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13.塩の前に味見できるなら部屋に花とか飾っている。【掌編小説】

 これじゃない。

 私はぐつぐつ煮える鍋を前に頭を抱える。鍋の中には赤いスープがぼこぼこと音を立てていた。とりあえずこれ以上煮詰まるのはまずいので火を弱める。そんなことで問題の解決にはならないのだが。

 夕食のために作ったミネストローネの味が絶望的に「これじゃない」。

 何故。ミネストローネなんてまず失敗しようがない料理だ。冷蔵庫の余り物を全部適当にぶち込んで、父の畑で採れたトマトをぶち込んで、コンソメキューブをぶち込んで塩コショウで味をととのえたら出来上がり。味はトマトとコンソメで決まるし、トマトの味が強烈だから多少コンソメの分量を間違えたとて問題はない。

 ない、はずなのに、目の前のミネストローネはどこかおかしい。うまく言えないが風味がおかしい。なんかこう、私の知っているミネストローネじゃない。

「風味が違うならローリエかな」

 みぃはイヴと遊んでいて私の話なんて聞いてやしなかったけれど、私は口に出してそう言った。独り言でも言ってなきゃやってられなかった。

 食品棚の中からローリエを取り出し、鍋に入れる。しばらくそのままぐつぐつ煮込んで、味見をしてみた。

 やっぱり違う。これじゃない。

「そういえばにんにく入れてなかったかも」

 結局全部トマトの味になるんだからにんにくとかいらんくない? の精神でにんにくを省略したような。今更だが加えてみようか。チューブタイプのすりおろしにんにくなら今加えてもいい気がする。早速冷蔵庫からチューブを取り出して、1cm程度のすりおろしにんにくを鍋に投下した。またぐつぐつ煮込んで、味見。

 ぜんぜん違う。にんにくとかの問題じゃない。

「あー、オリーブオイルじゃなくてサラダ油でいためたからかな」

 オリーブオイルは引き出しの奥になっていて取り出しにくい。あと油でボトルがべたべたしている。それで取り出しやすいサラダ油を使って野菜をいためてしまった。それが良くなかったのかもしれない。

 今オリーブオイルを加えるのは明らかに違う気がしたが、もうそれくらいしか思いつくものがなかった。考えてみればラー油だって油だが料理の最後に加える。オリーブオイルを最後に加える料理があったっていいはずだ。

 というわけで、べたべたするボトルを引き出しの奥から引っぱりだした。オリーブオイルをひとまわし。鍋の中身をかき混ぜて、もう一度味見をする。

 どう考えても違う。一縷の望みは砕け散った。

「みけこ、なに頭抱えてるの」

 文字通り鍋の前で頭を抱えていた私を見て、みぃがとことことこちらへやって来た。私はスープを小皿にほんのすこしよそって、みぃの前に突き出した。

「『これじゃない』の」

 みぃは小皿を受け取ると、それをこくりと傾けた。それから顔をしかめる。

「なにこれ」
「わかんない。何が違うんだと思う?」

 みぃは私より舌がいい。私が気づかなかったことに気が付くかもしれなかった。みぃは口の中に残った後味をたしかめるように一度黙った。それから首をかしげる。

「なんかよくわかんない。けど塩気が強すぎる気がする」
「塩……!」

 そうか。塩か。たしかに塩コショウを加えた。しかも塩コショウはレシピに「少々」としか書かれていなかったから、適切な分量を超過している可能性は大いにある。

 少々。非常にまどろっこしい言葉だ。たしか「親指と人差し指でつまんだときの量」らしいが、塩コショウを加えるときはボトルから直接振りかけてしまうから親指も人差し指もあったものではない。「少々」ではなくグラム数を書いてほしい。いやグラム数を書かれたところできっと測ることはしないのだけれど。だって塩コショウのためだけにはかりを出している自分など想像できない。そんなことができる私なら寝起きにスムージーとか作っている。

 そういえば昔テレビで料理家が「味を見て量を調節してほしいからあえてグラムで表記しないんです」と言っていたのを見たことがある。言葉通り「塩コショウで味を調える」わけだ。まあそういう細やかな調整ができないから塩で味が乱れまくっているのだが。

 そもそも、塩コショウを加える前に味見をしたことなど人生で一度もなかった気がする。しかしきっとこれからもそんなことはしないだろう。塩コショウの前に味見できる私なら部屋に一輪挿しの花とか飾っている。

「塩かあ。じゃあ水を足して薄めるしかないな」

 私は計量カップを手に取って浄水を注ぎ入れる。その間にみぃはダイニングから椅子をずりずりと引きずってきていた。

「いや、塩なのは間違いないと思うんだけど、なんかそれだけじゃないっていうか、なんだろうこれ」

 椅子をコンロの前に置き、その上に登るみぃ。鍋の中を覗きこんで、みぃはおたまで中身をかき混ぜる。私は計量カップを手にみぃの気が済むのを待った。

「キャベツ、じゃがいも、にんじん、たまねぎ……普通のミネストローネだね」
「私はミネストローネに大根とか入れない主義だから」

 母はときどき冷蔵庫の中を片付けるためにポトフやミネストローネに大根やかぶを入れる。それで味が変わるわけではないが、ミネストローネの器にでんと大きな大根が鎮座していたらなんだか残念な気持ちになるのだ。おでんにトマトが入っていたらちょっと違和感を覚えるだろう。そんな感じだ。

「このベーコンなんか変わってるね」

 みぃは鍋の中を引き続き見ている。ベーコンが気になったらしく、それをおたまで上げてしげしげと眺めていた。というか、違う、それはベーコンじゃない。私はちょっと得意げになって言った。

「それ、生ハム」
「はあ? 生ハム加熱したらただのハムじゃん。生じゃないじゃん」
「賞味期限切れてたから生で食べるのはやばいかなと思って。ベーコンなかったし、ちょうど代わりになるでしょ」

 ベーコンの代わりに生ハム。我ながらいいアイデアだ。私は胸を張って続ける。

「それに生ハムはあの塩味がおいしいのであって加熱した程度でただのハムには」

 塩味が。おいしい。

 私とみぃは顔を見合わせる。塩味。塩。塩化ナトリウム。

「……味が変なの、生ハムのせいじゃない?」

 みぃが言う。私は力なく笑って「そうかも」と言った。天才だと思った自分のアイデアがミネストローネを「これじゃないスープ」におとしめてしまったことがただただ情けなかった。本当に私はだめなやつだ。失地王ジョンよりだめなやつとして歴史に名を残すかもしれない。

 みぃは私を見て、あわてたように「いや、大丈夫」と視線をさまよわせた。この子どもに慰められるなんて私はよっぽどしょぼくれているに違いない。みぃが私を慰めることなど基本ありえないからだ。みぃは引き続き視線をさまよわせて言う。

「あー、あれ。ミネストローネとしては変だけど『生ハムとトマトのスープ』だと思えばおいしいと思う人もいるかも」
「そんな雑な慰め方ある?」

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