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ライティング・マラソン#30の記録

2020年の6月から続けている「ライティング・マラソン」。途中何度か休んだものの、開始から3年後の2023年6月に30回目の開催をした。

☆ライティング・マラソンとは?「ライティング・マラソン」とは私が勝手に言い換えて呼んでいるだけで、もともとはナタリー・ゴールドバーグの『書けるひとになる!―― 魂の文章術』という本の中で「作文マラソン」として紹介されているものだ。やり方は簡単。一定時間書く。時間が来たら自分の書いたものを読み上げる。お互いにそれを聞く。他人の書いた文へのコメントはしない。コメントをしたくなったら次の自分の文章にそれを表す。そうやって書いては読み、読んでは書くを繰り返していく。それをやるとどうなるか? ナタリーは「書きたいことが気軽にどんどん書けるようになる」、「自分を切り開く体験」になるという。

この日は「414(よいし)カード」というカードを引いて書くことにした。幸ハウスというNPOが出しているもので、死生観を語り合い、大切にしている価値観を探求するためのカードだ。

この2年くらい、いつも固定の3人で行ってきたのだが、この回は新たにゆかさんが参加してくださり、いつものメンバーの間に新鮮な風が吹いた。ゆかさんは書き手としてプロなので、構成も迫力もすごかった。読み方も真に迫っていて引き込まれた。

一方で、自分自身も意外とおもしろいものをかけたと思うが、死に関することなど、公開するのははばかられる内容もあったので、この日に書いた文章のうち、一部を載せておこうと思う。

30分「あなたが人として大切にされていないと感じることはなんですか?」

雑に扱われるとき。
えらく待たされるとき。
十把一絡げに扱われるとき。

自分が大切にされてないと感じたシーンを思い出してみると、そんな言葉が浮かぶ。そこに共通するのは、1人の存在として声が聴かれていないということだ。

私という存在がいて、何かしらの声を発しているのだから、まずはその発したことを受け取ってほしいというのが、純粋な願望だった。受け入れてほしいんじゃない、受け取ってほしい。それが叶わないとき、大切にされていないと感じる。

では、自分は他の人に対して受け取っているかというと、思わず吹き出してしまうほどに、できていない。受け取っているつもりになってはいるが、単に打ち返しているだけのようなことがよくある。自覚はあるし気をつけているけれど、まだまだつい先走ってしまう。

うちにいる2匹の猫のうち、ロビンは朝方4時頃になると私の部屋にいろんなものを運んでくる。鈴のついたおもちゃだったり、ひもだったり。最近は大きくなってきて、玄関にあるクロックスのサンダルを歯でガジガジに噛んだものや、同じく無残にかじられた厚底のスリッパを持ってくる。最初は「おもちゃで遊んで」だったのが、最近は「こんな獲物をしとめたよ」という感じで持ってくる。

そうやってママの部屋に咥えて運んでくるロビンの気持ちを思うと、「遊んでほしいんだね」とか、「なかなか大きな獲物をしとめたね」と言ってあげたい気もするが、夜中に起こされるつらさの方が勝り、私は不機嫌になりながら猫たちを自分の部屋から閉め出す。これは猫だからまだ問題ないけれど、小さな子供だったらそうはいかないだろう。何かしら受け取らないといけないだろう。

受け取るって、口でいうほど簡単ではないけれど、この文章を書いたことで、少しは、今までよりも1ミリでも、1グラムでも、受け取れるような意識に近づいているといいなと思う。受け取る、受け取る、受け取る。まずはその人の言葉をその言葉のまま受け取るところから。

***

一緒に取り組んでいる有さんは、フィクションともノンフィクションとも区別のつかない素敵な文章を書いているので、ご紹介です。


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#自分の声を聞く
#聴くこと
#ライティング・マラソン
#何が出るか分からない遊び
#書くという遊び


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