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自分の謎 赤瀬川原平

 最近、いやかなり前からだが
本をあまり買わなくなった。
雑誌はたまに買うが
新刊と呼ばれる本は本当に久しぶりに買ったと言う話し。

 トマソン愛を持つ私は赤瀬川原平氏を敬愛している。
最近『老人力』をぱらぱらめくり
ながら、やっぱりこの人は凄いと思う。
何十年か前にこの本を買って先月逝去した父に贈ったのだが、改めて読み返してその文才にうなる。
 小説を書く時は尾辻克彦を名乗るが、私は断然赤瀬川原平を名乗る文章が好きだ。文才が世に出る前は前衛芸術家として名を馳せた時代からのファンだからである。
と言っても同じ時代に見つけた先駆者とは違い、美大の大先輩からその存在や作品を教えてもらった。千円札が聖徳太子だった時代は若い世代にとってはエモいと思う。
その千円札を緻密に描いて、氏は罪に問われた。普通に作品を出しても見向きもされないかもしれないが、ちょっとした狂気のスパイスは芸術家を有名にしてしまうのである。
本人にとっては意図せずとも、人目を引いてしまうのだ。
レディーガガが奇抜な衣装着たり、サイババが手から粉を出したとたんに注目するのが人間。
 どんな過激な人なのだろうと『赤瀬川原平』と言う字面もいかついし、つい想像してしまったが
後に出る様々な文章や本人の写真を目にして、その想像は全く違っていた。
 繊細さん
一言で言うとそんなイメージだった
そして物を見る独特な視点こそが、アートになり文才に繋がっている。
同じ材料を使っても料理人が違えば出来上がる料理が全く姿を変えるようなものだ。
『超芸術トマソン』や『路上観察考』などを見ると、その視点こそが芸術なのだと納得できる。
気取った芸術ではなく、そこはかとないユーモアのセンスが魅力だ。
氏は繊細でありながらかなりの粘着質でもあり執拗なまでの表現がワールドを作っている。

そんなワールドが満載の『老人力』を書いたのは60代、この時に既に老人を捉えた早すぎる考察だが77歳で逝去したことを考えると
妙に腑に落ちるのである。
 老人になることは衰えるものという概念を、老人は力をつけて死に向かうというポジティブな捉え方は清々しくそこはかとなく微笑ましい。
90歳迄生きていたらどんな文章を書いたんだろうと思っていたらなんと今年『自分の謎』が新刊発売されたのだから、まさに「あなたの謎  」である。
10月26日が命日なので これは氏が私に啓示を送ってきたとしか思えない。
あの世からのメッセージのようでもあり衝撃の新刊書、イラストは和田誠ではなくて勿論赤瀬川原平本人だ 漫画にも写真にも才能発揮したアバンギャルドアーティストはどこまで私をワクワクさせてくれるのだろう。これほどまでに執筆量のある芸術家を他に知らない。


 ここまでがこの『自分の謎』の推薦文、やや長め。

自分の文字が自然に鼻口に

 鏡が苦手な理由が面白い。
鏡に映った自分はほんとの自分ではないから、じっと見つめられることが不快に感じると言うのだ。
なるほど、そう言われると分からなくは無い気がしてくる。
 自分の身体が傷つけば痛みが発生するが爪や髪を切っても痛くない。
爪や髪は自分ではないのだろうかと悩んでる。
そこで「神経通ってないから」と反論するのは無粋だ。そういう神経では赤瀬川原平ワールドは楽しめないのである。

 文章や本というものは
農業みたいなものだと氏は言う。
形のいい物を作っただけではだめで
それがちゃんと食べられて体内で分解されて、栄養になってこそ意味がある。
そこで 読まれ率が気になる。
(自分の謎より抜粋)

着ない服はタンスの肥やしと呼ばれるが最後まで読まれない文章や本は
何の肥やしにもならないだろう。
自分の本が読まれないのは嫌だと感じた訳だ。
 115ページの漫画のようなイラストがたくさんちりばめられた絵本のような本の文章は一気に読めるので、読まれ率の高い本を生み出すことに成功している。そもそも絵と文が両方氏の作品なのだから贅沢な味わいなのだ。

しかも没後に新刊とは

本人の遺言だったのだろうか
それともたまたま遺族が、引越しの際に原稿を発見したのか。
やはり私にとって
この本は『あなたの謎』なのである。
そして素敵な『謎』をありがとう。
短い感想読んでくれてありがとう。
そう私も何だか読まれ率が気になってきたからかな?

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