不可能性のテーマが破産してしまった。記憶が少しだけ回復したように見えるけれど、決して円満の記憶を手に入れていなかった過去作と比べ、その違いは明らかである。
 ここで、新海は彼が描きたがった、そして本来描くことができるテーマ――非当事者がいかにして当事者の経験を介入=描くことができるのかの問題を見捨ててしまった。彼はすっかり当事者になってしまい、その記憶の円満な回復を祝う誘惑に負けてしまった。そこには、苦悩も冷静もいない。だから私は、彼はその描きたがったテーマを80%しか実現していなかった主張したのである。しかし、私は疑問を感じたのである。一体何が新海を本来書くべきテーマから逸脱させたのか。おそらくそれは、彼の「東京はなぜ寂しい場所なのか」の問題に対する処理の曖昧にも関連する。それはどういうことなのか。

4.3東京はなぜ寂しい場所なのかについての処理の失敗

 第2節で論じたように、本作では、災害の扉である「後ろ戸」は人口過疎化と共に荒廃した寂しい場所に現れる。その寂しさは宮崎、愛媛、神戸、宮城では極めて写実的に、社会的に描かれたが、東京だけは、天皇制によって担保された都市伝説として描かれている。我々の解釈では、新海は東京を災害の扉が出る「寂しい場所」として描くことに困難を感じているが、それでも東京に対する災害の描写を諦めたくない執念をもっている。それを解決するために、彼は東京の中でそれらを両立できる対象を探さなければならい。その結果として天皇制に手を出してしまったのである。こうして見れば、新海が天皇制に手を出すのはごく自然な流れに見えるが、しかし、その自然さには一つ大きな欠陥が存在する。それは、今まで匿名的な、グローバルな大都市として描かれた東京が、今作では極めて固有な場所として描かれことだ。新海は東京に何らかの「固有性」を求めており、そのもっとも強固なものとして天皇制に手を出したのである。
 ならば、我々は次のような質問を立てることができる。なぜ、新海にとって東京に「固有性」を求めるのは間違いなのか。なぜ、新海は匿名的な東京を描かなければならないのか?ここで、再び『すずめの戸締まり』のあとがきに戻るとしよう。

 なぜ。どうして。なぜあの人が。なぜ自分ではなく。このままですむのか。このまま逃げ切れるのか。知らないふりをし続けていたのか。どうすれば。どうしていれば。

 第3節で分析したように、ここで新海は災害がもたらした衝撃により、非当事者が当事者の経験を介入=想像できないという越えられない壁に直面して苦悩している。その苦悩を支えたのは、ミラーがいう「無運命」的な態度であった。自分は非当事者が、当事者として死んできいく可能性を持っている。この考えは、もちろん時間的だけでなく――例えば『運命ではなく』の主人公はたまたまあのタイミングであのバスに乗ったから――同時に空間的にもあり得るのである。すなわち、壊滅的な災害は、福島や宮城といった東北地方だけでなく、自分が住む東京に起きる可能性があり、また、自分が当時、東北地方にいたという可能性もありうるのである。そこで新海が考えたのは、東日本大震災を経験できた自分という別の可能性である。『君の名は。』が身体交換を通して、自分が被災地にいたかもしれないという想像を実現したものとして捉えることができるならば、『天気の子』における東京の水没は、災害は自分がいる東京に起きたかもしれない想像の実現だと言えよう。
 近年の新海が、東京が被災地になる可能性に執着しているのは、まさにそのためである。その可能性を通して、震災に介入=描くことを想像的に実現しているのである。今作において、要石にされた草太が東京の地震を鎮めるのに使われたにも関わらず、宮城で救出しなければならないのは、まさにこのためである。それは単なる物語上の設定ではなく、新海の東京と宮城を繋げ、宮城で発生した震災が東京に起きたかも知れない可能性を描きたいからである。それは、震災当時東京にいて、逃してしまった当事者性を空間的想像として回復するための試みである(注7)。東京に対する処理が今作において際立つのは、まさに震災当時東京にいたという事実に向き合う新海自身の苦悩の現れである。だからこそ、『君の名は。』のような作品は、身体交換という屈折した形で、自分が(意識は)被災地にいながら(体は)東京にいるという二重の所在を表す必要があった。
 しかし、東京と宮城をつなぐことができるということは、それは東京もまた他の街によって代替可能であることを意味する。それでも新海が東京に拘るのは、私からすれば、まさに東京というグローバルな大都市がもつ「匿名性」に起因するものだと思われる。震災当時新海が東京にいることが耐え難いのは、単に被災地から離れたことからの罪悪感だけではない。その時、彼が東京にいること自体が「無理由」であることにも関係する。例えば、もしその時、彼はたまたま長野の実家に帰省しているところであれば、そこにはまだ自分の出身地に由来する何らかの固有性に縋ることができる(被災地から遠ざかれ、死を逃れたのは、私の故郷に対する愛があるからだ)。しかし、東京には、そのような縋りを可能にする理由がない。若者が東京にいくのは、東京が持つ固有の性質のためではなく、多くの場合、より良い雇用チャンスや仕事を展開するためのプラットフォームを求めて上京してきたであろう。その雇用やプラットフォームを提供しているのは、決して東京の固有性(皇居とか)ではなく、東京のグローバル資本主義の大都市として「匿名性」である。それは長野から上京した新海にとっても同じである。
 新海が直面しているのは、次のような二重の困難である。東日本大震災が発生したとき自分がたまたま東京にいることに罪悪感を覚える。それを和らぐために、自分が東京にいることに理由を見つけるために、東京がもつ何らかの固有性を見つけ、それに縋ろうとする。しかし、そんな理由はどこにもない。東日本大震災が発生したとき、彼がたまたま東京にいることを説明できるのは、彼がたまたま東京にいること自体しかない。東京という匿名性の都市は、彼が感情を縋ることのできる固有性を何ももっていない。このような同語反復で、究極な「無理由」こそが、新海が東京を拘ることのもっとも核心的な理由である。だから、もし新海は自分が「3.11」に直面するときの苦悩や困難を描きたいであれば、それは自分が東京にいること自体の無理由、「匿名性」によって支えられたこの同語反復的な「固有性」を描かなければならない。言い換えれば、新海にとっての東京の「固有性」=拘りは結局、自分がたまたまここにいるからという「匿名性」によって支えられたものである。新海作品における美しい東京の風景を思い出せ!どこにでもあるようなビル群の乱立こそが、人々に懐かしさを喚起させる美しい風景なのだ!
 今回『すずめの戸締まり』で、「東京はなぜ寂しい場所なのか」について、東京をこのような「匿名性」によって支えられた同語反復的な「固有性」でなく、天皇制に由来する確固たる「固有性」によって処理された時、新海が持つ苦悩やテーマが決定的に失ったと言えよう。しかし、私はここでもう一つの可能性、新海がこれらの失敗を経てなお試みた抵抗があると主張したい。そして、それこそが、私がこれだけの悪口を叩いてもなお、新海はそのテーマの80%を実現したと評する理由でもある。

4.4芹澤の可能性

 その可能性を代表するのは、まさに草太の友人である芹澤朋也というキャラクターである。4.2で述べたように、すずめの災害巡礼の旅は、一方では彼女が非当事者として地元住民の当事者経験に介入=想像する旅で、他方では、地元住民が非当事者としてすずめの当事者経験に介入=旅のエスコートをする、という互いに非当事者であることの構造がある。愛媛ではバイクで、神戸では家庭用の自動車でそれぞれすずめをエスコートした。そして、東京から宮城までの道は、芹澤がオーペンカーですずめを、九州からすずめを追ってきた環さんを目的地までエスコートしている。
 しかし、その互いに非当事者であることの構造は、ここでは失った。すでに論じたように、東京を去ったすずめはもはや非当事者ではなく、完全なる当事者になってしまっている。ここでは、非当事者である芹澤が当事者であるすずめをすべての記憶が集まった旅の終点へと送る構造しかない。すずめは本来、新海非当事者である自分かいかに当事者の経験を介入=描くことができるかの問題に直面する時のある想像的な答えで、そこでは、すずめという当事者を記憶の削除と幽霊的記憶といった手法を使い、その問題を「記憶の不可能性」の問題へと変化させた。それがナラティブのレベルでは、「経験する私」と「叙述する私」の分離として現れ、ロードムービーの形式では、互いに非当事者であることの構造として現れた。しかし、すずめが旅の終点に接近すると、失われた記憶は回復し、純粋な当事者になりつつあった。それは言い換えれば、新海はここで、すずめを通して自分の苦悩、自分の本来表現したいテーマを描くことがもはや不可能になったのである。そこで導入されたのが、まさに芹澤というキャラクターである。
 その他のエスコート役に比べ、芹澤は明らかに違う性質をもっている。それは、彼が代表するのは「地元性」=「固有性」ではなく、東京というグローバルな大都市の「匿名性」である。愛媛の千果は土砂災害に破壊されたあの学校の元生徒で、実家は地元で民宿を経営している。二人の子供の母であるルミさんは、神戸でお爺さんとおばあさんを主要な客層として迎えるスナックバーを経営している。二人は共にある種の「地元性」を表しているが、東京に住む芹澤にはそのような雰囲気はなかった。芹澤はチャラいホスト風の服装をして、髪を茶色に染め、タバコを吸い、格安で譲ってもらった中古のオーペンカーを古い昭和歌謡をかけながら運転するから、無理して格好つけようとするその性格は見え見えだが、本当は教育学部に所属して、教師を目指している好青年である。このチャラい感じと根っこから好青年ぶりのギャップは、彼は東京に必死に馴染もうとする焦りの上京青年であることを物語っている。その姿に同じ上京青年だった新海を重ねることができる。
 主人公である草太に比べてみれば、その非地元=匿名性の性質がより明白になる。草太は、旅人のような格好をしているが、実際はすずめがその事実を知って驚くほどに、東京に家業を代々伝承する一族や古書と古物を大量に集めた拠点がある。江戸時代からか、もしくはそれこそ『古事記』の時代から東京に住んでいる地元=固有性の立場で、だからこそ天皇制を連想するキャラクターである。一方で、芹澤はあたかも上京青年の焦りの現れのように、過剰なまでに東京スタイルを身にまとおうとして、逆に非地元性=匿名性が現れている。一歩引いて、例え芹澤は上京青年ではなくても、せいぜいバブル時代から東京に引っ越してきた家庭の子供である。このような浅い地元性=固有性は――バブル時代の東京はすでに十分匿名的だと思うが――草太という『古事記』の時代からの東京の地元性=固有性に比べたら、非常に弱いものである。
 こうして見れば、東京から宮城までの道で、すずめが完全な当事者になったから、その代替として新海の非当事者性を引き受けたのがまさに芹澤である。草太が東京の固有性の代表でれば、芹澤はいわばその匿名性の代表である。震災当時自分はなぜたまたま東京にいて、死から逃れることができたかという苦悩に新海は直面し、そこで本来出すべき答えは、たまたまそこにいたこと以外、何の理由もないことだった。芹澤こそが、これに対応したものとして、新海が出すべき「東京の匿名性」という答えである。しかし、新海はやはりその「無理由」、「無運命」の苦悩を克服しようとする誘惑に負けて、天皇制という「東京の固有性」に縋ってしまった。芹澤は言わば、新海が天皇制の罠に陥る直前で行われた最後の抵抗である。
 すずめを宮城へとエスコートする最後の旅で、新海の最後の抵抗を表しているシーンは、次の二つのものがあった。一つ目はこうである。福島の帰還困難地域に入った後、地震警報が鳴り、ミミズの出現を警戒して、すずめは丘に登り、周囲を観察するシーンがあった。すずめを心配して、芹澤も追いかけて丘に登った。丘から見渡せる風景は、汚染物を積んだ袋があちこちに点在するにも関わらず、澄み渡った空と生き生きとした畑とエメラルドグリーンな水平線が広がっていて、それを見た芹澤は思わず「このへんって、こんなにきれいな場所だったんだな」と言った。それを聞いたすずめは驚愕した顔で返したのは、「え?」「ここが――きれい?」の言葉だった。
 まさにここで芹澤は新海と同じ苦境に立たされたのである。震災を経験したことのない彼は、すずめはあの一瞬、美しい風景を前にして一体なにが見えたのかを想像することはできない。そして何よりも耐え難いのは、その想像の試み自体が、すずめの強烈な拒絶によって禁じられたのである。すずめの気持ちを自分のものとして想像し、感じることが、倫理的にいけないことだと思い知らされたのである。ここで、新海はアドルノの立場に後退したように見える。「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」と同じように、「すずめに拒絶された後、彼女の目に映った景色を想像することすら野蛮である」。もちろん、このシーンを新海が直面した苦悩の反復として捉えることはできるが、しかし、それは非当事者が当事者の経験に介入すること=描くこと=想像することの正当性を放棄してよいとは決して意味しない。なぜなら、それを放棄してしまったら、この映画がフィクションとして東日本大震災を介入する=描くことができなくなるからである。
 芹澤は新海の代理人として、非当事者が当事者を介入=描くことの不可能性を再び直面する。次のシーンもこれを表している。すずめ一家(すずめと環さんと要石である猫2匹)を載せて宮城に入った後、猫が突然喋りだしたことで驚いて、事故になった。事故で動けなくなったオーペンカーと芹澤を置き去りにし、残りの20キロをすずめは走っていこうとした。その時、環さんは道端に廃棄されたママチャリを拾い、猫2匹とすずめを載せて故居に向かっていく。東京からのオーペンカーと芹澤は置き去りにされ、災害の当事者であるすずめ一家は地元に捨てられた自転車で終点に向かっていく。非当事者と当事者の越えられない壁を、非当事者であることの介入=表象の不可能性を、このシーンはすべて物語っている。そこで置き去りにされたのは、芹澤だけではない。本来非当事者だったすずめ、そのすずめに自分の非当事者性を重ねて苦悩を描こうとする新海自身、そして私のような観客、皆まさにこの瞬間で置き去りにされたのである。
 物語の最後、すずめと草太が常世から帰還した際、芹沢はボロボロのオーペンカーと一緒に、そこで待っていた。芹澤を見て、二人は彼がここまでついて来た理由を語り始めた。どうやら、草太が自分から借りた2万円を回収するために来たのは芹澤の嘘で、本当は芹澤が草太から2万円を借りたのである。このシーンは単に芹澤の友への優しさの表現なのか。おそらくそうではない。私の目には、それは彼が新海の代理であり、どうしてもすずめの災害の経験に介入したい=描きたい苦悩として映ったのである。だから途中で事故にあったとしても、彼はなんとかしてここまできた。たとえ、事件が解決=発生する瞬間をすでに決定的に逃したとしても。それは、新海にとっても同じことである。

5.結論

 長い分析を経て、我々はようやく『すずめの戸締まり』に対する最終評価に入ることができる。我々の議論では、新海が本来描きたかっているテーマは、彼が東日本大震災を直面した後の苦悩であった。その苦悩は、非当事者である自分がいかに当事者の経験を介入=描くことができるのかの苦悩である。その苦悩は表象不可能性の問題として、哲学・文学史上の議論、文学はホロコーストを描くことが可能かと合致するものである。この文章はフィクションが当事者の経験を描くことが可能であるという立場に立ち、ナンシー、ミラーなどの議論を参照しながら、その可能性を次のように示した。それは、災害そのものの円満の再現ではなく、その表象不可能性そのものと、それに直面する時に人間がもつ普遍的な態度を通して、間接的であるが、描くことが可能である。そのような普遍的態度は一種の苦悩として、『すずめの戸締まり』ではある程度表現することができたと言える。それは、まず幽霊的記憶、「経験する私」と「叙述する私」の分裂といった手法として現れ、新海はこれらの手法を通して、災害経験の表象不可能性の問題を記憶不可能性の問題へと変換させた。しかし、その表現は映画の半分しか続かず、後半では「3.11」という固有名に拘るあまりに、記憶を円満に回復してしまい、記憶不可能性をテーマが破産した。次に、震災当時自分がたまたま東京にいたことから感じる死の偶然性を、新海は匿名的な東京を壊滅させる想像力として表現しようとした。しかし、その表現は、最終的に東京を固有的なものとして捉える天皇制的な傾向に覆い隠された。苦悩を引き受けるではなく、それを円満に克服しようとする誘惑に新海は負けてしまった。記憶の不可能性と匿名的な東京という二つのレベルにおいて失敗した新海は、芹澤を自分の代理人にし、非当事者であることのテーマを描こうとする最後の抵抗を展開したが、すずめの拒絶と車両の事故といった象徴的な出来事によって、それも破産に追い込まれた。
 以上の分析から、我々はこの作品から、二人の新海の存在を見出すことができる。一人の新海は天皇制に縋り、「3.11」に拘り、この作品を天皇制をもって日本列島を救う「正しい映画」として描いてしまった。もう一人の新海は、映画の狭間で、自分が本来書くべきテーマ――フィクションは果たして表象不可能な災害を描くことが可能か――を強調し、非当事者と当事者を隔てる越えられない壁に直面するときの苦悩を、命を削りながら描こうとしていた。しかし、苦悩する新海が行った試みは最終的に「正しい映画」を作る新海に負けてしまった。そのため、『すずめの戸締まり』はある矛盾を抱えた映画になったのである。それは、一方では自分は「3.11」を描いたと主張するが、他方では非当事者を置き去りにし、フィクションが表象不可能な災害を描く可能性自体を否定してしまった。そこで、新海が成し遂げたのは決して「3.11」についての「表象」ではない、ナンシーが言うような、ある名についての標識だけである。
 新海は果たして、どうすればその描きたかったテーマを表現できるであろう。私の答えは極めて簡単である。そんなに変わる必要はない。ただ「3.11」という固有名への拘りを捨てればよい。固有名は、ある特定の対象の性質を一挙に指し示す力を持っているから、固有名への拘りは、対象の円満なる再現に対する欲望を喚起させる危険性がある(注8)。その拘りを捨てることはつまり、「3月11日」という日付を「3.11」という固有名から解放することである。「3.11」というのは本来何の意味もないただの匿名な数字であり、日付である。しかし、この十年以来、この数字が固有名として流通し、その匿名的な性質が失われた。その本来の匿名性を取り戻すことは、別にその固有名の部分を消すという意味ではない。そうではなく、固有名では一挙に指し示すことのできない余剰を示し、それを相対化することを意味する。このような固有名でありつつ、匿名性に開かれる性質は、まさにある出来事と別の出来事をつなぎ、非当事者が当事者の経験を想像可能にする性質そのものである。そして、それが新海が本来描きたかったテーマである。
 その相対化は具体的にどのようなものなのか。私は芹澤が福島の帰還困難区域に向かって発したあの言葉――「このへんって、こんなにきれいな場所だったんだな」――こそが、災害の固有名から被災地を解放させ、相対化することでそれを救うことのできる独特な感性だと思う。新海は『君の名は。』が公開された後、宮城の映画館に登壇し、『君の名は。』の企画の原点は、2011年7月彼が宮城に訪ねたことであると告白した。まさにこの旅の途中で、彼は被災地だった浜辺にはサーファーが集まり、街を破壊したはずの波に乗って楽しんでいる光景を目撃した(注9)。被災地の浜辺が同時に娯楽の地でもあるその二重の性質に、固有性に匿名性が重なり合う時に発生する救済の可能性を、新海はそこに見出したのである。我々の下にあるこの土はたくさんの災害はあったし、たくさんの幸福もあった。これからは、たくさんの災害はきっと起きるだろう、しかし、それと同時にまたたくさんの幸福はきっとここにある。ある土地を、名付けられたものではなく、ただその土地として捉える時のみ、そのような救済が可能である。2011年の3月には、たしかに震災があった、しかし、きれいなものもいっぱいあったと思う(注釈7で述べられた3月の桜の話を思い出せ)。福島の跡地にも、寂しさだけでなく、美しい風景があった。このような固有性の上に匿名性をかぶるやり方こそが、あるいは天皇制よりも遥かに有効な「鎮災」かもしれない。だからこそ、新海は『君の名は。』のあの有名な一シーンを描いたと思う。一つの村を壊滅させる隕石は確かに恐ろしいものであるが、しかし東京、そして世界の人々からすればそれは「まるで夢の景色のように、ただひたすらに美しい眺めだった」。もし、新海が『すずめの戸締まり』で、例えそれが物語の最後一秒でも、不確かな思いつきでもいいから、芹澤が発する被災地は美しいというメッセージを、すずめに少しでも肯定してもらえたら、映画全体はきっとまったく違う色に映ったであろう。


注釈
*1、『新海誠監督作品 言の葉の庭 美術画集』p119を参照する。
*2、草太家下のコンビニでバイトしている外国人店員を思い出してみよう。
*3、ジャン=リュック・ナンシー著、西山達也・大道寺玲央訳『イメージの奥底で』以文社、P72
*4、同上、P81~82
*5、The Conflagration of Community: Fiction Before and After Auschwitz、University of Chicago Press、2011。日本語に翻訳されておらず、ここでは中国語版を参照している。
*6、『すずめの戸締まり』は被害者としての想像であるならば、『天気の子』は加害者としての想像として捉えることができる。
*7、当時新海が東京にいることについては、以下の発言を参照している。「2011年の3月に僕自身は東京にいたのですが、3月末に桜が咲いたことに驚いた。こんなときにも人間とは関係なく、桜は咲くんだ、どこまでも冷徹で冷酷で僕らに無関心なのに美しい。」https://www.oricon.co.jp/news/2254500/full/
*8、「3.11」を見るだけで、記憶が一気に回復するすずめを見よう。それがまさに固有名が持つ対象を一挙に指し示す力だ。
*9、こちらの動画を参照している。https://youtu.be/AK1MuZp1x4I


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