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その6最終話
「シマンコフの遺言」
唐突だが、あなたにとっての「蝕」はいつだろうか?
蝕、そう、あの蝕である。
経験が無い人も多いかもしれない。
だが、このシマンコフにはある。
資本主義社会の贄とされたことに憤慨し、満足な抵抗も叶わなかった自分の無力さに赤面した蝕があるのだ。
「お前に(給料を)払う価値は無い」
自分の上司に面と向かって言われるのはまだしも、そう言われて
その5
その4
第四話(全六話)
本作の題名は『勤め人の傍ら転売業を仕掛けてノウハウを手に入れ、輸入総代理店に成って若くして豊かに勤め人卒業する方法』となっている。
今一度、この表題を味わってみる。まず『勤め人の傍ら転売業を仕掛けてノウハウを手に入れ』の部分。まさに字面の通りだが、勤め人の傍らで行なっているというところがポイントだ。最初からノウハウがあったわけではないし、勤め人をしながら積み上げたとい
「vol.3 勤め人の傍ら転売業を手掛けてノウハウを手に入れ、輸入総代理店に成って若くして豊かに勤め人卒業する方法」
byネイビー
事業をしていると手詰まりになる、壁が出てくる、そんな局面がある。
超えれそうで超えられない絶妙なラインだ。
物販にせよアフィリエイトにせよ、
勤め人脱却を志しサラリーマンの副業としてスタートした人がほとんどだろう。
初めの頃は「給料にプラスして10万円も入って
「勤め人の傍ら転売業を手掛けてノウハウを手に入れ、輸入総代理店になって若くして豊かに勤め人を卒業する方法」
講師:シマンコフ・A・リョウスキー
第2話
紹介文著:聖丁軍末端兵卒リオン
講師であるシマンコフ氏とは聖丁倶楽部で何度も顔を合わせ、
昼は一緒にDIYで汗水流し、夜は風呂で裸の付き合いをし、
夜な夜な酒の席でシマンコフという芸名の誕生に歓喜した仲だ。
彼の人柄というのを軽く説明し
第四話(最終話)
ボロ物件のDIYセルフリフォームを身に付けたなら、それを本業として独立自営ができるようになる。それは勤め人卒業の道を半ば達成したことになるのだが、その過程について、最後に詳しく説明しておきたい。
まずメタな話をすると、この業界もだいぶ時間が経過しており、新たなステージに入っている。10年前には、不動産業界においては傍流も傍流、少数派の手法だったボロ戸建投資、そしてDIYリフォ
第三話(全四話)
聖丁の発信を聴き続けているリスナーの中には、何度か、聖丁が自身のボロ戸建再生手法について言及した場面を記憶している人もいるかと思う。それはラジオだったり白熱教室だったりセミナーだったりするのだが、そこで聖丁はいつも「頑丈なリフォームをしている」と語ってきた。これは、ボロ戸建の残地物を捨てて、一通り掃除をしてすぐに貸す不動産投資家や、もはや残置物処理や掃除もせず、買ってそのまま貸
弊社社員のリオンさんより商品紹介文が来ました。なお、商品紹介文を書いてくれではなく「俺の話を聞け」をテーマに一筆お願いしますと、オーダーしております。
我が聖丁倶楽部のことや、オーディオについて、書いていただいております。
-----以下リオン著-----
僕の名前はリオン。
聖丁社員の一人で聖丁倶楽部で兵卒として働いている。
その傍らVoicyで発信している内容を元に地元の関西で不動産大家業
友情出演のネイビーさんからオーディオの紹介文いただきました。
物凄い勢いでボロ戸建てDIYの実力を伸ばしているネイビーさんですが、ゆくゆく銀行融資やっていく時に、レバレッジの支点の強度が問われることになろうかと思いますが、盤石の支点からそのうちグングン融資額を増やしてゆくように思います。かつてのタケゾウさんがそうであったように。
------以下、ネイビーさん著------
このDIY編は3つ
第六話(最終話)
「そもそもなぜ、不動産事業を始めたいのか?」
全ての原動力はここから始まる。Vol.2の紹介文にて、不動産からの賃貸収入は「勤め人の給与」という鎖から逃れるための手段であると述べた。生殺与奪権の奪還を目指す行為であると。そしてその方法には、本作のように不動産賃貸業をするのはもちろんだが、他にも個人事業主として、美容師になったり、飲食店を営んだり、翻訳家として独立する方法もある。
第五話(全六話)
本作では「メンタル」「マインド」の解説にも重きを置いている。いくら知識や経験が増えたとしても、このメンタル・マインドという精神的な部分での成熟がなければ、ボロ戸建の再生と賃貸経営という「事業」を運営していくことはできないからだ。つまり「事業家マインド」を身につけることが必須だ。
そこでまずは、事業家マインドとは対極的な精神性である「消費者マインド」「勤め人マインド」について考え
第四話(全六話)
福岡県、北九州市。かつての門司市、小倉市 、若松市、八幡市、戸畑市の5市が合併し、1963年に「北九州市」は生まれた。関門海峡に面し、九州地方の玄関口として栄えたこの土地は、永らく九州で最大の人口を誇る大都市であった。古くは明治時代に富国強兵の旗印の下、八幡製鉄所が官営され、それに連なる筑豊炭田、さらには門司港といった港湾も備え、1960年頃には人口100万人を超えた。ここ北九