現実はアニメ程には美しくない

旅の始まり方は最悪だった。分かりやすく言えば、『四月は君の嘘』の公生とかをりの出会いのような、いや、そんなに美しいものではなかった。もっとおぞましい何か。すぐにわかるさ。

寝ようとしたがどうにも寝付けない。堪らず起き出して姉と母親が見ていた下らないテレビ番組を見てみる。たまには見てもいいかなという程度のクオリティの番組だ。名誉毀損などと言われては叶わないから具体的な番組名は出さないでおこう。兎にも角にも、私はそうして夜を過ごした。しかし、さすがに眠気に襲われてきた午前三時頃──「天体観測」の時間は過ぎていた──寝床に入った。ぬいぐるみを抱き締めて。大学生にもなって恥ずかしながら私はぬいぐるみがいないとまともに寝付けないのである。これは小学生──下手をすると保育園児時代──からの私の習性である。恥部だと笑いたければ笑うがいい──閑話休題。

午前四時丁度。アラーム音が部屋にこだまする。正確には、爆音が解放されたと言った方がいいだろうか。ソビエト社会主義共和国連邦の国歌だ。しかし私は決してヤバい人間ではない。ただのナチス・ドイツだかソ連だかの研究者を目指しているだけの一介の大学生である。勘違いをされぬよう、これは念押しをしておきたい。親にはうるせぇ、とドヤされながら部屋を出て、財布と携帯、モバイルバッテリーにタオル、汗ふきシート、それと本を二冊だけ入れて月夜の醒めぬ街へ繰り出した──四階から階段を降り、三階へ。けたたましい羽音。額に何か硬いものの当たる感触。家に逃げ帰った。蝉の大軍の襲撃にあったのである。頭のてっぺん辺りから声を発して一目散に逃げ帰った。──これだから蝉は嫌いなのだ。特に瀕死の蝉が。ヤツらはなりふり構わずに暴れ回る。瀕死の重病人だったどこぞのオスマン帝国のように(何の話だ)。

深呼吸をしよう。無心でドアを開け、階下へと降る。そうして再度街へ繰り出す。なんてことが出来るとで思っているのか!?時刻は午前四時半。近隣への迷惑は百も承知、されど考慮はしない。そんなものは笑止千万。自分の生命の危機にあるのだ。誰だって自分の命が第一だ。反省はしているが後悔はしていない。だってしょうがないじゃないか。人間だもの。······そろそろ黙ろう。

さて、始発は4時40分。時刻は4時32分。家から最寄り駅までの所要時間は徒歩で15分程度。この意味がわかるだろうか。そう。私は走った。ただひたすら走った。始発に間に合わせるために。月夜の醒めぬ街を一人の男子大学生が疾走する。通る車はほぼいない。すれ違った人など誰もいない。なんとシュールな絵面だろう。始発に間に合わせるため、ただその為だけに、青年は走った。別にこの青年は親友を身代わりにはしていないし、結婚式に向かうわけでも、激怒しているわけでもない。──少しくどかったか。青年は無事始発列車に間に合った。これは喜ぶべきことである。間に合わなかったら目的地への到着が一時間程も遅れるのだから。

高校一年生の時に遠足という大して歩きもしない謎の行事で行った相模湖プレジャーフォレストを横目に列車は西へ向かっていく。もう今は山梨県に入っている。武田家の本拠地。残念ながらここに用はない。また別の機会に来よう。ふと列車内のモニターを見たら、映像が乱れに乱れていた。辺りには、田舎らしい風景が広がっている。旅はまだ始まったばかりである。

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