見出し画像

手加減せずにコミュニケーションを取りたい

「手加減」について考えたい
というのも最近、人とコミュニケーションを取っている際、無意識に手加減している自分に気づいたからだ

これはいいことなのか、悪いことなのか?
まずは、そもそも「手加減」とは何かについて考えよう

まずは辞書を引く

② 適当に加減を調節すること。調子をややゆるめること。
精選版 日本国語大辞典「手加減」の解説 - コトバンク

「適当に加減を調節すること」か…
「適当に」はいい意味なので、手加減は原則いいことだと考えられてるってことかな

手加減が効果的に働く場面っていつだろう
習い事のコーチが、生徒にスポーツを教えるために手加減するのは必要な気がするな

あとは、大人が子どものゲームの相手をする時とか?
これは賛否両論ありそうだ

あとは、目下の人が目上の人を立てるために、接待などの場面で手加減するとか
これは、効果的とは言いたくないけど、やはり必要なんだろうな

手加減には場面ごとに別の目的があるようだ
「子どもの教育のため」なら必要だと言えそうだし、「相手の機嫌を取るため」だと怪しそうだ



さて、次は自分が感じている「コミュニケーション中の手加減」について考える
自分がしている手加減は「単純な話しかしない」というものだ

この癖は子どもの頃に身につけた気がする
親も友達も、自分が考えていることをそのまま話すと理解してもらえなかったので、あえて単純な話題を選んでいた

こうして手加減をしながら話すと、残念ながら確実に不完全燃焼になる
正直、話していて楽しくない



ただ最近「手加減し過ぎている場面」もあることに気づいた
複雑な話を理解してくれる相手にも、それを避けて単純な話をしていた

このブログもそうだ
このブログをわざわざ読んでくださる方なら、複雑な話であっても理解してくれると思っている

それなのに、いつもではないけど、複雑な話をなぜか避けている日があった
もったいないな

手加減をしすぎる理由としては、複雑な話でも理解できる相手に手加減をしても問題はないけど、逆をやると相手が怒り出す場合があるからだ
関係が拗れる危険があるため、常に手加減する方がリスクは少ない

でもそうすると、自分は不完全燃焼になる
自分の対人関係はずっとこういうところがあった



これからは、複雑な話を理解してくれる相手には、手加減せずに全力で話していきたい
人の見極めは難しいけど、複雑な話を小出しにしつつ、安全に見極めていきたい

これができれば、複雑な話ができる相手とは完全燃焼の会話ができる
それができたらとても幸せだ



…そんなわけで、今日のブログは手加減せずに書いてみた
ここまで読んでくださった皆さんには、たぶん理解してもらえたと思う

ありがとう!
今後ともよろしくね



じゃまたね
読んでくれてありがとう



(なんでも送ってね)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?