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日本の最初期ブレイクコア

PRSPCTから先日リリースされたDoormouseの待望の新作12"レコードはその名も『Breakcore』。Doormouseのブレイクコアに対する姿勢が込められた曲に新旧のブレイクコア好きが興奮した。

ミーム的な側面が強くなっているブレイクコアに対して、一部のアーティスト達は反発し始め、それぞれのブレイクコアを活動や作品で提示していて盛り上がってきている。また、Twitterでの #breakcore というタグを辿ると様々な動きや意見を知ることが出来る。

ブレイクコアは反対/反逆の精神が湧き上がってきた時に常に爆発を繰り返してきたので、ブレイクコアはここから新たなフェーズに突入する可能性がある。

勿論、日本のブレイクコアにも反対/反逆の姿勢が深く関係しており、特に最初期はハードコア・テクノやデジタルハードコアなどへの愛憎が見え隠れしているように感じた。

今回は、ブレイクコア・シーンのさらなる盛り上がりを期待して個人的な視点から日本の最初期ブレイクコアに関して記録してみる。

ハードコア・テクノからの派生

90年代後半にアメリカ、イギリス、ドイツなどを中心にシンクロニシティのように広がっていったブレイクコア。
Praxis、Kool.pop、Ambush、Deadly Systemsといったブレイクコアの土台を作り上げたレーベルは元々ハードコア・テクノをクリエイトしていたアーティスト達が設立しており、全てではないが、ブレイクコアの大本はハードコア・テクノから広がっていったのは間違いないだろう。

日本でも、WAXや裏口入学などのハードコア・テクノを扱っていたフリーペーパーでブレイクコアは扱われ、最初期ブレイクコアのレコードをレビューしており、Noize CreatorやDJ Scudなどのブレイクコアのパイオニア達と盛んに交流していた。

1998年にNaoto SuzukiがAbsolute Terror Field名義でドイツのBlutから発表した『Komm Süßer Tod EP』は既存のハードコア・テクノからは遠く離れた作風で、使われている素材や構成からブレイクコアに通じるものがあった。実際に今作は海外のブレイクコア・アーティストがフェイバリットに挙げることが多く、ある意味で日本のブレイクコアの始祖といえるかもしれない。

大阪を拠点に活動を行っていたBass2 Recordsが発表したコンピレーションCD『Hate Spirit』と『The Silent Orbit - Bass2 Records Compilation Vol. 2』も重要度が高い。Bass2 Recordsはフランスのインダストリアル・ハードコア、ドイツのスピードコアをプッシュしながら実験的なハードコア・テクノも広めようとしており、この二つのコンピレーションはハードコア・テクノがブレイクコアへと変化していく流れをパッケージングしている。

2001年にBass2 Recordsが発表したコンピレーション『Temperamental Structure』はロ±ロ、System609(Ka4u)、Questionames & Distest、Absorb Design(Violent Holiday)といった後に関西のブレイクコア・シーンの主要アーティスト達が参加。Bass2 Recordsの主宰者であったShigetomo YamamotoはSyntax名義でインダストリアル・ハードコア~フレンチコアのバックグラウンドを活かしながらエレクトロ~ブロークン・ビーツをクリエイトし、1999年に『Stablecorps』という12"レコードを発表。今作も海外のブレイクコア・アーティストから支持されていた。

2001年にドイツのShockwave RecordingsからリリースされたSyntaxとYam Yamのスプリット・レコード『Washoku Test Zensen』は、Dan Hekateが追求していたエレクトロとブレイクコア/ハードコアのハイブリッドと同じ方向を進んでおり、今聴いても多くの可能性が秘められている。

Bass2 Recordsがレーベルやイベントで開拓したエクスペリメンタルなハードコア・テクノやブロークン・ビーツ~エレクトロの流れは次の世代であったMIDI_sai、G2PRODUCTSに受け継がれていき、さらに多くの音楽的要素を取り込んで発展させていった。

大阪では伝説的なレコードショップBreakcore Rec(後にElectro Vaiolenceと改名)がどこよりも早くブレイクコアのレコードを日本で販売し、後に活躍する国内ブレイクコア・アーティスト達を多数サポートした。東京ではBuy or Dieというレコードショップが早い時期からブレイクコアを扱い、そこにはUNURAMENURAやDopeCoaraなどが集っていた。

「ブレイクコア入りはやはりBreakcoreレコードです。当時、心斎橋にあったレコード店で、名前のままやけど、刺激的な電子音楽が集められてていろいろ聴き入れさしてもらいました。ただ当時はまだジャンルとしては確立してなくて、みなそれぞれ試してる感だけでやってるので面白かったですね。
これがブレイクコアみたいなのはなくて、「こういう音で遊びたい」的な感覚を無理やり混ぜ込んで出来た音みたいな感覚かな。いろいろそういう音を聴きこんでたので、自身のフィルターを通した結果の音やないでしょうか。確かに今ブレイクコアと言われるものをいっぱい聴いてましたね。」(OVe-NaXx)

『ブレイクコア・ガイドブック 下巻』

「DJを始めた頃インダストリアル系のレコードを集めてて、心斎橋歩いてたらたまたま「日本初のハードコアテクノ専門店ブレイクコアレコード」って看板を見つけて、気になり過ぎて恐る恐る入ったら、それが後のElectro Violenceだったっていう。その日に色々聴かせてもらって、買っていったのがNoize Creator。当時はまだブレイクコアってジャンル名としてはまだなかったけど、ガバやハードコアの延長として聴いた感覚だったのかな。でもNoize Creatorは自分の中では、ブレイクコア的な感覚で聴いたファースト・インパンクトがあったと思う。ディストーションベースな質感で爆発的グルーブ感を感じたというか。そこからVenetian Snares、Doormouse、Enduser、Bong-Ra、Toecutter、とにかく色んなタイプのブレイクコアにハマり出して。当時ブレイクコアにはきっちりした定義がなく、アーティストそれぞれのキャラクター性が明確で音聴いたら誰かってすぐ分かるものばっかりで。ブレイクコアの面白さはバグったグルーブ感の中にある爆発力と、定義が全くない事と、スタンス的にはヒップホップの様なサンプリング・カルチャーに根付いた反骨精神を持った音楽だと思ってた。」(Ka4u)

『ブレイクコア・ガイドブック 下巻』

「(Buy or Dieは)お店というか店長さんの家の中でやっている感じでしたね。皆そこに溜まっていて、レコードを聴いたりとか、自分で作った曲を聴いて貰ったりとかしてました。
Buy Or Dieは所謂ストレートなハードコア・テクノよりも、エクスペリメンタルっぽいのとか、ちょっと変わったハードコアを推してました。Somatic Responses、Noize Creator、Taciturneとかのインダストリアルっぽいのや、Venetian Snaresとかも。」(UNURAMENURA)

Breakcore Interview Vol.2 – UNURAMENURA

明確にブレイクコアというスタイルにフォーカスして活動をしていたのは、UNURAMENURAとDopeCoaraが少なくとも東京では最初だったと思われる。彼等もハードコア・テクノやデジタルハードコアをルーツの一つとして持っていたが、活動当初からブレイクコアを作り出していた。
UNURAMENURAは2001年にPeace Offの名物コンピレーション・シリーズ『The Kamikaze Club』とサブレーベルDamageのコンピレーションに参加。ブレイクコア・シーンが形成されてきた第一黄金期に参入した数少ない日本人アーティストであった。

「(ブレイクコアは)当時から特に定義とかは無かったけど、俺の解釈ではブレイクビーツのハードコアという解釈が大きくて、ブレイクビーツを極端に歪ませたものっていうか、全てがディストーションとセットになってる。アーメン・ブレイクをカットアップしただけじゃなくて、スロウなテンポとか、いろんなスタイルがあった。ガバキックも使ってたけど、それはあくまで一つの要素。ガバキックはまだハードコアの物って感じがあったので、それをミックスするっていうのが新しく感じてました。」(UNURAMENURA)

Breakcore Interview Vol.2 – UNURAMENURA

2000年に大阪でMIDI_saiがスタート。インダストリアル~リズミックノイズとブレイクコアを軸としたパーティーを開催し、主宰のKa4uを筆頭にOVe-NaXx、Maruosa、DODDODOといったアーティストがMIDI_saiに集まり、彼等を中心とした大阪のブレイクコア・シーンが徐々に出来上がっていく。
この辺りからブレイクコアはIDMやエレクトロニカのムーブメントと合わさっていき、形を変えながらその規模を拡大させていた。

「N2KっていうドラムンベースやってたDJが、何か新しいパーティーやろって誘ってきたのがキッカケで。俺の方でもともと新しくパーティーするなら
MIDI_saiって名前(当初はMIDI 祭)が良いってなぜか決めてたから、じゃあN2Kもそれでいこうって。ただただMIDIって言いたい初期衝動やったと思うけど(笑)。当時は趣味の合う音楽仲間もほとんどいなかったし、まだネットも普及してない時期やったから、レコード屋に出演者募集の張り紙して貰ったり、街中いたるところにステッカー貼りまくったりしてた(笑)。フライヤーにはTechno Noise Industrial Dubとか書いて取り敢えずアバンギャルドな事がしたくてたまらない時期で(笑)。ほんと初期はガルペプシがやってたノイズユニット□±□と自分とN2Kだけみたいな。あとDoor(後のROMZ)によく通ってたから凄い影響受けてた。ゲストでShiro さんとかSyntax さんとかにも出て貰ったり。ちなみにN2Kに関したら馬が合わなくて、半年で一緒にやれないってなってしまったけど(笑)。
立ち上げから1 年程経って出演者募集の張り紙キッカケもあって、OVe-NaXxとも出会ったり、近い感覚を持った同世代が集まって来て膨れ上がっていった感じ。MIDI_sai以外にも「裸電球の夜」とか「Soondie」とか色んなパーティーが同世代でやってて、ジャンル関係なくヤバイ若手集まれ! みたいな熱い時期やったな。1年目~ 2年目以降ぐらいからはとにかく踊れて斬新なパーティーにしたくて、ちょうどその頃Hallyさんのmixを聴いてゲームミュージックをダンスミュージックに消化する感覚が衝撃でレギュラーで出て貰ったり。チップチューンに着目したのはウチがめちゃくちゃ早かったと思う(笑)。」(Ka4u)

エレクトロニカ〜ブロークン・ビーツからの流れ

ハードコア・テクノから派生したブレイクコアとは別に、エレクトロニカ~IDM~ブロークン・ビーツを源流としたブレイクコアが2000年代初頭に登場。
Kid606を代表的な存在として、Donna Summer(Jason Forrest)やCurtis Chip、Mochipet、Xanopticonなどのアメリカを拠点としたアーティスト達がその流れを先導し、Tigerbeat6、Planet-Mu、Broklyn Beats、Addict Records、Suburban Trash Industries、Hymen、Sonicterror Recordings、Mutant Sniperなどのレーベルから革新的な作品が発表された。

2000年以降、様々なソフトウエアとツールが開発され、その影響をブレイクコアはどのジャンルよりも強く受ける。テクノロジーの進化と共にブレイクコアはその可能性をさらに広げ、現在に通じるインターネットをベースとしたシーン/コミュニティが形成される。

エレクトロニカ~IDMから派生したブレイクコアにおいて、日本ではJoseph NothingとCom.Aの吉田兄弟が与えた影響は非常に大きい。Joseph NothingはROM=PARIとして1999年にアルバム『View』を発表していたが、このアルバムにはCom.Aが半数の曲で参加しており、ライブも二人で行っていることが多く、実際にROM=PARIは吉田兄弟のユニットといえる。

ROM=PARIの『View』は伝統的なドリルンベース~ブレインダンスの要素を受け入れながらも、デスメタル~グラインドコア~ノイズといったエクストリームな音楽からの影響が歪に反映され、Joseph Nothingの猟奇的な世界観が始めて世に出た名盤。Com.Aのエモーショナルでキャッチーなメロディも既に完成しており、一度聴いたら忘れられない印象的な曲ばかりが収録されている。

ダブ・バンドAudio Activeの12"レコード『Idle Dragon』に収録されたROM=PARIのリミックス「Idle Dragon (Grind Core Mix)」は、歪ませたビートが叩き込まれるタイトル通りの内容で、このサディスティックで変則的なサイバーグラインド・スタイルはJoseph Nothingがより際どく進化させていき、ブレイクコアといえる曲を発表する。
他にも、Joseph NothingはGeodezikの『Low Bit Drop』『Trap EP』にも参加しており、彼らしい奇抜な電子音とビートを提供している。これらの作品は、2000年代に展開されていったエレクトロニカ~IDM~ブロークン・ビートを主体としたブレイクコアに近いものがある。

以前、Peace OffのRotatorが来日した際に日本の音楽ではどんなものが好きなのかを尋ねたら、ROM=PARIをとても愛聴していると教えてくれた。他にも、2000年代以降に現れた国内のブレイクコア・アーティストにはROM=PARIと吉田兄弟のソロワークに影響を受けている人は少なくない。

Joseph Nothingは2001年にPlanet-Muからアルバム『Dummy Variations』とシングル『Just One Fix』を発表。並行してKnifehandchop、Donna Summer、Paleのリミックスを手掛け、海外のブレイクコア・シーンから支持される。

Com.AはShiro The GoodmanとレーベルROMZを立ち上げ、アルバム『Dream And Hope』とリミックス・アルバム『We Are The Pervert?』(LP盤はUSブレイクコア・シーンの歴史に欠かせないZODから)を発表。ROMZはJoseph NothingとCom.AにWorld's End BoyfriendとMilky-Chuという前田兄弟を迎え、Kid606の日本盤アルバムも手掛けていく。

ROMZの前身レーベルであるYoung-Z RecordsからリリースされたミニCDはブレイクコア的マッシュアップを展開し、レーベルオーナーであったShiro The GoodmanはDJプレイにおいてブレイクコアをダンスホール・レゲエやブロークン・ビーツと共に再構成。圧倒的な実力とセンスを持ったShiro The GoodmanのDJプレイは、特に東京のクラブ・シーンに衝撃を与え、それによって開かれた扉は幾つもあるだろう。
エレクトロニカ~IDMが大流行していた時期に、ROMZはブレイクコア寄りの展開を無意識ながらも進め、結果的に日本の音楽業界にブレイクコアを広めることになる。

「Planet-Muのウェブサイトを見ているときに、Joseph Nothingの曲を聴いたんだ。メロディーセンスに惚れたし、なんて遊び心に溢れたアレンジなんだろうと思ったのを覚えている。彼は未だにPlanet-Muからリリースした中ではお気に入りのアーティストだね。ウェブサイトに彼の情報が載っていたものだから、互いの曲をリミックスしませんかってメールを出したら、承諾してもらえて。曲を交換した後、リリースしてくれるレーベルを探したんだけど、最初に興味を示してくれたのがSonicterrorだったんだ。
ツアーで日本に行ったときに会うまでは、Joseph Nothingとは直接の面識はなかった。そこでようやく、僕らが一緒に作ったレコードのコピーを渡すことができたんだ。彼は本当に面白い人だよ。話していると、毎回その見識に驚かされる。1000年生きている電子音楽の賢者といった感じで、100年に1度山から降りてきて、何か素晴らしいことを言って、また消えてしまうんだ。」(Pale)

『ブレイクコア・ガイドブック 下巻』

福岡を拠点に活動していたHimuro Yoshiteruは1998年にイギリスのレーベルWorm Interfaceから1stアルバム『Nichiyobi』と、翌年にKoichi ShimizuとのスプリットLP『Latest Gorgeous Energy』を発表。天才的な作曲能力とビートメイクは作品を出すたびにアップデートされ、後にZODやIn Vitro Recordsなどのブレイクコアと関わりの深かったレーベルからも作品を残した。

同時期、関西で活動していたKouhei MatsunagaはドイツのMille PlateauxからMasonna、Akita Masami(Merzbow)をフィーチャーした1stアルバム『Upside Down』を発表。KURANAKA a.k.a 1945とのユニットでも活躍し、イルビエントとノイズミュージックを繋ぎ合わせた稀なアーティストであり、彼が90年代後半から2000年前半に残した作品は今また再評価すべき物がある。

彼等の作品にはI-Sound、Nettle、Electromeca、Anarchic Hardrive、Curtis Chipのようなブロークン・ビーツを主体としたグルービーなブレイクコアの先駆け的な部分が見出せる。

アブストラクト・ヒップホップ~ブロークン・ビーツとブレイクコアを実際に融合させようとしたいたのが関西のG2PRODUCTS。主宰のViolent Holidayはハードコア・テクノの要素も微量に活かしたグルービーなカットアップが素晴らしいブレイクコアを作り、Suburban Trash Industriesから2枚の7"インチレコードを発表している。


Aphex TwinやSquarepusherが生み出したブレインダンス~ドリルンベースをブレイクコアと掛け合わせ、そこにダブ~ジャングル~ブロークン・ビーツ~ダンスホールまでをミックスした唯一無二のスタイルで数々の名盤を作り上げたOVe-NaXxは2002年に自主レーベル Accelmuzhikからアルバム『Ovnx Shoot Accel Core』を発表し、その存在を世界に知らしめる。

翌年にDJ/rupture主宰レーベルSootから『Bullets From Habikino City HxCx』を発表。「Sex - Drug - Breakcore」という曲が収録されているように、当時は意識的にブレイクコアを強く取り入れていた。同年、OVe-NaXxはイギリスのブレイクコア・レーベルDeath$ucker RecordsやドイツのMirexのコンピレーションに参加後、2004年には初の海外ツアーを経験する。ヨーロッパのリアルなブレイクコア・シーンに日本から参戦し、ブレイクコア黄金期を盛り上げ、その後登場する第三世代の海外ブレイクコア・アーティスト達に多大な影響を与えた。

グラインドコアからブレイクコアへと作風を変えた京都のAbsurdgodと彼のレーベルRDXは、アンダーグラウンドに根差したストイックな活動を最後まで続け、DJ ScudやRotatorのハーシュステップを模範としたブルータルなブレイクコアを展開。彼等によって、グラインドコア~ノイズ~スカム界隈とブレイクコアが繋がった部分もあるだろう。
活動初期はチップチューンをクリエイトしていたMaruosaはグラインドコアとブレイクコアをミックスしたスタイルを確立し、Bong-RaとのユニットDeathstormとしてもLPを残した。

「DJ Scotch Eggは 先週末のバングフェイスWrong Music テイクオーバー で見たばかりなんだけど、19歳の時に初めて行ったベルギーで、イベントOsaka InvasionでOve-NaXxと共演していた当時の彼を見た時と同じように新鮮だった。MaruosaのKRISSからリリースされた10インチも僕のコレクションに入っているよ。ブレイクコアはどこかの地域や都市からじゃなく、インターネットから生まれた唯一のミュージック・シーンだ。そういう意味で、日本人は最初からブレイクコアの最先端にいる。インターナショナルなスタイルを日本のリスナーたちに届け、彼らの活動を世界中に送り出しているMurder Channelのようなレーベルのおかげでもあるよ。」(Gore Tech)

10 things about Japanese culture(Behind the Geist Fiber) by Gore Tech

端折ってしまった箇所も多いが、上記で紹介したアーティスト達によって日本のブレイクコアは少しづつ形となっていったと思う。

今も日本でブレイクコアの可能性を追求しようとするアーティストとレーベル、DJは存在する。ブレイクコアの概念に従い、そのメンタリティだけを受け継いで未開の地を切り開こうとする動きもあり、yumeo/MAGICALMANやTohLPeaks、HAIZAI AUDIOなど、今後の活躍が非常に楽しみなアーティストがいる。日本にブレイクコアが流れ込んできて20年以上の月日が経過したが、まだまだこれから面白い動きが起きそうだ。



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