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アメリカのマヨネーズ

1994年秋、あこがれのアメリカ留学生活が始まった。夢のニューヨークだったけど、1か月もするとやっぱり日本の味が恋しくなる。
そういう時、最初は日本食料品店でカレールーや納豆や豆腐などを買っていたが、高いのでそうしょっちゅうは行けない。そうなってくると、普通のスーパーでなんとか似たような日本の味を探すようになる。そこで見つけたがっかり食材を紹介する。
まずはマヨネーズ。これはどこから見てもおんなじに見えるし、そもそもマヨネーズはアメリカの方がおいしいだろうと大きいのを買って失敗(小さいのなんて最初からないんだけど)。
ポテトサラダを作ったらなんか違う。塩気が足りないのかと、塩を加えてみてもただしょっぱくなるだけ。キューピーや味の素のとは全然違う。味が薄いとかまずいとかじゃなく、違う食べ物だ。これじゃ、かの有名なマヨラーたちも刺身やごはんにつけないだろうな、という味。一体何が違うのか。
このほか、アメリカには食パンというものはないし、コーンスープもおよそ想像だにしない味わい。これは見た目がそっくりなだけにショックは大きい。バターも雪印や四葉バターとは似て非なるものだし、野菜も、特にきゅうりは、誰がなんと言おうとあれは“きゅうり”じゃない。
 
そんなある日、ダウンタウンに日本人が始めたパン屋ができたと聞いた私は、早速出かけて行って、“食パン”を一斤買った。6枚切り。トーストにしたら絶対においしい厚み。そしてきめの細かさ。いくらかは忘れたけど、地元のスーパーで同じ重さのパンを買ったら、三つか四つぐらいは買えそうな値段だった気がする。それから、日本食料品店に行き、雪印バターとキューピーマヨネーズと味の素のコンソメときゅうりを買い、地元のスーパーにも寄って、コーンクリームの缶詰とじゃがいもとハムと卵を買った。
家に帰って早速調理開始。じゃがいもを塩ゆでしている間に、薄く切ったきゅうりと玉ねぎの塩もみを作り、ハムは小さく切る。じゃがいもが軟らかくなったらお湯を捨ててそのまま鍋をゆすり、粉ふき芋を作る。ああ、このまま雪印バターを添えたらどんなにおいしいだろう。だが、今日はじっと我慢して、そこへハム、きゅうり、玉ねぎを入れ、キューピーマヨネーズであえる。味を見て、ちょっと塩コショウを足す。同時進行で進めていたスープの味も見る。これは、コーンクリーム缶に水と牛乳と味の素コンソメを入れてゆっくり温めながらかき混ぜるだけ。あの味は、材料さえそろえばこんなに簡単に再現できるのだ。タイミングを見計らってパンをトースターに入れる。雪印バターは貴重品だから、使う分だけ切ってお皿の隅に大切に盛つけてある。ジャムと塩こしょう、別にゆでておいた卵、それにナイフとフォークもテーブルにセット。さあ、これでトーストとポテトサラダとゆで卵とコーンスープの朝ご飯ができあがった。コーヒーメーカーからはいい香りが漂う。時刻はもうお昼だったけど、これぞ、にっぽんの喫茶店モーニング!われながら、完璧な仕上がりだった。自分で作った朝食に目頭を熱くしたのは、後にも先にもあのときだけだったかもしれない。
考えてみればどれも日本では簡単に食べられるものばかり。アメリカではだいぶ高くついたが、そういうものの大切さを知ることができるのも留学の良いところなのかもしれない。
 
あれから数十年。年を取って冷静になってみると、これらのアメリカの食材に対する不満の正体が見えてきた。どれも米のごはんに合うように作られていないのだ。日本のマヨネーズもバターもコーンスープも、パンはもちろんだが、ごはんとだって相性がいい。そして食パンだって、そもそも「ごはん」の代わりとして作られたものにちがいない。だから、コロッケやとんかつや魚のフライなんかと一緒に食べても抜群においしいのだ。つまり基本は米なんだ。たぶんだけど、日本のスーパーに並んでいるものの中に米と相性が悪いものはないんじゃないかな。そう考えると、食文化が根本から違うアメリカの食材に悪態をついた若き日の自分を反省する。アメリカのマヨネーズ、ごめん!次はアメリカにしかない、おいしい食べ物のことを書くよ。

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