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優れた能力と「良い心」

今から数年前でしたか、テレビで、中国の世界的にも有名な気功家を取材している番組を見ました。
その気功家の弟子になりたい若い人たちがたくさんいて、拳法のような訓練をしたり、座学をしたりしていました。
最終的に数人だったか、一人だったかが、選ばれるのですが、その審査基準について、取材している人が、その気功家に聞いたんですね。
すると、その気功家が、こう答えました。

「頭の良さや身体能力は、後で何とでもなる。
一番大事なことは、「良い心根」だ。」

私はその言葉が非常に心に残りました。

「気功」について、何やら怪しげと思っている人もいるかもしれませんが、「気功」は超能力ではなく、
「正しいトレーニングを積んだ人」であれば、どんな人も身につけることができる能力、なのだそうです。
私たち人間には、そういう潜在能力がもともと備わっているそうなのです。
中国の病院には、内科や小児科と同じように気功科もあって、優れたお医者様もいらっしゃるようです。

膨大な修練の時間を費やして努力し活躍している芸術家やスポーツ選手と
全く同じ能力だと私は理解しています。
ただ、それが、見ただけで体の悪いところがわかったりするので、普通の人から見たら、霊能力のような神通力のような、そんな風に見えますけれどね。

でもそれは、芸術家やスポーツ選手も同じですよね。神業としか見えないこと、たくさんありますよね。

「生きがいについて」(みすず書房)の中に、自己特有の宗教的境地に生きていて「人の病気が見ただけでわかる」という人のことが書かれていました。
そこで著者の神谷美恵子は

「もし、こういう人が自己陶酔能力、自己顕揚欲、支配欲の強い人物であったなら、このような境地から教祖のうまれることも充分かんがえられる。現に新興宗教の教祖たちには、そのような例が珍しくない。」

と書いています。
私は、ここを再読した時に、世界的な気功家が「良い心ね」を最も大事な審査基準にしていることの意味が、ストンと落ちました。

今、私たちは時代の変り目という
なかなか大変なところにいるような気がしますね。
不安になると、何かに頼りたくなりますよね。

実は私、病気を発症する前に、たまたま駅で、宗教っぽい感じの人に声をかけられたことがあって、もちろんその人について行ったりはしませんでしたが(笑)、でも数ヶ月後その人の言ったとおりになったんです。なので、ちょっと怖いなと思って書きたくなりました。

このように「超能力」に見えるような能力を持ち、99パーセント良いことを言っていても、その人の「心根」の部分に、上に書いた教祖の要素があれば、
非常に恐ろしいことになるのではと思います。

反対に、人格が高い、いえ魂の格が高い一流の気功師なり、そういう能力を持っている人の特徴は、
「自分は選ばれた人間である」という感覚のない人。
凜とした厳しさを内に秘めながらも、謙虚な姿勢を持っている人だと私は思います。
「あなたも私も同じ人間である」というものが、真に流れている人です。

これはお医者さんを選ぶ時にも注意したい点ですね。

結局、玉石混交を見極めるのも「自分」ですから、
何ものにも寄りかからないでいいように、
また、他者のせいにすることのない「自分」でいたいですね。

そのために、
深い「直観」を働かせるために
日頃から負の想念を静かに観察して、
心を磨いていきたい。
心に深い静寂を持っていたい、そう思います。

夢や希望を持ちながら、
天を見上げながら、
見えない力を信じながらも、
しっかりと地に足をつけて、
「自分」をよく手入れし、
この大変な時代を、
読んでくださる皆さんとともに
無事に生き、
そして幸せに暮らしていきたいなと思っています。

最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。

あなたにとって良い日になりますように♡





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