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17.私だって最初から全部やり直したかった。

 そうめんビビンバを作ろう!

 ランチに突然ビビン麺が食べたくなったがそうめんしかなかった……というわけではない。ただ大量のそうめんを消費しなくてはならないのである。毎年お中元でもらうそうめんが積み重なって、もう大変な量に。そうめんでミニチュアの家が作れるレベルだ。

 しかし9月も半ば。ギリそうめんの季節ではない。いや残暑ではあるからそうめんでも問題はないのだが、単純に8月中そうめんを食べまくって飽きたのだ。そうめんはおいしい。しかしやはり、毎日は厳しい。この白く美しい絹のような麺は白米の代わりにはなり得ないのである。

 というわけで、アレンジレシピの登場だ。そうめんガレットとかそうめん炒めとかほかにもいろいろレシピは出てきたけれど、今ある材料で作れて手軽で一番食べたい!と思うのがそうめんビビンバだった。そういうことだ。

 というわけで、まずはきゅうりを切る。ななめに薄切りにし、それを今度は細切りに。簡単な作業だ、さくっと終わらせてしまおう。洗ったきゅうりをまな板にのせ、私は包丁を手に取った。すとんすとんと包丁を滑らせていく。するとにゅっと横からみぃが顔を出した。

「みけこ、1mm幅だよ。それじゃちょっと太いよ」

 細かい。今日のみぃはどうも面倒な気分らしい。私はうんざりしつつも、子どもの言う通りに薄切りの幅を狭めた。言う通りにしないとこの子どもはかんしゃくを起こして泣きだすのだ。きゅうりの幅が1mmより太かったからといって泣き出すなんてどうかしている。

 薄切りを終え、今度は細切りに。これまた「太い」だとか「サイズがそろってない」だとか「きれいじゃない」だとか言われるのが面倒なので、ゆっくり丁寧に包丁を滑らせた。切り終わったきゅうりを見て、みぃはすこし眉根を寄せたけれど文句は言わなかった。

 お次はロースハム。こちらも丁寧に細切りにする。さくさくやりたかったのに気付けば調理開始からすでに15分が過ぎてきた。お昼まであと20分だ。

 急いでお湯を沸かし、温泉卵を作ることにする。それからそうめん用のお湯も別鍋で同時に沸かしちゃおう。いつもそうめんをゆがくときに使う鍋をシンク下から取り出そうとして気づく。鍋がない。

 そういえば昨日カレーを作ったとき残りを鍋のまま冷蔵庫に入れた。かくなる上は仕方がない、いつもより小さい鍋でゆがくしかない。シンク奥から普段使わない鍋を引きずり出し、適当になみなみのお湯を注いだ。

 その間にタレづくりだ。コチュジャン、ごま油、しょうゆ、さとうをボウルに入れ、ぐるぐる混ぜる。

 そうこうしているうちにお湯が沸くので、まずは温泉卵用の鍋の火を止める。それから卵を2つ冷蔵庫から出す。食べるのは私、父、母の三人だが母は卵が嫌いなので2個でいいのだ。

「ねえみけこ、卵は常温に戻しておくって書いてあるけど」

 みぃが不満げに言うが知ったことか。卵を常温に戻すなどというのは一見単純な作業だが、数十分、下手をすると一時間以上前から今日作る料理を見越して行っておかなければならない計画性が試される行為なのだ。私には無理だ。お湯に入れる時間を延ばせばなんとかなる。2分か3分……いや5分くらい? きっとおいしい温泉卵になって戻ってくることだろう。行ってらっしゃい!

 というわけで、ぼちゃんと鍋に卵を落とす。すると当然、鍋の底でぱきっとかわいい音がした。

 うん。割れたな。

「みけこ、今卵の殻」
「なんか言った?」

 割れたとてきっとそれなりにおいしい温泉卵になって戻ってくるだろう。卵を信じよう。

 お次はそうめんだ。ぼこぼこ言っている鍋に麺をぱらぱらと投入する。三人だから三束でいいのだが、そんなちんたら消費していては我々はそうめんとともに冬を越すことになるので豪快に五束ゆがいてしまう。

 その間にあらかじめ個々の器にタレを入れておく。三人分だから器は三つ。もうキムチときゅうりとハムも先に入れて混ぜちゃおう。あとでどうせ全部混ぜるし。きゅうりにタレが染みてこっちのほうがおいしいし。

 で、そうめんに戻ろうとして振り向いて気づいた。豪快に吹きこぼれている。

「あーっ、あーっ、あーっ!」

 私とみぃはわたわたと悲鳴を上げながら火を弱めた。菜箸で麺をすくって様子を見る。幸い麺に問題はなかった。私は火を止めて鍋をシンクまで運び、蛇口から水を流しながらざるにざあっと麺を注ぎいれた。

 入れようとした。鍋の底には、なんということでしょう、焦げた麺がびっしりとこびりついていた。ぜんぜん幸いではなかった。問題ありまくりだった。

 焦げた麺は救いようがないのであきらめて、生き残った麺を流水で洗う。水気を切って、器に分けようとして気づいた。

 タレがなんか水っぽくなっている。

 わかった。浸透圧だ。キムチやコチュジャンの塩分がきゅうりに入り込んできゅうりから水分が出たんだ。きゅうりの塩もみさぼったから。しかしどうせそうめんも水気を帯びたものだしもうこんなところを気にしても始まらない。もともとビビン麺など味がメッチャ濃い料理なのだから多少水っぽくなったところでマイルドになるだけだ。私はそうめんを器に盛り、ぐちゃぐちゃと全体をかき混ぜる。

 そして最後に温泉卵。すこし放置しすぎた気がするがどうかな、と鍋の様子を見てみると、卵の殻からはみ出た白身がびろびろ伸びて漂っていた。

 まあ、そら、割れたもんな。そういうこともあるよね。

 気にせずお玉ですくい、冷水で冷やす。それから麺の上でぱかっと割ると、5割ゆで卵5割温泉卵みたいなぶさいくな物体がころんと殻から落っこちた。

 5割温泉卵なら、四捨五入で温泉卵と言えるだろう。

「やだ」

 しかしみぃにとっては違ったようだった。ずっと不機嫌そうに黙っていた子どもは、出来上がったビビン麺を見て目に涙をためた。

「きゅうりの切り方汚いし。麺焦げたし。タレ水っぽいし。卵固まりすぎだし。へたくそ。全部最初からやり直して」
「でももうお昼だから。お父さんもお母さんも帰ってくるよ。それにここまで作って捨てるなんてもったいないでしょ」
「やだ。やり直して」

 始まった。今日のみぃは不機嫌だったのだ。こうなる気も、少しはしていたとも。

 この子どもは完璧主義者だ。こだわりが強いのだ。気に入らない出来だとすねる。小学生のころ、自分で書いた絵に納得できなくてぐちゃぐちゃにしてしまったことなど一度や二度ではなかった。特に虫のいどころが悪い日はてんでだめで、最初からやり直すの一点張り。今日はけっこうひどい。

 やり直すやり直すの、と子どもはうるさい。それを聞いていると私もなんだか不甲斐なくて、自分が許せなくなってきて、喉の奥が熱くなった。

 私だって最初から全部やり直したかった。何もかも全部。でもだめだ。だって私は、この子どもとは違うのだから。

 涙が出そうになるのをぐっとこらえて、私は温泉卵の黄身を割った。それからもう一度全体をぐちゃぐちゃとかき混ぜて、すくった麺をかんしゃく子どもの口に突っ込んだ。

 みぃは黙ってそれをすする。それから小さく一言、「おいしい」と言った。私はうなずいて答える。

「料理なんてね、多少失敗してもちゃんと食べられる味になるの。完璧じゃなくてもいいの」

 そりゃ、毎日失敗だらけだ。料理だけじゃない、生きることそのものが。うまくいかないことだらけ、気に入らないことだらけ、間違いだらけ。それでもその全部に「最初からやり直す」なんて言ってられない。多少うまくいかなくたって、何もかもだめになんてならない。完璧でなくたっていい。

 大丈夫。私はそれを、ちゃんと知っている。この子どもとは違うのだ。

「今度はちゃんと塩もみするからさ」

 私が言った。みぃはぐすぐす鼻を鳴らしながらうなずいた。

「あと卵をお湯に入れるときはお玉使って。常温に戻すのも」
「わかった。そうめんゆがくお鍋もちゃんと大きいやつ使う」
「麺はかきまぜないとだめ」

 強いみぃの言葉に私はうなずく。失敗した、ということはまだ成長できる、ということだ。だから嘆かなくてもいい。自分を必要以上に責めなくてもいい。大丈夫、私は、大丈夫だ。

 みぃは目の端を手の甲でぬぐって言う。

「あときゅうりの1mm幅はちゃんと守って」
「それはやだ」

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