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正義中毒『人は、なぜ他人を許せないのか?』

 ネットの誹謗中傷問題は深刻さを極めている。ひどい書き込みを受けて傷ついている人を見て心が痛い。


 脳科学者・中野信子さんの著書の中でも触れられている話だが、数年前に世界的に流行した「アイス・バケツ・チャレンジ」という運動を思い出してほしい。前のチャレンジャーから指名されると、氷水を頭からかぶるか、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を研究するアメリカALS協会へ寄付をし(あるいは両方をし)、また次のチャレンジャーを指名する、というものだった。著名人を含めたくさんの人が参加し、盛大に氷水をかぶる様子を撮影した動画が次々と配信された。

 これは途中から、賛成派と反対派の論戦を引き起こした。賛成派が「これは有意義なチャリティーだ」と盛り上がるのに対し、反対派の意見は、「ただのパフォーマンス。売名行為だ。ALS研究の支援になどならない」というものだった。どちらも自分側に正義があり、相手側は間違っているとして、叩き合いは加熱した。

 やがて、あるALS患者本人により、この運動に対して感謝の言葉が発信された。おかげさまでたくさんの寄付が寄せられてありがたいと。やれやれ、これで決着はついた…かと思いきや、騒動は収束せず、大舌戦はまだしばらく繰り広げられたのだった。


 いつの間にか議論の目的が、結論を出すというところから相手を叩きのめすことへと変わった一例である。

 中野さんによると、人は他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出される。この快感をひとたび覚えると、また新たな攻撃対象を求め、どんどん人を許せなくなっていくという。


 こと日本となると、島国かつ災害が多いという地質的な特徴があり、それゆえ個々の自由より集団の結束が重要視されてきたという歴史的背景から、自分や自分の属する集団とは異なるものを排除しようとする力が働きやすい。同調圧力が強く、まっとうな議論が下手なのだ。

 欧米等多くの国では、他者と違った発想や新しい・オリジナルな意見を持っていることは良しとされる。反対意見を戦わせる場合も、人格は認めた上でのことであり、面白がってなされることが多い。一方、日本では同質であることの方が好まれ、奇抜な意見は、極端に言えば集団を脅かすものとして危険視されやすい。また、議論において主張と人格が分離されにくく、良い結論を出すはずが相手への人格攻撃へと発展してしまうということがしばしば起こる。


 そこへ、近年のSNSの発達が他者排斥に拍車をかける。
 利用者はほとんど、AIが自動的に選別した、自分にとって心地よい情報にばかり触れている。自分と同質な人たちの同質な意見に満たされ、それが世界だという思い込みに陥りやすく、たまに異質なものに触れると嫌悪感を感じやすくなっている。
 またSNSの匿名性が、その嫌悪の表出を至極手軽なものにする。とりわけ対象が「わかりやすい失態」をさらしてしまっている場合(たとえば有名人の不倫スキャンダルなど)、このいくら攻撃しても自分の立場が脅かされる心配のない状況では、正義を振りかざす格好の機会となる。
 たとえばスキャンダルを起こした本人のことを、当事者である相手方が既に許した場合でも、攻撃している匿名の人物はその手を緩めない。当事者同士が和解することで本意が遂げられ満足…なわけではなく、自分の正義を示すことで快感を得ることを止められなくなっているのだ。
 書き込みをした本人には、それが誹謗中傷にあたるかもという意識は、ほとんどの場合無い。「だって正しいことを書いてるだけだから。」「悪いことをしたのは相手だから。」


 私を含め皆、人には正義を振りかざしやすい脳の仕組みや文化的背景があることを知っておくべきだろう。その上で、ネットでの意見の発信には十分に気をつけたい。それらに関する教育の充実が待たれる。

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