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本との出会い

時には、息抜き。だって世間はGWだもの。

ここ数年、というよりほぼほぼ10年間、小説を読むことなく過ごしたわけですが。(本だけなら、たまに読みますが)

わりと先日、「十二国記」の1巻(上・下巻)を初めて手に取りまして。

話せば長くなるんだけど、元々中学の頃、「魔性の子」という同作者のホラー小説を持ってましてね。
気に入って読んでたのです。中学の頃は、小説を人並みに読んでたので。

それから月日は流れ、5、6年ほど前でしょうか。
当時の職場で50手前のお姉さまと、定年前の髪の白いおじさまが「新刊出るねぇ!」と盛り上がっていて。
そう、知っている人もいるかと思いますが、それが十二国記の新刊「白銀の墟 玄の月」というやつです。

それこそが私がかつて手元に持っていた本に出てきた男の子が主役の物語だったというわけです。
十二国記、中学の頃から名前だけは知ってましたからね。

でもそれが、あのホラー小説と関連する物語だったとは、その瞬間まで思いもせず。
およそ20年ぶりの新刊発売のニュースに沸く人たち以上に驚いたものです。

(私はあれを、遠巻きにされてクラスで浮いてた子が、本人にも分からない力で復讐する物語だと思って当時は読んでましたから)

でも、そんな衝撃を受けても本編を読もうとは思わなかった。
老若男女をも虜にする物語を。今更読むのもねぇ。

しかし久しぶりに魔性の子を読みたいなと思って、今は手元にないので図書館で探したところ、一緒に並んでいた十二国記の1巻もなんとなくついでに借りて。
読んでみたら、その冒険活劇に忘れていた冒険心が揺れ動かされてしまったというわけです。

内容は、結構重々しいものですがね。
人間の心理を突いたような、ジャンル的にはライトノベル寄りだと思われるけど、全然ライトじゃないなって。

人が見たくないものだとか、苦しみだとか、そういうのをとらえた作品です。

特に主人公の陽子には親近感を感じますしね。

嫌われるのが怖いからこそ、真面目な八方美人。
優等生で問題は起こさないけど、10年経てば、みんなの記憶から真っ先に居なくなるような。
女の子は大人しく優しいのが一番だと育てられたけど、いざ自分が直面する現実では、それじゃあ生きていけないことを思い知るだとか。

弱弱しかった女子高生の陽子が、行った世界で荒波にもまれていくことで、段々と自分で自立した考えを持ち、自分の足で歩いて行く。発する言葉さえ、変わっていく。
そのサマは、とてもカッコいいものです。

この本を青春時代に読めていれば、どんな今を過ごせていただろうと。
嫉妬するその一方、今だからこそ生まれる感動もある。

私は陽子の、自分のダメさを実感して認められるところが本当に好きなのです。

「私は本当に、至らない、、」

一緒に話していた相手と自分を比べて、自分が本当に至らないことを素直に認めて出た一言です。
相手と比べて、自分はこんなにも情けないなんて素直に口に出せます?

この年になって、そうやって己を直視して弱さを素直に認める、それがいかに難しいかを知っているからこそ、物語といえど16歳の学生がやってのけることに、心揺さぶられるのです。
本当に、この子はすごい。尊敬する。

そういう意味で、大人になってから読むことは、青春時代に読むことともまた違った感動があるのです。

若い内に読めば、強く生きたいと勇気づけられる。背中を押してくれる。
大人になってから読めば、登場人物の在り方と自分を重ねて、心のどこかが揺れ動く。
そこが感動につながるのです。

ああ、この子は本当に強い、そう心で感じさせられます。
そして震える。
こんな感動、昔は絶対になかった。年を重ねる喜びです。

年を重ねた分だけ、その豊かに蓄積した経験は人を涙もろくさせますから。

本、中でも特に小説というのは若い内に読むよりも、ある程度経験重ねた大人が読んだ方が深みがあると思いました。

今の自分が、あえて「今」この本を手にとった意味ですね。
まさに、自分がこの本を「選んだ」わけです。
こういうのが、本との出会いってやつなのでしょう。

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