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みどり色の不思議

写真はラベンダーの葉。
古い葉は、シルバーのように輝き、
今年の葉は、緑色。
そのコントラスト、
その美しさに花が咲く前から感動しています😊

木々の新芽もだんだん大きくなり、
至る所で、新緑が美しい時ですね。

雑木林の新緑

私が最初に新緑を美しいと思ったのは、
実は本物の木々ではなくて「絵」でした。
小学校4年生くらいの時、
雑誌の見開きのページに、ある絵描きさんの
新緑の林の水彩画が載っていました。
その絵の中に、人物が描かれていたかどうか
などは全く覚えていませんが、とにかく
そのページを開けた瞬間から、その「緑」に
惹きつけられて「わぁ♡」と思ったのを、
今でも覚えています。
暇があればずっと見ていました。
その新緑の林の空気感まで感じて、
深呼吸したくなるような、まさに
心の中が広がる新緑の絵でした。

「語りかける花」(志村ふくみ 人文書院)
の中で、染織家である著者が、
「・・・緑という色が植物からは直接得られず、
青と黄の混合によって生まれること、
闇である青と、光である黄が
緑という地上の色をうむ。
緑こそは、霊界と物質会の境界にあって
明滅する淵の色であると、私は長い間謎として
いだいていた・・・」
と書かれていました。

桜の花が咲く前の幹や枝から、桜の色を染める
ということを知った時、驚きとともに
感動しましたが、
「緑」が植物からは直接得られない
ということもまた
植物の、というより、この宇宙の奥深さというか、
不思議を思いました。

「緑は生命の死せる像として存在する」
シュタイナーの「色の本質」の中の、この言葉も
書かれていました。

鏡に映った私が、「私そのもの」ではないように、
「緑色」は、「生命そのもの」ではない、
「生命」は目には見えませんから、
その「像」でしかないということでしょうか?
「死せる像」というところが、深すぎますね。

けれど、私たちの命も常に死と隣り合わせであり、
私たちの細胞は、「破壊と再生」を繰り返して、
生きているわけですから、わかるような気がしますね。


エネルギーの出入り口、ヨガで言うチャクラ、
その中の第4チャクラ(ハートチャクラ)
(東洋医学で言うと中丹田、だんちゅう)
の色が、「緑」というのも、何かつながっている
感じがします。

愛というのは結局、自分や他者の存在そのものを
全肯定するということなのかなと思います。
「生命」生きてそして死ぬこと、これを
全肯定する、受け入れるということかなと
思います。
でも私はそれがまだ足りていないことが
自分でわかります(^_^;)

私たちの意思とは関係なく、
私たちの細胞の一つ一つが破壊と再生を
繰り返しながら変化し続け、
今、生きているという奇跡。

身近な「みどり色」を見て、感じて、
その圧倒的な力を取り込んで、
内面を豊かに、人生を深く味わって
生きていきましょう。

今朝のピンクスズラン

最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。

良い日になりますように♡











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