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セルフインタビュー

今日は午前中、まるネコ堂の文章筋トレに参加。今日で7回目。10分と60分の2本。

10分は最近は準備運動みたいに書いているが、そんな風に書き散らかすのではなく、もうちょっとまともに10分なりの何かを書いた方がいいかもしれないな。せっかくだから。

60分は、自分で自分にインタビューした。あまりにも言葉になりにくいときに以前からたまにやっていた。60分書いてもどこにも着いていないが、聞いてもらったという感じは残っている。「途中から聞き手がうっとうしい」とのコメントをもらった。読み返すとたしかに深く行けそうな流れが浮上してしまっている。だが、聞き手なりに誠心誠意話し手のことを観て聴いて、その上で出てきた言葉なので、修正せずそのまま残す(下記に掲載)。

書くことは続けると質が変わっていくものなのかもしれない。何のためにとかではなく、自分の身体を使って書いているから、身体の使いかたが変わってくるというか。そういう「知恵熱」ではなく、「身体熱」みたいなことが起こっているのかも。文章筋トレのある日は、思考が抽象的になりがちです。

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「毒がまわっている感じがするんです」

「毒がまわっている感じ?」

「はい。身体が重くって、動けないんです。動けるんだけど、動けない感じがするんです。両腕にも両足にも何か重い……、血液じゃない何かが流れていて、それがすごく重いんです。動けるんです。でも引っ張るように、引きずるようにして動く感じなんです」

「引きずるように……」

「なんでだろう?と思うんです。なんで毒がまわっている感じがするんだろう。なんで重いんだろうって」

「そういうふうになることは初めて?それとも前にもあるのかな?」

「前にもありました。たまにあります」

「どういうときにそうなるんだろう?何かきっかけはある?」

「はい。何か月か前にもありました。そのときは何をしていたか忘れちゃったけど、そのあとすごく体が重いなあって思って、友達に話したんです。そのとき話しているうちに思ったのが、自分が言ったことが自分が思っていることと違うことがよくあって、でもそのまま、違うまま話し続けると、その違う言葉が自分を攻撃してくるような感じがするって。違うだろ、違うだろって押される感じがしたんですよね」

「言葉が自分を攻撃してくるような……押される感じ……」

「外から押されるっていうよりは、内側からぎゅわ~っと押される感じ。それで重い感じがする」

「内側からね……。それは苦しいのかな?」

「苦しい……。うーん、何か悪いことをしたような感じになります。申し訳ない気持ちになります」

「申し訳ない……」

「そうですね。そういうときは何もできなくて、でもじっとしていると何もできないことに焦ってくるので、漫画を読んだりドラマを見たりして、今の自分の身体から離れるようにしてるんです。重さを感じなくてすむように」

「最近の、その毒がまわっていると感じたときも、同じ感じ?」

「最近のは、うーん、申し訳ないという感じではなかったかもしれません。うーん、なんていうか……言えるかわかりませんが、自分の血をいったん全部出して、それをドロドロに煮詰めて、濃度をすごく濃くして、それを戻した感じというか。申し訳ないという感じではなく、自分の血にあたっている感じというか。うまく言えません……」

「自分の血ねえ。そのときは何をしたあとにそういう感じになったの?」

「書いていたんです。そのとき目にしたことをありのまま書こうと思って。ところどころどんな風に書いたらいいか迷うことがあって、でもなるべくその体験を文字で再現しようと結構集中して書いていたんです。そのときはまあまあある程度書けたなと思ったんですが、翌日になってそんな風に毒がまわった感じになって……」

「まあまあ書けたなと思ったけど、毒がまわった感じになった。だけど申し訳ないという感じではない」

「はい……」

「(……)」

「…… 何かを書いていて、書けたなと思うときは、いつもはすっきりする感じがするんです。消化できたような、手放したような。でも、このときは書けたなと思ったのに、余計に重くなったというか、ドロッとしたというか。それがなぜなのかよくわからなくて。思っていることと違うことを書いたり、ドロドロした内容を書いたりというわけじゃないのに、そういう感じが残るのはなんでなのかな、と」

「なんででしょうかねえ」

「…… 言葉を、見過ぎたのかな?見なさ過ぎたのかな?なんかそんな感じがします。そのときは間違い探しみたいに、実際に目に見えているものと言葉とを並べて、それであっているか違っているかということを比べてたような感じだったんです。それをやっていて、あっているのかどうかわからなくなってきて、疲れちゃって……」

「なるほど、間違い探しみたいなことをやっていて疲れてしまったと」

「そうですね、そう。あっている、あっていないがわかるところはいいんだけど、わからない部分がまだたくさんあって、それを見ようとしているうちに疲れてきた感じですね。見えているのに見えていない、そういうのに疲れた」

「見る、ということが大事な感じですね」

「そうですね。見えていないことがこわいのかもしれません。見えていないと何があるかわからない。何が出てくるかわからないから構えてしまうのかもしれません。見たいのかと言われると、見たいんだと思います。小さいときに見た夢のように、こわいけど森に入っていくような、そういうこわいもの見たさはある気がします……。でも、今ちょっと思ったのは、見よう見ようとしすぎているときに、何かを押さえていたんだと思います。えっと、何もしないで見えているとき以上に意識して見ようとしているがゆえに、その分普段は他のことに使っている何かをぎゅーっと押さえすぎてしまって、それの押さえられた何かが、身体の中でもとに戻ろうとしているような感じなのかもしれません。わからないけど」

「押さえられた何か。なんだろうねえ」

「なんだろう……。押さえられたような、塞がれたような、締め付けられたような、そういう感じがあったのかもしれません……。でも、なんとなく毒がまわった感じの理由がわかったような気がします。うまく流れていなかったんですね、何かが。流れていればたぶん重くならない」

「流れていれば重くならない」

「そうですね、流れていれば重くならない、ということをちょっと持ってみます。なんとなくそれが大事なような気がします。今日のところは」

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