見出し画像

川島 道行とBoom Boom Satellitesを忘れない為の私的メモ

この記事は、2016年11月15日のお別れ会に参加後に書いたものを一部加筆修正、再構成したものです。Boom Boom Satellites 川島 道行という偉大な音楽家の命日に、当時感じた大切なことを思い出すために。


ここに記すのはその瞬間に思った事の個人的で感傷的な長い長いメモ。大事な事もきっと忘れてしまうので、思い出せるようにしておく。

Boom Boom Satellites に関する記憶で最初に蘇ったのは、ワーキングホリデーでオーストラリア に滞在していた頃の風景。バイト先のソーセージファクトリーに向かう駅からの道。

その頃ちょうど Exposed がリリースされ、日本から送ってもらってよく聴いた。渡豪当初は邦楽を避けていたが、滞在4ヶ月を超える頃にはどうでも良くなって邦楽も解禁していた。

そういえば歩いている時に広い空に大きな虹が見えたことあったなとか、駅のホームで待っていた帰りの電車にパスされてクレーム入れようかと思ったこととか、あの工場で働いてた人達どうしてるかなとか。

そういった記憶が、Exposed というアルバムのジャケットと共に蘇ってくる。異国の地で、労働の前にテンションを上げてくれたアルバム。

20:40頃に Studio Coast に到着、献花の列に並んでから入場までの40分間、そしてアーティスト写真やライブ写真のパネル、ギターや直筆の歌詞などの展示物を見ている間は、悲しいとかそういう感情は起きずに淡々と時が過ぎていった。単純にファンとしての興味から展示物に見入ったり、昔の写真を見て懐かしんだりした。

だが、本人を前に思っていることを伝える瞬間は、やはりそういうわけにはいかなかった。

用意された献花台の中央から、こちらを見つめる視線。

遺影を見つめながら、思っていることを伝える。
対峙した川島の強い意志を宿した目はこちらを真っ直ぐに見つめている。

俺はやりきった。
お前は?

そう言われているような強い眼差し。
最期に伝えておきたいことを
声に出さずに唱えているのに言葉に詰まる。

4列のうちの中央右列で献花したが、
1番端の列でもきっと、
強く暖かく真っ直ぐな目でこちらを見つめてくれていたに違いない。


BBSに最初に出会ったのは、京都に住んでいた大学1回生の時、四条烏丸の十字屋というCD屋の2階の窓際の視聴機で聴いた1stアルバム、Out Loud の輸入盤だった。

当時購読していた雑誌、 Music Life のインタビューを読んで気になっていた。音楽の幅が一気に拡大した大学生の頃は、What's in ES 、Crossbeat、DIG、Rock'in on といった音楽雑誌から情報を得ていたが、今はRock'in on 以外全部消えている。
自分も結婚して子供もいる。
19年も経てばそういうこともある。

初ライブは2nd のUMBRA のツアーだった。
心斎橋のBig Cat。
尖っていた当時はMCも無く、ただ演奏して、オーディエンスを圧倒して帰っていく。
それにまた痺れた。

その後シンガーとして覚醒し、
素晴らしく、そして唯一無二のカッコいい曲を生み出し、楽曲も素直に聴きやすくなっていった。
MCも増えた。
丸くなっていったのは、やっぱり病気の進行と関係あるのかもしれない。

彼らの曲には、歌には魂が込められていると思っていた。
だから刺さったし、大好きだった。
それが疑いのないことは、今ハッキリとわかる。
電子音と楽器の音が融合したダンスミュージックなどという表現を超えて進化し、道なき道を切り拓いていく孤高のロックバンド。

表立った様々な雑音に立ち向かい、
シビアな闘争の中で作品を生み出していった彼らは、
今思うと、病とも同時に戦っていたワケで、
かなりタフな道程を歩んできたことになる。
刺さらないワケがない。

病も関係していると思うが、
リリースのペースは早くなく、
だから余計に、それぞれのアルバムについて、
個人的に思い出される風景がある。

DVDにもなったフジロック。
雨のホワイトステージは、最高の瞬間のひとつ。
ずぶ濡れになりながら踊り狂い、
モッシュの中でステージに手を伸ばす。

向こう側とこちら側には大きな壁がある。
覚悟もないのに越えてはならない壁が。
自分はこちら側だ。
こちら側から今までに見たことの無い世界へ
引っ張り上げてもらう側。

自分を鼓舞する為に、目一杯落ち込む為に、再び上を向く為に、力を借りたことは一度や二度ではない。

そういったことを全て、
感謝と共に伝えられる時間があれば良かったのだが、
凝縮して簡潔に伝えるしかない。
それできっと伝わる。

好きだったミュージシャンの死を悲しみ、
絶望し、花を手向け、
いつまでも忘れられずに聴き続ける人がいる。

彼らの音楽を通過してこなかった人、
深く関わらず影響を受けなかった人には
その喪失感は全く理解できないと思う。
それでいいと思う。

自分も一切通過しなかったミュージシャンについては、
彼らの話題を聞いても何も感じないし、
完全に他人事だし、
リアルタイムじゃないから後追いでそこまで行けるとも思えない。

ある人にとってのヒーローが彼らだったというだけだ。
自分にとってそれは
アベフトシだったり川島道行だったということだ。
それでいいのだと思う。

でも、ファンからそんな風に思われる音楽家の遺したものがどんなものだったのか。これまで関係なかった人が、この瞬間だけにでも興味を持ってその音楽に接するには、良いタイミングだと思う。

その音楽家が自ら音楽を届けようと発する最後の瞬間。
昔よく聴いていたけど遠ざかっていた人が、久々に聴いて良さを再発見するのもいい。聴き直すことでささやかな追悼になる。
音楽家もそれで本望ではないだろうか。

そんなタイミングはこれからどんどん訪れるだろう。
これからも、その足跡に少し触れてみようと思う。

Boom Boom Satellites には何度も力を与えてもらった。
自分にとって最も重要なバンドのひとつ。
それはこれからも変わらないし、
ずっと聴き続けるだろう。

毎日を、1日を悔いのないように生きるなんて、
簡単にはできない。
それに加えて音楽家として最後まで闘い抜く。
とてつもないことだ。
川島道行という音楽家の、
全身全霊で音楽と対峙し、命をかけて生み出すという、壮絶な物語。
最期の作品はこの胸に深く刻みこまれた。


最後の退場時、中野が参列者を見送り、
ひとりひとりにポストカードを手渡してくれた。

二人が笑いあっている、
年頭のタワレコの企業広告の写真。
すごく純粋で良い写真だ。

退場の参列者の列は長く、スタッフに誘導されて、1人に与えられる時間はおそらくアイドルの握手会よりはるかに短い。

伝えたいことはたくさんあったが、
何をどう言っても軽くなるような気がした。
短い時間の中で、3つの短い文で思いを伝えた。
本人を目の前にすると、さすがに堪え切れずに最後には言葉に詰まったが、何とか言えた。

ほとんど泣きそうだったが、
外に出たところで照明の明るさと、
看板を写真に撮る人たちがいたのを見て冷静になった。

その夜は良い満月だった。
自分も写真を撮った。

そのまま外の階段を登り、
出てすぐにある橋を渡り始めた時に涙が流れ出てきた。
今まで何度も見てきたあの瞬間は二度と戻らないことを強く実感した。
橋を渡り終えた時が、全ての終わりの時。
涙が止まらなかった。

Studio Coast から新木場駅の間は意外と短く、そして思いのほか明るい。
ここがいつもの帰り道の、家の近くの真っ暗な川の土手だったら良かったのに。



※情報は2016年11月17日時点のものです


この記事が参加している募集

思い出の曲

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?