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ズレた世の流行も、僕の頭悩ます

「Klang Rulerのタイミングって曲が最近めちゃいいよ!」

という会話が聴こえてきて、とても悲しくなった。悲しくなりすぎて吐き気がした。


いや、分かるけどね。Klang Ruler“バージョン”もめちゃいいのは。


周る周るよ、時代は周る。だからタイミングという曲が現代に受け入れられるのは、すごく嬉しい。

でも問題はそこじゃない。問題なのは会話をしていた彼らが、タイミングを完全にKlang Rulerの曲だと思い込んでいたところだ。


彼らの認識はきっとこう。
Klang Rulerという人たちがタイミングという曲をオリジナルで作って、それがTikTokで流れてきて最近流行っている。そんな感じだろう。

見た目は完全に大学生だったから、たぶん20歳くらいだった。そりゃ知らなくても仕方ない。


タイミングという名曲が、いつの時代に流行ったっておかしくない。だから、20歳くらいの人たちがそれを知って日常会話に出てくるということは喜ばしいことだし、本当なら嬉しい感情が生まれてくるべき事象なのだ。


でもなんか違うんだよ、流行り方が、伝わり方が。
自分が思ってた流行の仕方と、世間にはズレができていることを痛感した。

2020年代の音楽の流行り方が自分は大嫌いだ。
まだ20年代に入って3年しか経過していないけど、これは断言できる。

音楽っていうのは、TikTokとかそういうSNSで自分を着飾って身体揺らすための道具じゃねぇんだよ

と心の中でずっと思っている。
お前は音楽のなんだんだと思われるかもしれないけど、そんなのはどうだっていい。人が弾いて打ち込んで奏でる、人が作った音楽が好きな成人男性の主張だ。

と言いつつ自分も“ブラックビスケッツの”タイミングが流行った世代ではない。その時代を生きたわけではないし、当時の思い入れは特にない。

でもだからこそ、こんな素敵な歌が残って自分の耳に届いたことが嬉しくて、今でもこの曲は大好きだ。もちろんKlang Rulerのタイミングも、とても素敵ですごくいい曲だった。(あとフレンズがカバーしてるのも凄く良いから、聴いたことない人は聴いてほしい)

結局は受け取り側と発信のされ方の問題で、それによって若者に誤った情報だけが送られてしまう。受動的に入れられた情報だけを信じて、それが誤りだとも気づかぬまま、拡散していく。

あの若者たちはタイミングを聴いても、ウッチャンナンチャンが頭をよぎることは一切ない。それにタイミングだけじゃなくてセカオワの虹色の戦争とか、sumikaのフィクションとかを聴いても同じ縦長の画面で踊る若者たちの映像ばかりが浮かんでくるんだろう。

アイデンティティがない、生まれないってこういうことなんだろうな。12年も前に言葉に記して音楽として世に出した山口一郎ってやっぱ凄すぎるわ。


あと最近すごく思うのだけども、今の10代は大人になってどんな音楽を“懐かしい”と思うんだろうか。

1996年生まれの自分は、
幼少期にモーニング娘。やSMAPなどが流行り
中学生でAKB48とか嵐とかが流行り
その間にB'zとかミスチルとかがずっと名曲を出し続けている世界を生きている。

現代はSNSであっという間に曲が流行ってあっという間に忘れ去られていく。流行のスピードが早すぎて、1年単位で懐かしいが生まれてしまう世界になってしまった。
失礼を承知で言うが、当時から今も現役のまま、瑛人の香水にハマり続けている人はたぶんいない。

でも残念ながら、そういう世界がもうスタンダードになりつつあるし、流行なんてものは小さいものが単発でたくさん出てはすぐに消えていく世の中になっている。音楽も使い捨てされる世の中になっていると思うと、そんな現代が気持ち悪くて吐き気がする。

そのうち懐かしいという感情もお粗末になっていくのかもしれないな。現代を生きる上で、音楽を聴いて懐古することは限りなく減っていくのかも。

でもそんな人間にはなりたくないな。
もしも生まれ変わっても、また私に生まれたい。

ズレた現代と自分との価値観に頭を抱える生き方になったとしても、それがいい。

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