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オーギュストロダンに突き刺さるアイルランド・カラ競馬場スタンドの大屋根




競走馬オーギュストロダン(愛)が、英ダービーに続いてアイルランド・ダービーも勝利した。
オーギュストロダンは、2019年に死亡した種牡馬ディープインパクトのラストクロップ(最終世代)

日本国内に6頭、国外6頭、計12頭しかいない僅かな産駒の中から、欧州ですでにG1三勝を挙げる歴史的な名馬が誕生した。

オーギュストロダンはこの後キングジョージから秋には英インターナショナルSに向かうという報道もあり、サンデーサイレンス→ディープインパクトという日本競馬の結晶と言うべき血統を受け継ぐ本馬がヨーロッパの舞台でどこまで輝けるのか、注目が集まる。

これ、なんなんですか?


ところで、本稿で話題にしたいのは、オーギュストロダンの勝利写真のことである。
地面スレスレからアオリで撮っている写真は競走馬のスピードと迫力を感じさせ、とてもカッコヨイ。

だが、この画面右部に見える物体は何なのだろう?

白い雲の浮かぶ青空を、鋭角に切り取るかのような影。

小さな画面で見ると、画像処理のミスのようにも見えてしまう。
見ようによれば、疾走するオーギュストロダンの土手っ腹に突き刺さっているかのようである。

しかしよく目を凝らすと、この切片の下にはゴンドラのようなものがついている。どうも、スタンドの屋根、構造物のようであるらしい。

こんな屋根が、存在するのか。

アイルランド・ダービーの舞台は、首都ダブリンから南西約40キロほどのところにあるカラ競馬場。

というわけで、カラ競馬場のスタンドについて調べてみた。

カラ競馬場の大屋根


調べてみると、このスタンドは2017年から2019年にかけて工事が行われ新設されたものだという。


サイドから撮ったスタンド。空中に浮遊するような水平屋根の構造がよくわかる
大屋根にすっぽり覆われたスタンドは最大6,000人の観客を収容できる
上空から撮られたスタンドとパドック


カラ競馬場スタンドの再開発を担当したのは、英国の建築家ニコラス・グリムショー
グリムショーが主導したデザインは、ダブリンを拠点とする建築家ニューウェンハム・マリガン&アソシエイツと協力して開発された。
広大な競馬場のロケーションに合わせて、エレガントでありながら控えめなデザインとなっている。

新しいグランドスタンドは、水平方向に積み上げられた複層となった形状で構成され、その頂部には競馬場の平面的な風景と調和する大きな屋根がそびえ立っている。

このカンチレバーの屋根は、カラの自然の起伏のある形状と人工の精密さとのコントラストを強調している。
近くから見ても遠くから見ても、屋根はカラにユニークで際立った特徴を与え、なおかつ その伝統と精神にふさわしい気品を有している。
https://grimshaw.global/より)


朝靄に烟るカラ競馬場


画像をご覧いただければわかるように、カラ競馬場の新スタンドはどの角度から撮っても美しい。

過度に現代的な意匠を打ち出すのではなく、スタンド上部に自然に溶け込む素材の大屋根を被せることで、大地が織りなすカラ競馬場周辺の雄大な自然環境とも見事に調和することに成功している。

ニコラス・グリムショーの建築


カラ競馬場のスタンドを設計したニコラス・グリムショー(Nicholas Grimshaw)は1939年、イギリス南東部ブライトン近くの街ホーヴ生まれの建築家である。

Nicholas Grimshaw(1939-)

1980年にニコラス・グリムショー・アンド・パートナーズを設立し、精密な技術にもとづいて設計された合理的かつ機能的な建築によって早くから評価された。
1992年のセヴィリア万博で担当した英国パヴィリオンは「英国精神」を表現したものとして高い評価を得た。

その実績から、グリムショーは2019年に優れた建築家に送られるRIBAゴールドメダルを受賞している。
(RIBAゴールドメダルは王立英国建築家協会より送られる。日本人受賞者は、これまで丹下健三・磯崎新・安藤忠雄・伊東豊雄の4人)

グリムショーは今年2023年で齢84歳になる。関わった建築物がイギリス国内に集中しているためか、日本での知名度はさほど高くないようだが、グリムショーが主宰する建築事務所は、これまでに数多くの作品を残している。

ロンドン・ウォータールー国際駅


ウォータールー駅は、テムズ右岸、サウスバンク近くにあるイギリスで最大の乗降客数を誇るターミナル駅である。

1994年に完成したウォータールー国際駅は2007年までの13年間にわたり、国際鉄道ユーロスターの発着駅として運用され、ヨーロッパ各地からロンドンへ訪れる人々の玄関口だった。
セント・パンクラス駅に国際ターミナルとしての機能を譲った後も、ウォータールー駅はロンドンの中心駅としての役割を果たし続けている。

※ちなみにウォータールーは、1815年イギリスがナポレオンに勝利した「ワーテルロー」の戦いにちなんでいる。そのためユーロスター運行時は、駅名を変更するよう要請がフランス側から何度も寄せられたという。

このプラットフォームに架けられたガラスと青く塗られた鉄の屋根は、建築史に名を残す名建築とされている。
全長400メートルにも及ぶターミナルは王立英国建築家協会賞を受賞するなど、英国ハイテク建築の至宝的存在だ。線路の曲線に合わせ屋根を組んでいる訳だが、その結果、ガラスの鱗が重なることでうねるような曲面が作り上げられた。
耐久性を求められない、仮設ゆえの大胆なデザインとも取れるが、結果的には鉄を使った大空間・ハイテク建築の持つ可能性や軽快な表現を世に知らしめることとなった。

藍谷鋼一郎 英国ニュースダイジェスト
https://www.news-digest.co.uk/news/archive/architecture/3089-waterloo-international-station.html
 

〈エデン・プロジェクト〉


ウォータールー国際駅に加えてグリムショーの代表作とされるのが、エデン・プロジェクトと呼ばれる建築群である。

エデン・プロジェクトは、イングランド南西部のコーンウォール州にある「環境保護」をテーマとしたラーニング・センター型の複合施設。
特に目を引くの巨大な温室は「バイオーム」と呼ばれ、世界最大級の植物園となっている。

施設内では熱帯地域や地中海の温暖な気候が再現され、現地の植物を栽培・展示するとともに植物の地球における役割を伝えている。

草地に広がる半透明のドームは、現代的なデザイン性とともに、どこか生物の持つ有機性を感じさせる。「ハイテク建築」とも呼ばれるグリムショーの建築は、周囲の自然に溶け込む柔軟性も持ち合わせている。

ロールスロイス本部・工場施設 


グリムショーは、英国の高級車メーカーであるロールスロイスのビスポーク(オーダーメイド)工場の設計も手掛けている。

南イングランドにある本社工場は、美しい英国庭園に囲まれており、おおよそ“工場”とは思えない。自然と融合した建築を得意とするニコラス・グリムショーによって、英国随一の高級別荘地に、世界にも稀な美しい自動車工場が誕生したのだ。
自然光が入る明るい室内では、熟練の職工の手で一つひとつの工程が丁寧にこなされている。

 Forbes JAPAN https://forbesjapan.com/articles/detail/14504

ロールスロイス社では最高級の顧客に提供する最高級の製品のために、ひとつひとつの車体を丁寧に時間をかけて完成させる。

その過程を顧客に体験してもらうために、工場施設までもが熟慮され、洗練された空間に仕上がっているのが驚きだ。

おわりに


今回はアイルランド・ダービーを征したオーギュストロダンの一枚の写真から、カラ競馬場スタンドを設計した建築家、ニコラス・グリムショーの足跡を辿ってみた。

競馬場の主役はもちろん競走馬であり、ジョッキーであるから、観客の目はレースコースの方へ向く。だからふだんは競馬場の建築に注目されることは少ない。
だが、カラ競馬場のスタンドは一度は見てみたいと思わせる魅力を持ち合わせている。

凱旋門賞が開催されるフランス・ロンシャン競馬場をはじめとする欧州競馬は競馬ファンにとって憧れだが、敷居が高そうで、今までほんとうに「行きたい」と思ったことはなかった。
だけれど今回アイルランド・カラ競馬場について調べてみると、こんな競馬場であれば一度は訪れてみたい、という思いが強くこみ上げてきた。

いつか、そんな日が来れば、そしてその頃にはディープインパクトをはじめとする日本の血統を持つ競走馬がヨーロッパの地でもっともっと活躍してくれていたら、と切に願う。

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