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母親を引っ越しさせ、1人暮らしを始める話

僕は今実家暮らしである。
しかし紆余曲折あり、実家は僕が所有者である。
そして我が家は機能不全家族であり、家族は皆毒家族である。
僕はその毒を受けて育ち、先天障害も重なり重度障害者となった。

毒家族から離れたい。
しかし働くことなど到底できない自分がこの家を出るのには無理がある。
現状部屋を借りたとすると別宅扱い---つまり別荘となるので諸々の費用が増し増しになるのである。正に詰み。

幸い毒父はアルコール中毒で勝手に死んでくれたし、毒兄とは絶縁できた。毒祖母も癌で早々に死んだので、今は毒母と2人暮らし。
しかしその最後の毒が今も僕を苛み続けている。

成人と共に通い始めた精神科はもう17年目。
どんな専門家の意見を読み漁っても聞き漁っても、答えは同じ。
「ストレスを減らして自分を大切に生活していくことが治療への1歩」
そんなことを言われても、ストレス源が衣食住に紐づいている生活では悪化はしても良くなることは無い。
病状は進み、それが新たな病気を呼び、次々病気が重なっていく。
死ぬまで続く死のループ。

病院でも訴えた。
行く所にも訴えた。
だけど『家族と縁を切る手助けはできない。ご家族と助け合ってください』としか返ってこなかった。
それはそうだ。国の方針がそうなのだから。

という訳で僕には母親に出ていってもらうしか方法が無い。
しかしそう簡単に出ていってくれる人間であれば初めから苦労はしていない。
なので本腰を入れて戦い抜くことを決めたのが今年の初めのこと。
絶対に退かない、諦めない。
そうして戦い続けてきて、今。
母親が引っ越しの準備をしているのをよそにこれを書いている。

誰がどう見たって詰みというこの環境で、どう戦ったのかを簡単に書こうと思う。
一言で書くならば『向こうが動くまで追い込み続けた』という至極真っ当な戦い方をした。

  • 家族と住んでいる場合生活保護を受けられない

  • 母親と住んでいる限り生活保護を受けられないし1人暮らしもできない

  • 自立の為の生活保護は受けられない

  • 母親からどう見えていようと僕は重度障害者である

  • 就労不可と主治医からも言われている

  • 治ることはない

  • 母親もまた発達障害を持っているはずである

  • 障害者ではないと言うなら一人暮らしをしてほしい

  • 障害児を持つシングル世帯として何も準備をしていないのは愚か

  • 何故障害児がいるのにも関わらず借金を重ねてきたのか

  • 一般的な扶養者は様々な対策をしている

  • 障害や片親等のドキュメンタリー番組を観て社会問題を考えているのに自分の家庭は何もしていない

そういったことを事ある毎に繰り返し言い続けた。
母親は始めの内手を変え品を変え反論してくるけれど、最終的には黙って無視をするようになる。
だから毎回無視されるまで言い続けた。
言葉を変え、同じ内容のことをとにかく繰り返し言い続ける。
それを続けていったある日、母親はぽつりと呟いた。
「分かった、出ていけばいいんでしょ」
その翌日から作戦は次に進んだ。
出ていく具体的な計画を繰り返し聞き、また合わせて出ていってもらう必要性を繰り返し説いた。
それこそ耳タコレベルで。

申し訳ないと思ったことはない。
幸いにも僕はちゃんと母親のことが嫌いである。
より正確に言うならば邪魔である。
そして稼ぎもしない母親はもう毒でしかなく、かじれるスネが無くなった段階で捨てるべき物でしかなくなった。
だから情など微塵も無い。
毒を注がれてきたのだから、僕もまた母親の毒になることができる。
自分の人生を初めて優先した瞬間である。
37年目にして、僕は初めて自分を優先して相手に毒を注いだのだ。

母親の引っ越しが終わったら、生活保護を受ける予定でいる。
受けられなかったらまぁその時はその時だ。
家を売るのか、そのままホームレスみたいな生活になるのか、施設に入ることになるのか。
それはまだ分からない。これからどうなっていくかなんていうのは分からない。
しかし新たな1歩には違いない。
今はそれを祝してこの環境を享受しようと思う。

死のうとした十代の頃の俺氏へ。
嘘みたいだろ?お前、37歳まで生きてるし、その歳で親を追い出せたんだぜ。

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