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ドナルド・トランプ先輩のツイッターアカウントの永久凍結を「表現の自由の侵害である」と主張するにはどうしたらよいか

0.はじめに 
1月8日か9日、ドナルド・トランプ先輩個人のツイッターアカウントが永久凍結となり、一部のツイッタラーに衝撃が走った(なお、アメリカ大統領の公式ツイッターアカウントは特に何もない)。
 この永久凍結について、「トランプ先輩の表現の自由の侵害ではないか」との声が上がった。もっとも表現の自由は政府(公人)と私人との関係において用いられるべき概念であり、今回は私人(ツイッタラー社)と私人(トランプ先輩個人)との関係においては、「表現の自由の侵害」は成り立たないのではないか、という声もある。
 正直に言うと私は後者に賛成なのだが、今回の件についてどうしても「表現の自由の侵害である」と主張したい場合はどうしたらよいのだろうか。簡単に考えていく。

1.お断り
 
筆者は法律関係については素人なので、ご容赦ください。トランプ先輩の永久凍結はアメリカの事案にも関わらず、日本の判例を突っ込むという愚を犯している。しかし「表現の自由の侵害だ」と主張したいのであれば、過去の判例を参照するという作業がどうしても必要である。ニーメラーの警句よろしく「最初にトランプが攻撃されたとき…」と呟いているばかりでは、議論は永遠に停滞したままである。筆者はアメリカの判例は全く分からないため、日本の判例を突っ込むこととした。
 また使用した2つの判例も、公務員試験で必ず勉強する有名判例であり、基本中の基本でしかない。

2.反論権(アクセス権)
 まず有力説と思われるのは「本件の永久凍結はトランプ先輩の反論権を侵害している」というものである。反論権とは一般的には、マスメディアに対して一般国民が自己の意見の発表の場を提供するよう要求する権利を言う。
 
反論権が争われたのはサンケイ新聞事件(最判昭62.4.24)においてである。事案については以下のとおり。この裁判では憲法21条1項を根拠に反論権を導き出せないかが問題とされた。

 サンケイ新聞事件(最判昭62.4.24)
 昭和48年12月、X(産経新聞社)は、発行するサンケイ新聞に自由民主党を広告主とするY(日本共産党)の政策を批判する内容の意見広告を掲載した。これに対し、意見広告により名誉を毀損されたとしてXに対し、反論文を無料かつ無修正で掲載することを請求した。

 とはいえ反論権は双方向のメディアであるツイッターにそのまま適用することは難しいだろう。この点に関しては、政治用語botの管理人様から貴重な助言を頂いたので引用したい。

 ツイッター上の反論権とは「自分への批判的なツイートに対して、引用ツイートやリプライでツイッター上で反論する権利」ということになる。現時点においてトランプ先輩ほど毀誉褒貶が甚だしい人物はおらず、彼に批判的なツイートをする者も多い。であるならばトランプ先輩のアカウントを永久凍結するということは、彼のツイッター上での反論権を奪うことに等しい。
 ツイッター上では、トランプ先輩は情報の送り手であると同時に受け手でもある。反論権はトランプ先輩のツイッター上での表現の場を確保することになるため、トランプ先輩の表現の自由を実質的に保障に資するものである。
 よって「アカウント永久凍結はトランプ先輩の反論権を侵害するものであり、ひいては彼の表現の自由をも損なうものである」と主張できるかもしれない。もちろんツイッター上ではトランプ先輩の名誉を毀損しているのに近いツイートがあってもおかしくない。これに対する反論の場がトランプ先輩にもあってしかるべきではある。

3.しかし反論権は認められていない
 しかし反論権は日本では認められていない。
最高裁は「反論権の制度について具体的な成文法がないのに反論文請求権をたやすく認めることはできない」と判断し、日本共産党の請求を退けている。アメリカでも反論権が制度的に認められていないのであれば、同様の結果になると思われる。最高裁の判旨はやや厳しい書き方をしている。

[判旨]
1 憲法21条等のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、……私人相互の関係については……適用ないし類推適用されるものではないから、憲法21条の規定から直接に、所論のような反論文掲載の請求権が生ずるものではない。

よってツイッターにおいても「アカウントを凍結された人間が、批判的なツイートに対して、反論のツイートの機会をツイッター社に請求する」ことはできないということになる。少なくとも日本ではツイッターアカウント永久凍結されたことをもって、「反論権、ひいては表現の自由が侵害された」と主張し、凍結撤回を求めることもできないだろう。反論権から表現の自由の侵害につなげるのは無理筋だと思われる。何より「ツイッターやFB、インタグラム以外にもSNSはあるから、そちらでアカウントを作って反論すればいいじゃん」と言われてしまうのが厳しい。
 反論権についてはアメリカでは状況が違うかもしれないが、そもそも反論権が制度的に認められているのであれば、ツイッター社も永久凍結という判断はしなかったであろう。

4.パブリックフォーラム論
 次に「パブリックフォーラム論」から、トランプ先輩の永久凍結の不当性を主張してみよう。「パブリックフォーラム論」とは表現活動のための公共の場所を利用する権利は、場所によって、その場所における他の利用を妨げることになっても保障される理論である。アメリカ合衆国で形成された判例理論だが、駅構内ビラ貼り事件(最判昭59.12.18)における伊藤正己裁判官の補足意見により、日本にも知れ渡ることとなったとされる。要旨は以下の通り

[事案]
駅係員の許諾を受けないで駅構内において乗降客らに対しビラ多数を配布して演説等を繰り返したうえ、駅管理者からの退去要求を無視して約20分間にわたり駅構内に滞留した被告人らの所為につき、鉄道営業法35条及び刑法130条後段の各規定により起訴された。

結論から言えば、判決は鉄道営業法35条及び刑法130条後段の各規定により処罰しても憲法21条1項に違反しないというものである。しかし重要なのは、伊藤裁判官の補足意見である。以下引用である。

ある主張や意見を社会に伝達する自由を保障する場合に、その表現の場を確
保することが重要な意味をもつている。特に表現の自由の行使が行動を伴うときには表現のための物理的な場所が必要となつてくる。この場所が提供されないときには、多くの意見は受け手に伝達することができないといつてもよい。一般公衆が自由に出入りできる場所は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくない。道路、公園、広場などは、その例である。これを「パブリツク・フオーラム」と呼ぶことができよう。
「伊藤裁判官補足意見より引用」

公道、公園、広場などにおいて、一律に表現活動を許可制にしたり禁じたりすると意見表明の場が限定されてしまい、結果的に表現の自由を制限することになってしまう。よって表現の自由と所有権と管理権をよく調整したうえで、違法かどうかを判断しなければならない。

道路のような公共用物と、一般公衆が自由に出入りすることのできる場所とはいえ、私的な所有権、管理権に服するところとは、性質に差異があり、同一に論ずることはできない。しかし、後者にあつても、パブリツク・フオーラムたる性質を帯有するときには、表現の自由の保障を無視することができないのであり、その場合には、それぞれの具体的状況に応じて、表現の自由と所有権、管理権とをどのように調整するかを判断すべきこととなり、前述の較量の結果、表現行為を規制することが表現の自由の保障に照らして是認できないとされる場合がありうるのである。
「伊藤裁判官補足意見より引用」

 ツイッターがパブリックフォーラムとしての性質を持つのならば、表現の自由の保障を無視してアカウントの永久凍結を一律を行うことはできない。ツイッターはメールアドレスがあり、規約に同意さえすれば誰でもアカウントを持つことができる。また出入り自由、原則閲覧自由ということもあり、パブリックフォーラムの性質を持つと言えなくもない。駅前広場でビラをばらまくことと、ツイッターで政治的な意見を表明するのは機能的に等価であると言えなくもない。
 であれば、ツイッターにおいても所有権や、本来の利用目的のための管理権の制約を受けるとしても、ツイッター社トランプ先輩の表現の自由の保障を可能な限り配慮しなければならない。よって本件での永久凍結は管理権の濫用と言うべきものであり、表現の自由の保障が全く配慮されていない措置であるから撤回されるべき、という主張ができるかもしれない。
 しかしツイッターはパブリック、すなわち公共圏なのか?という疑問が湧く。確かにコーヒーハウスのごとく議論が進むこともあれば、ただの同じ価値観の繰り返しに終始するだけのこともあり、一概にツイッターは公共圏であるとは言えない状況である。
 本件を駅構内ビラ貼り事件に近づけるならば「アカウントの永久凍結が憲法21条1項に違反しないか?」という事案になるだろう。パブリックフォーラム論を踏まえれば具体的状況に応じて判断することになるだろうが、駅構内ビラ貼り事件と同様、憲法違反にはならないと思われる。判例についても、駅構内のビラ貼りについて「鉄道営業法第35条」を適用することについては否定していないからである。永久凍結についても同じ結果になるのではないか。

6.終わりに
 私人同士の関係においていかに表現の自由を擁護するか、というのはまだまだ課題が多いと思われる。特にサンケイ新聞事件にて「私人同士で憲法21条1項を類推適用するのは適切ではない」と判決文で言われてしまっているため、別のアプローチを探したほうが無難なのかもしれない。

追記
 本件の永久凍結で反発が大きかったのは、ドナルド・トランプ先輩の象徴的な側面が強く影響していると思われる。というのもツイッターの一部の方々にとってトランプ先輩は「勝利の象徴」であったからである(仮説だが)。では誰に対して勝っていたのか?ネット用語になってしまうが、「ポリコレ=リベラル」に対してである。トランプ先輩はポリコレ=リベラル勢力(?)に対する勝利の象徴であったのである。ポリコレ=リベラル勢力は綺麗事しか言わずいちいち煩い。それに対しトランプ先輩は本音を代弁してくれる。「うるせえ!」と言ってくれる。
 しかしトランプ先輩は2021年1月20日でもって大統領ではなくなる。これは敗北である。さらにツイッター社による永久凍結となれば、敗北の敗北である。あたかも「ツイッター社までポリコレ=リベラル勢力の軍門に下った」と見えてもおかしくないのかもしれないし(そもそもポリコレ=リベラル勢力って何だよ)、陰謀論が湧いても不思議ではない。もっとも「安心してください。バイデン先輩も私もあなたも、トランプ先輩と同じことしたら永久凍結です」と言いたくはなる。

追記の追記
 今回、政治用語botの管理人様からは貴重は助言をいただきました。ありがとうございます。
 あと私のしょーもないリプライに割と真面目に答えてくれて2人の兄貴もありがとう!フラーッシュ!!

 

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