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期待しないという選択


一見、ネガティブな言葉として想像をしてしまう。

それなのに、わたしとって『期待しない』ことは、ポジティブな体験として塗り替えられていたのだった。


そこで見つける面白さや発見は、いつも新鮮だった。

自分の想像をいつだってこえるのだった。

何も期待しないことは、何にも汚されず純粋無垢で素直な土壌のようなものであるからだ。

こんなものかーと簡単に受け入れられたり、

知らなくて当たり前と素直に分からないと言えたり、

できなくて当たり前と思うと変なプレッシャーを感じず、

スタンダードを知らないから好奇心の赴くままに行動できる。


期待しないことは可能性の塊だったことを最近知ったのであった。

実は、このコロナ禍の中で2度仕事を変えている。


一社目は期待を胸に入社した美容医療クリニックのカウンセラー職だった。

美容で生きていくと決めたからこそ、一歩踏み出した転職だった。今まで、7年間美容部員を務めていた。そして、これからは美容医療という視点から美容に携わり、美のエキスパートとして自分を確立しようと鼻息を荒くしていた。

その意気込みはすぐにへし折られ、初日で違和感を覚え、3日後には拒否反応がみられ始め、3週間後には睡眠もできず、ボーッとしている日々が続き、周りの友人とも距離を取るようになっていた。軽い鬱状態だったのだと思う。

大好きな美容、こだわりや自分の理想があるからこそ、自身の価値観とクリニックの価値観の相違がわたしを一番苦しめた。あまりにも自分の理想がありすぎると、その理想にそぐわないと強いエネルギー反応を起こすことも知った。毎日教えてもらう手術の新たな知識にも拒否反応を起こし、なかなか覚えられず。毎日徹夜で勉強し3〜4時間睡眠で気力が無くなり、負のループに陥ってしまっていた。

ある朝目覚めると声を出して泣いている自分がいた。

このままこれが続くと、わたし…と思った日に仕事を辞めた。コロナだから、という不安よりも身体や心がおかしくなってしまうことの方がよっぽど怖いと思った。


そして、また転職活動をし2社目である今の会社と出会った。医療系ITの会社で、コロナを機に売上がうなぎ登りのところだ。

次の就活では休みが120日以上あることを条件に探した。

美容分野という強いこだわりを捨てて、未知な仕事に。


なんの期待も理想も持たず入社した会社は、とても自由でのびのびとしている。想像していないからこそ、ギャップというものがなく、自分の気持ちもあらゆることを受け入れるスタンスがあること。

全く知らないことだらけだから、周りの人に素直に教えてもらうことを厭わず、プライドというものは一切存在しない。毎日が新しい知識を習得するのだが、自分でも想定外で面白いと感じているのだ。


そんな経験を通して、恋愛も同じだなと感じる部分がある。

初めに、この人は理想的!!!と思って、あらゆる想像や妄想をして自分でその人の等身大よりも超えた人物をつくり上げてしまう。それによって、自分の期待値にそぐわなかった時、ひどく傷付いたり、勝手にショックを受けたり、怒りを覚えたりと強い反応を起こしてしまう。


それとは反対に、期待度が高くない人に関しては、その人のそのままを受け入れていて、言動、行動を受け自分が嬉しくなったり、悲しくなったりする。感情の振り幅が少ないからこそ、等身大でリアルに判断できる。


今までのわたしは前者の方で、感情の赴くままに行動してきた。どちらが正しいとか言いたいわけではなくて、こんな選択もあるよ。こんな感覚になるんだよ。と新たな解釈が一つ増えたことを急に書きたくなったのである。




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