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Åland、岩盤、夜は長く


束の間、砂の国から離れてスウェーデンへ。
整然とした空港で秩序が際立つ。鳴らないアザーン。手すりや椅子、テーブルなどどこに触れても砂や汚れがつかない。濃い顔の男、ヒジャブを巻いた女などはよくよく探さなければ見当たらない。白い肌で金髪の男女が視界の多数を占める。売店の支払いは電子マネーやカードが基本で、現金はこの旅行中ついに一度も見かけなかった。

「エジプトにいるあいだにこっちに遊びにおいでよ」という誘いを真に受けてまんまとやって来た。2023年1月、大学時代のメタル仲間、Mは少しも変わらぬ笑顔でバスから降りた私を迎えてくれた。ストックホルムの中心部、レンガ造りの重厚な建物に囲まれて私たちはひさしぶりに言葉を交わした。私にはわからない苦労や大変さがあった。未来への展望も決して明るいわけではない。どんよりと薄暗い午後、長く辛い冬のひととき。しかし人生がクソなのは大前提であり、生きることで私たちはすでに抗っているのだ。えらいのである。Mと私は今日まで生き抜いてきた。ときにはだれかの力を借りて。石造りの街路でベビーカーを押す若い父親、ふざけながら歩くティーンエイジャーたち。そういうふうに識別できるくらい人口密度が低くあっさりとした首都で、人に会いにいく旅っていうのも悪くない、と三十代の私は思った。

Stockholmと私

Mの紹介によりLの家で一泊することになった。Lは根っからの世話焼きなマンマだった。ここがお風呂。これがバスタオル。カオルの部屋はここ。合鍵はこれ。冷蔵庫の中でほしいものがあったら勝手にとってね。翌日の弁当まで用意し、仕事に行くついでだからと、早朝にバスターミナルまで送ってくれるという。泥のように眠った翌朝。Lはすでに身支度を整え私が起きるのを待っていた。急いで準備してLの運転する車に乗り込む。午前7時をまわってもあたりはまだまだ暗く凍りついていた。運転席のLに聞くと、日の出は8時ごろらしい。高速道路を飛ばしてストックホルムを北上する。露出している地面は赤く、ゴツゴツと固く閉じている。これが北欧の大地か。

アルニンゲバスターミナルに着いた。Lに別れを告げて車外に出ると風が吹きつけて一瞬で身が凍った。バックパックからLが用意してくれた水筒を取り出し、コップに暖かい紅茶を注いで一口飲む。染みわたるアールグレイ。「スウェーデンは物価が高いからね」と言ってLは手作りのサンドイッチや果物、クッキーまで紙袋に入れて用意してくれていた。ありがとうって言いすぎるのも尊大な気がして、最後の方はただ彼女の親切に身を任せて「OK」とか「わかった」とか言っていた。

野ざらしの寒風かんぷう吹きすさぶプラットフォームで老人2人とともにバスを待っていると、ほぼ定刻通りにエッケロラインという船会社の港行き連絡バスが到着した。車内に乗り込む。電子チケットのQRコードを読み取り機にかざすとピッと短く音が鳴った。乗客はまばらで、ほとんどが老人だった。ようやく朝日が昇る。分厚く広がる雲に隠れる前にまばゆい光を地上に放った。車窓に広がる草原。ときどき見える民家はどれも丸太組みでどっしりと構えている。

Stockholm ➡ Grisslehamn ➡ Eckerö ➡ Mariehamn
© OpenStreetMap contributors, License
拡大図
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グリスルハム港に着いた。フェリーターミナルに入り形ばかりの出国審査を抜けて、フィンランド領であるオーランド諸島へ向かうエッケロ号に乗り込んだ。

船内は6階まであり、食堂やバー、客室などにわかれている。各階からデッキに出ることもできるが、真冬の今は誰の姿も見えない。
通路に設置されているベンチを陣取りから港を見る。午前10時、船はゆっくり離岸しバルト海へと進んでいった。

スウェーデン語の館内放送の後、英語で繰り返しているその内容は、「船内のDUTY FREEショップは30分後に開店いたします」というものだった。店の入り口にはもう何人もの脱税希望者たちの列が並ぶ。船内はフィンランド時間なので私の人生に勝手な1時間が増えた。



時間になりゲートが開かれ、赤ら顔のオヤジや肥え太ったバアさんらがどやどやと入っていった。乗り遅れてはなるまいと私も潜入する。ワイン、ウォッカ、ウイスキーなんかがところ狭しと並んでおり、どれも結構安い。そう、老人たちの目当てはオーランド諸島ではなくて酒を安く手に入れることにあったのである。度数の高い酒はストックホルムだと結構するらしい。ビールを大量に買い込み、Lが作ってくれたサンドイッチをあてに昼間から飲み続けた。そんな不良東洋人を船内のだれも気にするそぶりもない。大人の国スウェーデン万歳。

赤茶けた陸が見え、船が止まった。凍る港に降り立ち、待機していた市街地へのバスに乗り込む。酒臭い私は一番うしろの座席に陣取った。私のほかに下船したのは10人ほどだろうか。残りの人々は本当に免税店目当てのトンボ帰り野郎どもだったのである。

荒野をひた走る。そこここでバスを待つ小学生や老人を拾いながら進む。地域に根差したバスらしく、乗り込むたびに運転手と親しげにあいさつを交わす彼ら。


オーランドの首都、マリエハムンに着いた。高い建物はなく、人通りはまばら、まずは観光案内所に駆け込む。やさしげなおばさんが地図を広げながら名所などいろいろ丁寧に教えてくれた。夏だけかと思っていたレンタサイクルもやっているようだ。おばちゃんが自転車屋に電話をかけてくれた。礼を言ってさっそく取りに行く。典型的な前カゴのママチャリ、24時間20ユーロだがまあ仕方がない。「今日は自転車を漕ぐにはいい天気だな」と自転車屋のオヤジが言う。だよな、地元のオヤジが言うんだから、と心強くなったが寒風が止むわけではない。サドルを調整してもらい漕ぎ出した。「気をつけてな」「うん。ありがとな」

しばらく進むとサドルがすぐにねじれて少し横を向いてしまった。このままでいいか? いや、自転車は完璧な状態でなければならない。そもそもいま酔っぱらっているんだ。事故に合う確率をできるだけ下げた方がいい。来た道をもどってオヤジに再調整を頼む。こういうとき、若くて人の目ばっかり気にしていたころのおれだったら、あんなにひと段落ついた別れの場面にまたノコノコもどるのがなんか恥ずかしくて行けなかったのである。そういうのが空気? だが今は厚顔無恥こうがんむち。もしくは厚顔無恥を意識している。いいぞ、その調子だ。英語をてらいなくしゃべる。旅をしている。再出発。寒い。帽子を深くかぶり手袋をつける。風にあおられる。右側通行に慣れない。小雨が降りだした。濡れたズボンが体温を奪ってゆく。なんとか宿にたどり着き、ストーブをつけてひと休み。また飲みはじめて外を見れば雨は雪に変わっていた。

午後3時半。マリエハムン南に広がるフィヨルドと群島を見に行くなら今日しかない。明日の正午には港行きのバスに乗らねばならない。立ち上がる。Mから借りた防水コートを着込み、酔いを落ち着かせて雪の中ママチャリを漕ぐ。

厳しい自然。細長い針葉樹の森は見ているだけで寒い。途中スマホで道を確認するたびに立ち止まり手袋を外す。雪や雨滴が画面を濡らす。4度目の道確認でスマホの電源が落ちた。これは、真冬の北海道北見で起こったのと同じ現象である。極寒シャットオフと人は呼ぶ。ズボンの中にスマホと手を入れてこすってこすって再起動。陽が落ちてきた。さらに、とある地点より道路から自転車用のレーンが消えた。雪はうっすらつもりはじめている。ここから先、街灯はなさそうである。終わりだ。これ以上いけば確実に死が待っている。午後5時、陽は完全に落ちて、闇がものすごい速さで迫って来た。撤退。レストランにも行かず、あまっていたみかんやビスケットをビールで流し込んでさっさと寝た。

朝7時だというのに真夜中だった。11時にここをチェックアウトしなければならない。マリエハムン北の古城に行く時間はなさそうだから、粛々と昨日のリベンジに徹する。8時ごろようやく明るくなりはじめたので出発。寒さが音すら飲み込んでしまった町。ゆっくりゆっくり進む。息が白い。凍結した道路。気をしっかり持て。

30分ほど漕いで昨日の地点まで来た。暗くて確認できなかった脇道を進むと、ようやく海と群島が見えてきた。太陽はもうすぐ昇る。荘厳な景色が広がる。

ゴールに設定していた場所まではまだ遠いがもうここでじゅうぶん。水鳥が泳ぐ。生きているのはおれとおまえだけ。用心して赤い岩盤の斜面に腰掛け、水面に手を伸ばす。もはや指の感覚はない。ひとすくいなめてみる。しょっぱくない? 寒すぎてわからない。9時になりようやく太陽が本体を見せた。なんて長いんだ、夜。

チェックアウト後、ME GUSTA BURGERSというスタンドでポークバーガーを買う。9.9ユーロのデカブツ。およそ1,400円。物価よ、人の悲しみよ。

ベンチに座って凍えながら食べ、自転車を返却する。昨日のオヤジに「おお、おまえ顔凍ってるぞ!」と笑われた。「今度は絶対夏に来いよ」と言われたが、おそらくここは二度と来ることのできない場所だろう。

凍える旅情を感じながら港行きのバスにのり、船でまた何本か免税ビールを買ってスウェーデンに舞いもどったのだった。

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