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【後編】なにもないこの場所から、すべてが生まれてゆくように。BeKoが掲げる「地方最強」論

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どうしても福島のいいところを知ってもらいたい

——DIVE福島が落ち着いてからイベントの活動は?

 しかBeKo企画が始まる(笑)。

——あ(笑)なるほどなるほど。

 しかちゃんの撮影はいつから……たぶん(しかちゃんの)記事にもあったと思うけど、最初DJとして呼ばれてて、日程合わなくて断って、その次のイベントからカメラマンとして、撮影で入った。で、何年かして……誕生月が同じ7月で、じゃあ何か合同イベントやろうかって言って、しかべこ企画を立ち上げて。

 サブタイトルが、『LIVE PHOTO SESSION〜キセキ〜』。キセキはいろんな意味があって、これまで辿ってきた「軌跡」とか、出会えた「奇跡」とかそういう意味があって。自分が撮ったライブ写真も貼って、風景写真も貼って、出店もいろいろ出してもらって、盛りだくさんで。

——うんうん。しかちゃんの記事にも載ってますね。

 イベントはそれぐらいかなあ。

——じゃあ(しかBeKoの)あとはもう、どんどん写真の方に。

 うん。写真展を2014年と2019年にやって。郡山にMAPLE(MAPLE -coffee & donut-)ってあったじゃん、今の8月cafe。そこでやらせてもらった。

——うん……あ、MAPLEをやってた方が今、8月cafeをやってる……?

 そうなの。

——へえ~~! MAPLEもいい場所でしたよね。写真の活動の方が精力的になっていくのは、意図してのことでしたか? それとも自然に?

 ああ、意図してた。やっぱりライブハウスで発信するお客さんと、風景写真とかを撮って発信して見てくれるお客さんって、層が違うじゃん、ジャンルも。だから……ライブに来てくれたお客さんに福島を知ってもらうために、風景写真を撮っているっていうのもあったし、その逆もある。

——自分の写真を見てくれた人が、音楽の方に。

 そう。「こういうイベントもあるよ」っていう意味で、どっちも発信するようになって。そこも戦略的だったかな結構、Twitterでの発信のしかたとか。しかBeKo企画も、関東とか関西とかのツアーバンドを呼んだりしてて、そこにももちろん絶対、福島の風景の写真を展示して見てもらうっていう……考えてやってたりしたかな。

——バンドも県外なら、お客さんも県外の人もいるでしょうしね。

 そうそう。「福島を知ってもらうために」っていう仕掛けは考えてたね。だから写真は必然的に撮るようになってきたのかな。どうしても福島のいいところを知ってもらいたいっていうのは、やっぱりあったから。県外の人もいっぱい来てくれるようになったから、よかったな。

——実際嬉しい声をもらったこととか、見たり聞いたりしたこともありましたか?

 うん。えっとね、帰還困難区域……富岡の夜ノ森って、前入れない場所があったんだけど、夜ノ森に住んでた友達と一緒に写真を撮りに行ったの。2014年だったんだけど、その時の桜並木の写真ってほぼ、ちゃんとした写真は俺しか撮ってない。立ち入れないから。それをフォトブックにして、郡山にあった富岡の仮設住宅の、避難している人たちにそれを配ったのね。見てもらった人がすごく「行けないけどこうやって見れてとてもうれしい」「懐かしい」とか言ってもらえたのが良かったかな。

 あとは県外に避難した人が、なかなかこっち来る機会ないから、福島のいろんな風景写真を見れて嬉しいっていう声もあったりした。で、ライブイベントもやってるんだったらじゃあ行ってみようかって、来てくれた人もいるし。

——それめっちゃ嬉しいですね。

 うん。やっぱりそうだね、避難してる人たちからの「なかなか帰れないけど見れて嬉しい」とかっていう声は多かったかもしれない。
 あと、そうだな……だんだん忘れてきちゃうんだよ(笑)。

——(笑)ふふふふ。あんまり振り返ったりとかしないほうですか?

 うーん。写真整理して、「ああ、この時こうだったな」みたいなのを思い出すくらいだね。……これが、2014年の桜並木(夜ノ森)。

——うわー!

 帰還困難区域なんで、許可証ないと入れないけど、こうやって全て咲いてる。で、2019年の個展では、風景写真と、ライブ写真も展示してる。

——おおー。

やりたいことをやった

 で、その後コロナになったのかな。2020年の2月。

——うん。そこもやっぱり変わり目というか、意識的にきっかけの部分とかもありました?

 というよりは、ちょうど震災から10年で。東京に住んでるフォロワーさんがいるんだけど、相馬市出身で。コロナも関係して、帰ってこれないと、移動が制限されて。ってときに、そういう人がいっぱいいたから、福島の街とかを見てみたいなっていう人が結構多かった。そしたら10年目の節目だし、なかなか帰ってこれない人たちに向けて59市町村を巡って、写真を撮ろうと。

——ああ、そういうことだったんですね。さっきの帰還困難区域の人が行けないところの写真を届けるみたいなのの、もっとスケールでかいバージョンみたいな。

 そうだね。2020年に回ったんだ。2020年の6月から、2021年の2月ぐらいまで。それをスライドショーにして、3月にYouTubeに載せて出したんだよ。

——反響はどうでした?

 反響はやっぱり、帰って来れない人たちとかが、地元の街を見て……だいたい見たことのある、例えば福島市だったら福島駅だったりとか、そこに住んでた人たちの馴染みのある風景を。

——「知る人ぞ知る」みたいなんではなくて。

 そうそう。実際に住んでた人たちが見たことのあるような風景をメインに撮って、そこに住んでた人とか、ゆかりのある人たちが嬉しがってくれたらなって。

 その時に、またNHKの『福島をずっと見ているTV』に取材してもらって。

——DIVEの時と違って、BeKoさん個人としてってことですよね。

 そうそう。巡ってる時だな。

——2020年12月。真っ最中ですね。これまたじゃあ、箭内さんと。

 うん。この番組は元々「福島リアル」からずっと取材してもらっているディレクターさんが担当で。

——ああ、なるほど。

 そのディレクターは元々箭内さんの密着をしてて。あとは高橋優さんのミュージックビデオとかも撮ってたかな。

——この時にはもう(整備士の)お仕事は辞めてる?

 その時は違う仕事してる。あとは……福島テレビ局合同キャンペーン(『「福島to2021-あれからと、これからと→」』)に出さしてもらったね。先々週までやってたんだよ、今年バージョン。それも2020年かな。その年はあと、民友さんにも乗せてもらった。

——めちゃくちゃでかい1年だったんですね。

 うん。まあただ、だからって特に変わったことは、ないかもしれないけど。

——「やることをやった」って感じですか。

 うん。「やりたいことをやった」、かな。

——写真を撮ってきて、自分の撮る写真に変化とかって感じますか?

 ああ……どうなんだろう? 変わんないかな? 技術的な面はもちろん、上がってるとは思うけど、昔と比べるとね。ライブ写真で言うと、昔ほど実は撮れてなくて、今は。考えて撮っちゃうから。「構図はこうした方がいい」とか、「この時このライトが当たった時に撮ろう」、とか思っちゃうんだよ、やっぱり今は。昔はそういうの何も考えずに撮ってたから、昔は昔の良さがあったかな。

——技術的に成長したからこそ、逆に気になっちゃうところも増えた。

 そうそう。

——zanpanのワンマン(2023年11月19日)の時もそんな感じでした?

 あ、でもzanpanのワンマンの時は割と、そんなに気にしないで撮ったかな。あんまりね、考えちゃったら良い写真にならないかなとは思ってるから。

——テクニック的な部分を無視してでも、勢いとか温度感があった方がいい時もありますよね。

 でもバンドによるかも、実際は。indischordだとやっぱりしっかり決めて撮るし。ブランディングもあるし。秀吉BANDとかもさ、やっぱりありのままを映したいし。zanpanはね、どっちもいける。

——どっちも(笑)。まあ確かにでも、バンドによるってのは本当にそうですよね。

 でも、弾き語りの人の方がこだわりが、やっぱりある感じがする。自分がいいと思った写真を選んでくれるのかなと思ったら……。

——あ、先方のこだわりがってことですか。

 そうそうそう。「あーそっちなんだ」。

何もないけど、ここには全部あるんだ

——開業したのはいつ頃?

 開業届けを出したのは2020年7月。

——あ、じゃあ撮影真っ只中ですか? 真っ只中でもないか。

 あ、そうだね。巡り始めた時だね。

——玉坂(涼太)くんは「いろいろやってるうちに開業しなきゃいけなくなって、やむなく開業した」と。

 ああ、らしいね。

——BeKoさんはどういった経緯だったんですか?

 ちゃんと開業してるっていうのを出した方が、やっぱり体裁というか、社会的にいいのかなって。

——これまた戦略じゃないですけど、考えがあって。

 うん。あと、屋号があった方がかっこいい。

——そうですね。

 屋号が「Fukushima ad tower」って言うんだけど、「福島の広告塔」って意味で。あと、音楽業界の一番有名な広告ってさ、「NO MUSIC, NO LIFE.」(タワーレコード株式会社)。

——ああ、そうですね。

 その「広告塔」からとった、みたいなイメージ。福島の、広告塔・タワーっていう。

——なるほど。写真以外のことを始めたのも開業してからですか? 映像とかデザインとか。

 映像はそうだね、コロナ禍入ってから。ぽーるくん(長沼哲也)の影響が大きいと思う。

——ああ、そうなんですか!

 そう。一緒に動画撮りに行くってなってから。一回旅館のプロモーションビデオを一緒に作ったんだ。

——ドローンとかもじゃあ、彼の影響ですか?

 ドローンは元々やりたいと思ってて。視点を変えると発見が……視点を変えるだけで魅力的なものってあるじゃん。あとはカメラが普及してきてさ、写真撮る人が増えて、じゃあどうやって差別化するかっていったらやっぱり、そこで空撮になった。

 元々撮りたい絵があって、実は。地元の会津美里町って結構田んぼが多くて、「これ上から見たら絶対きれいなんじゃないか」と思って、ドローンで撮ったんだよ。そしたら大好評。街のフォトコンでも選んでもらって。その時のを今も使ってもらってるのかな。その写真ってたぶん、街の人も見たことない光景だったと思う。それも、新しい観光資源になり得るんじゃないかと。

——ずっとこう(目の前にカメラを掲げて)撮ってたものが一気にこう(頭上からに)なりますもんね。

 そうそう。田んぼしかないけど、田んぼでも美しい。

——田んぼしかないから美しいのかもですね。

 そうそう。実際に撮ってみて、地元がこんなに綺麗だなっていうのが分かって、そこでまた好きになったっていうのもあるね。

——これだけ時が経っても、またその気持ちが更新できるってのはすごいことですよね。

 うん。何でもそうなんだけど、視点を変えるだけでこうやって、考え方が変わるっていうのはあると思うから。

——コンセプトにしてるフレーズがあるじゃないですか。「何もないけど全部ある」っていう。「福島には何もない」って、地元で活動してる人たちの切り口として時々見るフレーズだったりするんですけど、BeKoさんの言う「何もない」ってどういう状態ですか?

 それってもう、まさに地元のことを指してるんだよ。田んぼしかない。その風景を見て、思いついたキャッチなの。田んぼしかなくて何もないけど、でも美しい景色も、友達も家族もいる。そこに全部が詰まってる。

——ああ、そういうことだったんですね、ちょうどその話題だったんですね。

 それはたぶん、誰でも置き換えられるんじゃないかな。

 ただ、何もないから出てく人もいるわけじゃん。東京に行く人、仙台に行く人もいるけど、でも「何もないけど、ここには全部あるんだ」っていうことで、地方にしかない、地方でしかできないこともあるし、地方で負けないものもあるわけだよね。それを目標というかコンセプトに決めてて、「地方最強を目指す」っていうのを掲げてるんだけど。「地元のことは地元の人たちでやろう」っていうイメージ。

 例えば「福島市の動画を作ります」ってなった時に、関東の業者が入る動きもあるわけだよね。そうじゃなくて、やっぱり地元を知っている人たちの手で作り上げよう、クオリティの高いものを作っていこう。それってやっぱり、県内のクリエイティブ力じゃないけど、まだまだ低いから仕事取られちゃうわけで。そうじゃなくて、福島でもできることを増やしたいっていう意味で。

——その点においてもパイオニアかもしれないってことですよね、BeKoさんが。

 実際にはいろんな人いるんだけどね。身近な存在っていう意味では(そうなれるかも)。

——今のBeKoさんって、どういうフェーズだと自分で思いますか?

 例えば? ながいせんせは今どういうフェーズだと思ってる?

——ラジオのレギュラーが3月で卒業になっちゃうので、4月からはFlagmentをもっと強化したいなと……うん。そうですね、そういうフェーズです。

 ああ、じゃあ同じ感じかな……それこそ俺も次のフェーズにちょっと向かって、今活動してる。これはちょっと書いたらまずいかな(笑)。そうだね、なんか新しいこと始めたいとは思う。

——福島に軸足を置いてるっていう意味では今までとは変わらないけど、アプローチの仕方とか、そういう部分を新しくしていきたいという感じ。

 うん。それこそ、今やってるのはたぶん、ホームページでいうと、この(ひとつめの)ミッション。「個人・企業の垣根を超えて」、発信してくっていう取り組み。

——これらの土台を固めていくというか。まさに今話してもらったことがここに並んでる感じなんですね。

 そうそう、自分がこれからやるべきことが、これかな。

まだ知られてない才能ある人たちに、仕事を振っていく

——だんだん締めに向かっていくんですけど。ここまでで聞きそびれというか、「この話してない」みたいなのがあったりしたら。

 うーん……何の話がいい?(笑)なんかね、細かいことが多いからね……。

——DJはもうやらないんですか?(笑)

 飽きました(笑)ちょっと大変かな。一番アホだなって思ったのが、イベント企画して、自分で転換DJやって、撮影も全バンドやって(笑)。

——(笑)やば。

 あれはもう本当に休む暇なかった。

——ずっと稼働してますもんね。

 でもライブ写真では、一人弟子がいて。

——あ、くまき(のりこ)さんですか?

 そう。なんか、元々俺の写真を見てくれて、そこから自分もライブ写真撮るようになったみたいな感じで。同じ現場に入ってもらったりとかして、一緒に撮って。今ではもう(郡山)PEAK ACTIONの壁一面に貼るようになって。

——うんうん。もう結構じゃあ長い付き合いですね。「弟子の成長」みたいなものって感じられるものですか?

 感じる感じる。……ああ、そうだね、さっきの「フェーズ」の話で言うと、弟子じゃないけど……育成もしたいなと思って。たまに今だと映像で入ってもらったりする人はいるんだけど。育成にもちょっと今年は力を入れるっていうか、そういう活動もしていきたいなと。活動でいうとそうだな、フォトウォークもちょっと企画したいな。

——撮影会みたいな?

 そうそう。その地域をもっと深く知る意味でも、例えば飯坂温泉街をみんなで撮り歩くみたいな。で、終わったらみんなで写真を見せ合ったりとかして。どういう意図でそれを撮ったのか、あとその後にその編集の仕方とか、情報共有したり教えたり……っていうのもしたいかなと。

——その教育とか育成とかっていうところもきっと、地方を最強にしていくっていうのに繋がりますもんね。

 そう。

——土田(智之)さんがインタビューの中で言ってたんですけど(コレクターズブック『あかつきのおと』収録)、「地元の人たちが、地元でもできることがいっぱいあるんだけど、それを知らないまま東京行っちゃったりして、知る場がないのがもったいない」って話をしてて。それに近いことををこれからやられていく感じなのかなと思いました。

 うん。確かにそうだね。知らない……発信力がない……なんだろうね。なんで知らないんだろうね。

——経験をしないまま行ってしまう?

 経験できる場が少ないのか。確かに、経験する場っていうのは必要だね。ライブハウスもね、やっぱり怖いイメージだから。

——この間もジョンさんと喋ってて、オープンマイクとかが一番それに近いのかなって気はしましたね。ふらっと歌いに行けるみたいな意味では。

 ああ〜。U-ONE(MUSIC)、(福島)OutLineも最近、一般の人で歌ってみたいって人とか募集してるね。

「ライブハウスに来たのがzanpanのライブが初めて」って人いる?

——そんなような話を聞いたことはあります。やっぱ嬉しいですね。

 それはなんだろう、YouTubeとかSNSで見つけてくるのかな。

——ですかね。うちらではないですけど、「meet」って企画やってるしなもんちゃんは、グッドモーニングアメリカのライブ観に行ったらそこにアンテナがいて、アンテナきっかけで地元バンドに目が向いたっていう話はしてました。きっかけ一つですよね。

 うん。

——その他に何かこう……ここからやっていきたいこととか、あるいは自分の理想像みたいなのとかってあったりします?

 あんまり表立って知られてない、例えばめちゃめちゃいい写真撮る人とかが埋もれてるわけじゃん、映像とかデザインする人。そういう人たちに仕事を振っていきたいなと思う。代理店みたいな立ち位置じゃないけど。で、SNSでもいいし、そういう作品の作り手はいっぱいいるし、そういう人たちに……例えばプロモーション映像作るってなった時に「企画の中身考えてよ」とか「テロップデザインしてよ」とかっていうのを、振っていきたいかな。自分がその窓口になって、まだ知られてない才能ある人たちに、仕事を振っていくみたいな。で、そこには必ず音楽がつきものだから、そういう映像とかはさ。そこは、ミュージシャンにも振れるから。それが理想形。

——いままで通ってきた道がちゃんと全部つながって、これからにもつながっていくわけですね。

 そうだね。それが理想だなあ。

——まさにBeKoさんが言ってたことですけど、大きい企業とかを挟むのではなくて、この距離感の人たちで作り上げていけるっていうのはめっちゃ楽しみですね。

 うん。まあ、そのためにはやっぱりクオリティを上げないといけないし。

——それはご自身も含め?

 うん。でも最近は、自分ができないことはもう他の人に振ろうって思ってる。編集好きじゃないから(笑)編集は今後誰かに振ろうと。あとは次回、もうちょっと玉ちゃんと一緒に企画内容を考えようかと思って。

——玉坂くんもだって、まちづくりの場で元々やってた人ですもんね。

 うん。CJ(シティ情報ふくしま)に元々。結構資料づくりとか、企画考えるのは得意みたい。「じゃあ一緒にやろう」って。

——その人ひとりの活動もいいですけど、掛け合わさるともっと面白いですもんね。

 そうそうそう。

——聞きたいと思っていたことは、あらかた聞けました。ありがとうございました。

 ありがとうございました……なんか時系列が結構バラバラになっちゃったけど。

BeKo(鈴木友和/すずき・ともかず)
1988年7月13日生まれ。福島県出身。
Fukushima ad tower代表。ルーツである写真、映像をはじめとしてマルチに活動するクリエイター。
各種PRや観光企画など、個人・企業・自治体を問わずその手腕を発揮している。
𝕏(@t_beko
Instagram(@beko_fks
Web

取材協力:AREA559
〒960-8034 福島県福島市置賜町7-5 アドニード121 2階
TEL.024-573-7574
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