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ノラカドウ_発見30 目立たなかったワキ毛的突出。

回のノラカドウ物件、これは10年以上通い続けた通勤路の公園にありました。突出するナニかを感じることもなく、そのノラカドウ的シグナルを見逃し続けてきた10年以上の時間をどう受け止めたらよいのでしょうか?そんなんで家元なんて言っていいのか?という思いもあるのですが、物件についてあれこれ述べちゃいます。まず、何がオカシイのかに気づけないヒトがいるだろうなと想像します。だって10年以上見逃されてきたわけですからね〜。要は滑り台下の日陰になぜか草が生えていて、周りの日向には草が生えてい

    • ノラカドウ_発見29 看板の「にわかにハテナ効果」

      この写真、どこといって変わったことのない歩道に設けられた植栽かと思いきや、看板に私有地とあるのを見た瞬間から、もやもやが沸き起こります。これをノラカドウと言っていいのか?基本的に造園的なものだし、野良と言うよりも管理保守されてるあたりも非ノラカドウ系。でも看板の「私有地」を見て頭には?が浮かぶのです。意味はわかるけど意味不明みたいな感じ。でこの場合、看板に書かれた「私有地」というのは、名付けの作用を持っているような気がします。「私有地」を主張してますが、実際の物件は、どこと言

      • ノラカドウ_発見28 境目に「杜撰や適当」が有るみたい。

        週末実家田舎暮らしで発見の物件です。裏庭中の刈り取った草木をせっせと集めて積み上げてるんですが、この小山のようなものに境界はあるのか?って話ですね。集めては見たものの、この積み上がったものと地面の境目がよくわかりません。でもって境目がわからないのに小山を認知できるってどういうことなんだろ?みたいな事を考えてしまいました。なんだかね、近寄るとわからなくなるれど、離れると周りから逸脱した形でそれは小山に見えるのですね。ああ、距離ってことが大事なのね。目に映る要素とそれらの関係は距

        • ノラカドウ_発見27 少女漫画的タケノコの図。

          よ〜く手入れが行き届いていたなずなのに、なぜここに筍が? というか竹になりかけてますけどそれは置いといて、竹林の中に紛れるように生えてるのが筍が、何故か一面の花畑的ツツジの植え込み?に存在するだけで、もうなんだか「おっかしい」のです。思うに、これは人為のなせるところからこぼれ落ちてしまうカタチで出現したノラカドウ物件じゃないの? だって金網の向こう側には、しっかりと管理されてそうな竹林が見えます。この花畑的ツツジの植え込み?も多分造園的に管理されたナニかだと思います。そこに地

        ノラカドウ_発見30 目立たなかったワキ毛的突出。

          ノラカドウ_発見26 畑の、とにかくすごい有様。

          最近は空き家になっている実家の手入れで週末田舎暮らしを余儀なくされてます。今回はそこで発見したノラカドウ的物件。耕作放棄でエラい事になった畑を手入れしていますが、そこで困ったのが茅の株です。とても人力で引き抜けるものではない。というわけで近隣の農家さんにお願いして重機で掘り起こしてもらいましたら、こんな物件が出現しました。発見11と同様の「生々しい」佇まいでございます。地上部に茎や葉が会って地中には根が有ると言う尋常の植物の在り方ではない有様。存在感がすごい!という手垢のつい

          ノラカドウ_発見26 畑の、とにかくすごい有様。

          ノラカドウ_発見25 漠然としちゃう?

          ウ~ン今回の物件、まあノラカドウだよね。とのっけから認定しちゃいます。四角い窪みとそこに置かれた花(薔薇かな?)の有り様には文句有りません。でもね、実はなんだかこの花が置かれた構造物がなんだかとても気になる。パッと見、道祖神的な佇まいでもありますが、一方で工業生産物的なフォルムでもありますね。要は自分は一体コレが何であるかがワカラナイ。だから構造物の意味やら用途やらが見いだせないわけです。四角い窪みに花が置かれていても、そこに意味や認識のズレを見いだしにくいのです。今までのノ

          ノラカドウ_発見25 漠然としちゃう?

          ノラカドウ_発見24 樹木か木材か?

          通勤途中に突如現れたノラカドウ的物件です。ビックリなくらいにスパッとやってます。ためらい無しの「意志の痕跡」という具合。ノラカドウは人為・人工的なモノって観点からすると、まぎれも無い人為が見て取れます。しかも意志ありのヤツ。で、今までのノラカドウ物件を見直すと、概ねが景色の中に隠れている事象をすくい取るというパターンが多い。だからこそアーカイブリンクに「発見」というコトバを使っているのですが、この物件にお似合いなのは発見というよりも遭遇です。なんだか「あらまぁ」という感じで二

          ノラカドウ_発見24 樹木か木材か?

          ノラカドウ_発見23 いわゆるひとつの額縁問題。

          強い雨が降った翌日、通勤途中でこの物件を発見しました。あれ、これって絵だなと思った訳です。排水溝の四角がひとまず絵を想起させるのだと思いましたが、いや待てよ、じゃ周りのゴミのようなゴチャゴチャってなんだ?額縁というには強い存在感と言うか、むしろコレが有っての絵のようなものじゃん。というふうに思った訳です。絵と額縁の問題ってのは誰彼となく言及してきた問題ですが、そう考えるに、これは問題作じゃんと私めのセンサーが反応した訳です。で、さらに、実はこの写真を何か適当な題名をつけて現代

          ノラカドウ_発見23 いわゆるひとつの額縁問題。

          ノラカドウ_発見22 いいからちょっと残しておこうぜ。

          知人の結婚式の会場の庭で発見しました。まあ雑草なわけですが、庭に置ける絶妙な位置にポツネンと生息していたわけです。式場の手入れの行き届いているはずの庭であれば、何故これがここに?という疑問が当然沸いてきますが、まあポツンとコレが生えていたのです。庭の管理はいったいどうなっているのだ?なんてお叱りを受けても致し方のない事態ですが、たぶんこれ「抜きがたい気分」が式場の庭管理者に起きたのではなかろうか?などと想像しちゃう訳です。だってカワイイというか、気配があると言うか、まるで芝生

          ノラカドウ_発見22 いいからちょっと残しておこうぜ。

          ノラカドウ_発見21 ブロンズ像は「根が真面目」

          これ、なんかそこはかとなく笑っちゃう物件ですが、それは何故か? 今回のお話はその辺がポイント。なんかブロンズ像って「真面目」かつ「意味」を持ち合わせてるヤツが多いでしょ。そりゃまあモニュメントなんだから当たり前と言えば当たり前の話なんだけど、それ故にブロンズ像になんらかの+αが付加されると、託されていたはずの「真面目」や「意味」が崩壊しがちだよねって話です。クラスの真面目さんをからかうみたいな気分で、公園とか駅前広場とか、まあ全国のアチコチに点在するブロンズ像に「やあマジメ!

          ノラカドウ_発見21 ブロンズ像は「根が真面目」

          ノラカドウ_発見20 どんなサウンドが鳴っている?

          この物件は一見分かりやすく綺麗?と思うんだけど、でもなんだろな?変な感じがする。なんだか和風とも洋風ともつかない変な空気感。和風に見えるのは、たぶんそれは紅葉のせいだって思いましたが、一方で洋風と繋がるような、例えばイルミネーションとかクリスマスツリーのような賑やかさも画面に漂います。このどっちつかずのイメージを認識としてどう収めていいのかが分かりません。グッとくるものが有ったので写真に収めたのは確かなんですが……… で、この写真を外国の方に見せたらどう思うのか?ってのが気に

          ノラカドウ_発見20 どんなサウンドが鳴っている?

          ノラカドウ_発見19 ココロで囲めば見えてくるもの。

          今回の物件のポイントはサイズ感。まあ本家の華道の方は、概ね小さいサイズで成り立ってます。デカイと言っても「会場の真ん中にデ~ンと置かれるオブジェ」みたいなサイズどまりかなと。でもコッチはこれが当たり前というか、普通サイズなわけです。要は建設予定地が空き地になって、そのうち、立て看板が立ったりロープなんかで囲まれたりして、そこに雑草が生えてという状況なんですが、このなんかで囲まれてというのが味噌ですね。まあかっこ良くいえば、そこに結界を生成されたわけですね。それが無ければ、ただ

          ノラカドウ_発見19 ココロで囲めば見えてくるもの。

          ノラカドウ_発見18 クリーチャーにお供えだ?

          今回の物件は「お供え物件」ですね。発見02のやつと一緒!いや待てよ?これ同じかな!?何かが違うような感じ。というのはこれって「ホントにお供え」なわけです。たぶん幼子の仕業だろうけれど……… で、疑問なのは、子どもにとって「お供え」ってのが、どう認識されてるか?ということ。神とか仏だけに限らず、祈りの対象というものがあって、それがなければ「お供え」って成立しない。ヒトには霊性的なものを感受出来る能力が有り、それを対象化することが出来るんだと考えれば、幼子でも「お供え」という行為

          ノラカドウ_発見18 クリーチャーにお供えだ?

          ノラカドウ_発見17 「見た事が有る」と「見た事が無い」の間

          今回の物件をノラカドウとすべきかどうかで迷ってます。なんとなく発見10の物件と同じように見えるけど、実は違う。そんな気がしてならない。いずれも放置された自転車に植物が絡んでという事なんだけど何かが違う。そこが引っかかる。この二枚の写真を意味解きor意味付けすると、なんだか主題となるところが違います。発見10の主題は生起している状況で、今回の物件の主題はキレイに咲いた朝顔ってことみたい。発見10では、その状況に意味を読み取ってノラカドウとしたわけですが、今回の物件は朝顔が発散す

          ノラカドウ_発見17 「見た事が有る」と「見た事が無い」の間

          ノラカドウ_発見16 沈黙交易ノラカドウ

          柿の青い実がなぜかフェンスにところに置かれてた訳です。燐家の庭の柿の木から、転げ落ちた青柿が偶然にそこに嵌まったのかとも思いましたが、フェンスの構造上、明らかにこれは誰かに置かれたものなわけです。あらら、景色に「置かれていた」という人為が入っていましたよ!まあ、青柿はまことに可愛く美しい佇まいですから、ノラカドウ的観賞に充分に耐えるもので、それをもってノラカドウと断じても良いのですが、興味の矛先はやっぱりこの人為の痕跡に向いちゃう訳ですね。で、この柿を見ながら、なんだか急に、

          ノラカドウ_発見16 沈黙交易ノラカドウ

          ノラカドウ_発見14 マッスに出来心!なのかも?

          まあ事情は分かりますよ。これ残しておこうという判断があったわけでしょう。というか面倒くさかったって事なんだろか? 巧まずして「面倒くさ」という人為が入り込んだ造形ってことかもね。で、気になるのはこの木を切ったヒトの意識。どこに鋸をあてるか?ってところ。まあ切り易いところで切ったんでしょう。そもそも面倒くさいんだから。でも中途でなにがしかの出来心が沸いてしまった!? 特に右側の入り組んだあたりをスパっと行かなかったのは何故?それは「造形が刺激となって出来心が生まれちゃった」とい

          ノラカドウ_発見14 マッスに出来心!なのかも?