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鴨さんの取り分

『ぼくらは嘘でつながっている。』という本を買った。

1650円。新刊はやはり高い。1週間分の食費になる。業務スーパーで冷凍鶏むね肉2kgを買ってもまだ余る。普段ならば図書館に置かれるまで待つところだが、今回は財布の紐を緩めて泣く泣く本をレジに置いた。理由はシンプル。著者である浅生鴨氏と私の間には、すこしばかり因縁があるからである。

我が家には「鴨さんの取り分」という言葉がある。ジャガイモ農家である祖父が作った言葉だ。農協に卸すほどでもない小さな芋を掘ると、石垣の隙間に投げ込まなくてはならない。私も弟も、手伝いに行くと必ず投げた。「ほら、鴨さんにやってこんね」と祖父はきまって言うのである。小さな芋は畑に残しておくと次の芋の栄養価を奪う。売れる手頃なジャガイモを掘って畑仕事は終わりではない。むしろその後の地味な作業こそ肝要だ。そのため「鴨さん」は飽きっぽい子供をうまく働かせる冗談だろうと私はずっと思っていたのだが、どうも違ったらしい。真相はこうである。

むかしこのジャガイモ畑の一角に、浅生鴨という人間が住み着いていた。近所では馬鈴薯畑に現れた天狗とも呼ばれていた。支那から来た人攫いのような風体でありながら、若き日の三船敏郎と見紛うほどの好青年だったらしい。鴨氏はかなりの酒飲みで、畑の三畳ほどの荒屋に隠居しているにも関わらず、仕事終わりの農夫を呼んでは何度も大宴会を催していた。なぜこれほど細かく知っているのかといえば、その宴会に祖父も招かれたことがあるらしいのである。我が家のジャガイモ畑のそばには大きなどぶ溜まりがある。今はもう柵がしてあるが、私が小学生の頃までは何もなく、よく父に手を引かれて畑の手伝いに向かっていた。子どもながらに落ちれば命は無いと思っていたが、どうやら祖父はそこに落ちたらしいのだ。まぬけである。私はどぶに落ちたことがないからわからないが、河童に足を引き摺りこまれる思いだったそうだ。泥水で服が沈み、堆肥の匂いが鼻をつき、もうダメかと諦めかけてもがくのをやめたその時、祖父を引き上げてくれたのが鴨氏だった。そのまま荒屋に招かれ、くそまずい酒を朝まで飲まされたらしい。その日から祖父は、ジャガイモを恩人の「鴨さんにもやる」ようになったそうだ。命の恩人に小さい芋しかくれてやらないのは、よほど飲まされた酒がまずかったのだろう。

そんな話を去年、父から聞いた。父はこの話を何百回も祖父に聞かされ、こんなとちくるった農家にだけはなるまいと誓ったそうだ。次男である父は勤め人になり、農家は伯父さんが継いだ。祖父は酒飲みが祟って早いうちに死ぬもんだと親族一同思っていたが、結局しぶとく去年まで生きた。87歳。鴨さんの取り分など安いもんである。ジャガイモたっぷりのシチューをふるまってやりたいところだが、収穫はしばらく先だ。そういうわけで、私はこの本を買った。嘘のような、本当の話である。