「追求主義」という人生哲学を、AIと共同開発した話

自分の人生哲学を言語化したいとき、AIとの対話はとても有効です。AIと対話をしながら、自分哲学論を作るはとても楽しく、オススメできる体験です。

自分の場合は、「追求主義(Pursuitism)」とでもいう理論が生まれました。

※注。この「追求主義」はストイックな哲学なので、精神的に不安定な状態の人には推奨できません。一方で心が健康な人々にとっては、これは逆に精神の安定を強化する道具になるでしょう。



追求主義とは?

追求主義とは、一言でいうと「今、この瞬間」を最大限に活かすことに特化した哲学です。この思想は、各瞬間での最善を追求し、それを積み上げ続けることを「人間の理想的な生き方」と定義します。


失敗と成功について

追求主義では、成功も失敗も価値の基準にはなりません。なぜなら、これらの結果は多くの外部要因や偶然性によって左右されるからです。追求主義が重視するのは、それぞれの瞬間で最善を尽くす行動をとり続けたかどうかです。

運や境遇について

さらに、追求主義は貧富、才能、運などの要素を、人間がコントロールできない初期条件や環境要素とみなし、本人の評価と分離します。たとえ最悪の境遇であっても、最善を追求し続ける行動は素晴らしいと考えます。逆に、最高の環境でも、努力を怠る行動は恥ずべきと考えます。追求主義では、変えられない環境要素を嘆くことや、それを自慢することは無意味であり、与えられた状況で最善を尽くす行動だけが評価されます。

結局のところ、追求主義の中心的な考え方は、どんな状況であれ、その瞬間で可能な最善の行動をとることに全力を注ぐことです。生まれや病気、才能不足、失敗などに直面していても、その中で最善を尽くし続けるなら、その行動は富や成功よりも賞賛に値します。それが追求主義の考え方です。

完成した追及主義者にとっては、病気も敗北も死も、もはや不幸たりえません。どのような境遇であれ、その環境下での最善を尽くせれば、それは追及主義者にとっては、成功であり勝利であり幸福だからです。


時間に対する観念について

追求主義は「今この瞬間」に焦点を当てる哲学です。この哲学では、過去を悲しむことや未来(例えば死や老い)を恐れることは無意味とされます。過去と未来は、現在を最善に生きるための参照点やシミュレーションとして扱われます。

追求主義の第一段階である「今この瞬間」を追求するという概念は、個々の現在の瞬間に最善の行動を尽くすことを強調します。これは、過去に囚われることなく、未来に怯えることなく、あるがままの現状に全力を尽くすことを意味します。それは一つの事象、一つの行動、一つの意思決定においてベストを尽くすことです。

一方、第二段階の「今この瞬間を起点として未来を最大に活用できること」を追求するという考え方は、少し視野を広げた思考です。これは、今この瞬間の最善の行動が未来にどのように影響を与えるかを考慮に入れるというものです。

たとえば、健康に対する視点で考えると、今この瞬間にお菓子を食べることは一時的な満足感を得る最善の行動かもしれません(第一段階)。しかし、健康的な未来を考慮に入れると、お菓子を食べることは最善の選択ではないかもしれません。その代わりに、健康的な食事を選び、適度な運動を行うことが、未来の健康を最大に活用する行動となるでしょう(第二段階)。

したがって、究極的な追求主義は、「この瞬間の最善行動」であることは変わりませんが、追及する利得がより広範囲となっていきます。

他者の振る舞いについて

また、追求主義は他者に自分の信念を押し付けることを強調しません。他人の生き方は、原則として自分自身が追求する最善の行動とは無関係であり、他人の選択は制御不可能な外部要因とされます。したがって、他人が追求主義に従って生きているかどうかで、その人を尊敬したり軽蔑したりすることはありません。他者を評価する行為は自己の最善の行動追求からは外れているとみなされます。

結局のところ、追求主義は生き方の多様性を認め、他者の失敗を責めたり、成功を妬んだりすることはありません。それらは自分自身が追求すべき最善の行動とは無関係な要素だと考えられるからです。


無限回の試行について

追求主義が無限回の試行を推奨する理由は、統計学的な観点と人間の成長・学習の観点から考えることができます。

統計学的には、多くの試行を行うことでランダムな要素が平均化され、真の性能や能力が明らかになるという大数の法則があります。例えば、一回きりの試行では運の要素が結果に大きく影響する可能性がありますが、試行回数を増やすことでその影響は小さくなり、真のスキルや努力が結果に反映されやすくなります。

また、人間の成長・学習の観点から見ると、試行を繰り返すことで経験を積み、スキルを向上させることができます。試行を重ねることで得られるフィードバックや経験は、行動や判断を改善し、次回の試行でより良い結果を出すための貴重な資源となります。

したがって、追求主義では一つの行動や判断を無限回試行することを推奨します。これにより、運や一時的な要素に左右されず、真のスキルや努力が反映されるとともに、経験を通じた成長や学習が可能となります。


どのようにして最善を追及するのか?

目指すべき最善の形は、人によって異なります。

しかし追及主義者が、最善を定める手法は確立されています。それは行動の内省、理想行動の定義、誤差修正のループです。

追及主義者は、自らが行った行動を内省します。これは後悔ではなく、行動アップデートのための自己評価です。

追及主義者は、内省を通じて「その時、本来はどうすべきだったのか?」という理想行動を求めます。

そして現実の行動と理想行動の差を計測し、「より理想行動に近づけるにはどうすればいいのか?」を考え、そして誤差を埋める行動をします。この修正は、「単純に行動方針を直す」というシンプルなものから、「いまはできない理想行動ができるように訓練をする」という長期的なものまで、多岐にわたります。

このフィードバックを永遠に積み重ねることで、追及主義者は全体の振る舞いを少しづつ自らの考える理想行動に近づけていきます。


追求主義のルーツ

追求主義は、さまざまな哲学やゲーム理論から影響を受けた考え方です。

特にストア派哲学、孫子兵書、禅、ゲーム理論などから強い影響を受けています。

ストア派
ストア派は、我々がコントロールできるものとできないものに明確な区別をつけ、心の平和を追求しました。この考え方は、追求主義が「瞬間瞬間に最善を尽くす」ことを重視する基盤となっています。人間がコントロールできるのは、自分自身の判断や行動だけであり、その他の事象(天候や他人の行動など)は、自分自身からは独立して存在するという考え方は、追求主義の中核的な部分を形成しています。

実在主義
実在主義は、人間の自由と責任、そしてその選択の重要性に焦点を当てています。この観点から、「追求主義」の「最善の追求」は、個々の人間が自己決定し、自己責任を持つべきであるという実在主義の思想と一致します。


禅は「今、この瞬間」に意識を集中することを強調します。この哲学は、追求主義が現在の瞬間に焦点を当てている点、過去や未来は現在の最良の行動を見出すための道具にすぎないという考え方に影響を与えています。

孫子
孫子の兵法は、戦略的な思考と状況に応じた適応能力の重要性を説いています。これは追求主義の意思決定プロセスに直接的な影響を与えており、状況を正確に把握し、最善の行動を選択するという追求主義の原則に通じます。

ゲーム理論
ゲーム理論は意思決定の理論的枠組みを提供します。特に、ポーカーなどの確率的要素を含む長期運用ゲームは、「追求主義が成功や失敗を一喜一憂せず、常に最善の行動を追求しつづけようとする点」に影響を与えています。




…以上が、AIと一緒に言語化した、自分の行動指針。

ニーチェとは違ったタイプの超人論が生まれました。

かなりストイックで小乗仏教的な哲学になりましたが、自分では納得ができる論旨です。

これで日々の意思決定が、一段とクリアになりました。みんなも、自分オリジナルの哲学論をAIと一緒に作ると、とても楽しいのでオススメです。

<追記>
シャハーの「最善主義」との違いは?という話があったので補足。
「最善主義」は、「完璧主義」よりも「最善を目指そうよ」という考え。確かに近いかなと。

でも、厳密に追及主義を言語化すると、「完璧な最善主義」あるいは「最善主義を完璧に執行する主義」という感じになります。

なのでシャハーの「最善主義」よりも、「最善」に対する定義や追及がよりストイックにであると考えます。

また「有利」「成功」「ポジティブ」「喜び」といった心的要素も、ある種のノイズととらえ、常に精神をニュートラルに置くところも違いだと思う。

そういう意味では、「悟り」とは違う境地だけど、「悟った人間」に近い振る舞いを目指す哲学かもしれない。

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