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「表現の自由棒」でぶん殴ろう!

1.表現の自由棒とは何か?

 表現の自由棒とは「表現の自由の侵害だ、とか言って相手を黙らせようとすること」である。これは投稿者による勝手な定義に過ぎないが、表現の自由棒を用いることで、快適なインターネットレスバトルを送ることができるかもしれない。
 この棒で殴られた者(比喩)はもれなく「表現の自由の侵害者」となる。「ポリコレ棒」で殴られた者が差別者となってしまうのと同様である。表現の自由棒で殴られた者は沈黙せざるをえない。なぜなら一度「表現の自由の侵害者」のレッテルを貼られた者は、どう弁解しようとも、言ってることが言い訳じみてしまい、侵害者の汚名を覆すことはできないからである(迫真)!

 では使用例を挙げる。以下のとおりとなる。見とけよ見とけよ。

A:Cの奴、バカだよなぁ…呑み過ぎだよ
B:まぁまぁ、馬鹿とか言うなよ…あいつも思うところがあったんやろ
A:「馬鹿とか言うなよ」という発言は表現の自由の侵害ですよね?
B:!?!?

確かにB氏の「馬鹿とか言うなよ」は、A氏の「馬鹿と発言する機会そのもの」を奪う発言とも取れなくはないため、A氏は自らの表現の自由が侵害されたと曲解し、表現の自由棒でB氏を殴りつけたのである。侵害者となったB氏は慌てふためき、沈黙してしまった。これが表現の自由棒の効果である!

2.表現の自由棒はいつ使えばよいのか?

 この棒もいつでも使えるものではなく、表現の自由が侵害されたときにのみ使えるものである。表現の自由の侵害が何たるかを考えたい場合、「表の自由とは何か?」を考える必要が出てくる。そんな能力は投稿者にはない。そこで表現の自由の機能、すなわち表現の自由は何の役に立っているか?を考えることで、表現の自由の侵害とは何かを考察したい。

 表現の自由については、トマス・エマーソンによって4つの主要な機能があるとされている。4つとも密接に関連し合っている。

①「個人の自己実現」に奉仕する
②「思想の自由市場」の確保により、知識を増大させ真理を発見する
③社会の構成員に民主的政治の参加を保障する機能
④個人に不満を表明する機会を与えることによる、ガス抜き

 つまりはこの4要件が十分に満たされない状況になったとき、「表現の自由が侵害されている」と判断するというものである。では順番に見ていく。

①「個人の自己実現」が阻害される状況
 これは小説や絵画などの芸術表現が深く関わるだろう。やや古いが「チャタレイ事件」や「『悪徳の栄え』事件」は有名である。いづれもわいせつ表現が問題となった判例である。作品発表の場が奪われることは、自己実現そのものが奪われるのと同義であるため、「表現の自由が侵害された」と言える状況になりうると言えよう。とある投稿者が投稿した動画が、運営により削除された場合、こういったときはUNEIを「表現の自由棒」で殴りつけよう!UNEI史ね!
 しかし作品に対する嫌がらせ等を受けた場合は、表現の自由棒で相手を殴りつけている場合ではない!しかるべきところに相談しよう!

②「思想の自由市場」が犯され、知識の増大や真理を発見するどころではな  い状況
 思想の自由市場とは一言で言うと「問題のある言説は、対抗言説によって排除されるべきで、事前抑制されるべきではない」というものである。思想の自由市場という概念にも問題点はあるが、言わんとするところは理解できる(くわしくは「阪本昌成 思想の自由市場論の組み直しに向けて」を見てほしい)。ただ思想の自由市場が完全におかしくなってしまう状況は、検閲が制度として存在しているものと思われる。当たり前だが、表現の自由棒で殴りつけている場合ではない!

③社会の構成員に民主的政治の参加を保障されない状況
これも表現の自由棒で他人を殴りつけている場合ではないので省略。

④個人に不満を表明できない状況、ガス抜きができない
 表現の自由棒が力を発揮するのは、これである。個人的な不満を表明することに対して、他人からたしなめられたとき、またはその表現は場にそぐわないと言われた時は「それは私の表現の自由を侵害しています!」と言ってしまおう。
 先の例で挙げた会話は、B氏は「A氏が馬鹿と不満を表明する機会を事前に抑制しようとしている」と言えなくもないため、A氏は棒で殴りつけたのである!

まとめよう。表現の自由棒が最も機能する状況とは、自分の発言が批判されたときやいちゃもんを付けられたときである。これで相手方を殴りつければよいのである。

3.表現の自由棒で殴りつけられたときはどうすればよいか?

 では思いかけず表現の自由棒で殴られたときは、どう対応すればよいか?これは簡単で、表現の自由棒で殴り返せばよいのである!つまりは「あなたのほうこそ、表現の自由棒で私を黙らせようとしていることは明白であり、表現の自由を侵害している」と。例を挙げよう。

A:Cの奴、バカだよなぁ…呑み過ぎだよ
B:まぁまぁ、馬鹿とか言うなよ…あいつも思うところがあったんやろ
A:「馬鹿とか言うなよ」という発言は表現の自由の侵害ですよね?
B:あなたのほうこそ私の表現の自由を侵害していますね?私を侵害者とい    うレッテルを貼って黙らせようとしているのは明白ではありませんか。
A:いえ違いますね。私は侵害されたから、「侵害された」と言ったにすぎません。
B:それはごまかしですよ。正義の暴走ですよ。
A:いや、批判の自由はありますよ。
B:なら私にも「A氏は表現の自由の侵害者だ」と主張する自由はあります。

 表現の自由棒で殴られたときは、守りに回ってはいけない。「私は表現の自由なぞ侵害していない」といくら言葉を並べても、侵害者のレッテルを簡単に剥がせはしない。よって殴り返そう。
 以降、A氏とB氏がお互いがお互いを「侵害者だ」と言い合う会話が続くと思われる。非常に不毛ではある。
 表現の自由は民主制は議論の前提になるものではあるが、議論の中身の妥当性までは検討できないのである。レスバトルではともかく、実際の議論の場で表現の自由棒一本で戦うのは厳しいと言わざるを得ない。

参考文献
後藤光男 北原仁編著『プライム法学 憲法』敬文堂 2007
阪本昌成 「思想の自由市場論の組み直しに向けて」『立教法学 (80)』pp       63-110, 2010

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