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ファンタスティックなムードの抗いがたい魅力――クリスチャン=ジャック監督『サンタクロース殺人事件』(L'assassinat du Père Noël,1941)

 ナチス占領下のパリにひとつの映画会社が誕生する。ゲッベルスPaul Joseph Goebbelsによって、ウーファUniversum Film AGのフランス支社として誕生したこの映画会社がコンティナンタル映画社La Continental Filmsと呼ばれることは、よく知られている。この映画会社がアンリ=ジョルジュ・クルーゾーHenri-Georges Clouzotを表舞台に押し上げたこともやはりよく知られているが、この映画会社の第1作になったのは、クリスチャン=ジャックChristian-Jaque監督の『サンタクロース殺人事件』(L'assassinat du Père Noël,1941)であった。


 クリスチャン=ジャック監督といえば、ジェラール・フィリップGérard Philipeが主演した『花咲ける騎士道』(Fanfan la Tulipe,1952)がそれなりに知られてはいるが、今や、誰ひとりとしてクリスチャン=ジャック監督やその作品群と向き合おうはしていないし、私自身それを望むというのでもない。私は『サンタクロース殺人事件』が指折りの傑作であるなどと触れ回ろうというつもりはないし、完璧さというものとは遠い作品であることは否定できない。ピエール・ヴェリー Pierre Véryによる原作をいただきつつも、ミステリとして物語が形作られているというのではない。謎はあっけなく、われわれのあずかり知らぬところで解決してしまうだろう。それでもなおこの作品に触れようと思うのは、もちろんコンティナンタル映画社が初めて製作した作品だからというのではない。そうではなく、ファンタスティックな映画の抗いがたいムードゆえだ。

 クリスマスも目前の寒村には、ひと癖もふた癖もある人々が集まっている。10年ぶりに帰郷した、らい病を装って人を遠ざけようとする男爵、飼い猫を探し続ける精神錯乱の女性、地球儀を作ることを生業とする大法螺吹きの男、夢想にふけるその娘、その娘を愛する村の教師、足が動かず絶望し死さえ望む少年。風変りな登場人物が入り乱れる「スモールタウンもの」だ。この方向の往きつく先には、フランス国内でいえば、ジャン=ピエール・モッキーJean-Pierre Mocky監督による『言い知れぬ恐怖の町』(La grande frousse,1964)のような作品があり(ところで、幸運にも2020年に観賞機会に恵まれたが、掛け値なしの傑作だ)、ある一線を越えてしまうと、デヴィッド・リンチDavid Lynch監督の『ツイン・ピークス』(Twin Peaks,1990-91)のような作品になるというのか。いずれにせよ、クリスマス目前という状況設定と風変りな登場人物、縦横無尽に動き回るキャメラ(これは逆にショットの定まらなさの印象も与えてしまうが)はわれわれの瞳を落ち着かせることなく、心をざわめかせるようだ。物語がクリスマスイヴに差し掛かるころには、われわれはある確信を避けられない――今や何が起きたとしても不思議ではない。
 そんななか、サンタクロースが殺害されるという事件が起こる。憲兵隊を呼ぶが、彼らはどうやら雪崩に阻まれ一向に村に辿りつく気配がない。あの風変りな人々は互いを疑い告発しあうことになる。この作品を支配する心ざわつかせ落ち着かせぬファンタスティックなムードを、私は好ましく思う。作品が途中まで持つこのムードが魅力的であるがゆえに、結末がかなり弱いのは、この作品の弱さといえるが、クリスチャン=ジャック監督も、あるいは脚本のシャルル・スパークCharles Spaakも、誰もがこの作品をミステリとして優れたものにしようなどと考えてはいまい。それに原作者が同調していたことも、この後再びともに仕事をすることから察せられよう。


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