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プライド

 プライドが高いかどうかと言えば、言うほど高くはないと思っている。諦めも早い方なので。しかし、負けず嫌いかどうかと言われれば、間違いなく負けず嫌いと認めざるを得ないだろう。少なくともイライラしてしまう。

 負けず嫌い=プライドが高いとまでは言わないが、感情としては似ているものだと思っている。

 私は作曲家に憧れてDAWを触り続けているし、何曲も作品を作って来た。少ない数ではあるが、メジャーアーティストへの楽曲提供経験もある。しかし、これは作曲家を辞めて挫折をしてからの話である。

 コンペに受からず作曲家としてやっていくのは無理だと挫折をして、広告代理店の営業マンに転職をしたことがあり、その頃はもう作曲は趣味でいいやと思いながらも音楽制作だけは続けていた。

 しかし、そういう辞め方をした人って結構キッパリ諦めついている人と、未練がずっと残りながら生きている人の2択になりがちで、どっちでもないって人は思ったよりも少ない。そして私は言うまでもなく後者の側の人間だった。

 私が作曲家になれなかった一方、音楽を仕事にする事が出来た人に対して素直におめでとうという気持ちが湧く事はなく、何でこいつが音楽の仕事に就けるんだよっていう気持ちが強かった。そんな気持ちがあるから作曲家になれなかったんだよとか言われそうだが、挫折する側の気持ちってそんなものだと思う。

 この世界にはどうしても努力では埋められない、才能以外の要素があって、それは相性や需要が絡むと、才能を活かせる環境が既にレッドオーシャンでしたという話は音楽業界だけではなく、色々な業種でこれから寧ろ増えていくものだと思っている。

 とはいえ、完全に作曲が趣味となり、当時の先輩が周りの人と集まってレーベルを趣味で作るような事をしており、自分でもそれをやってみたいと思うようになっていた。

 そんな時に、今の事務所の社長に拾われて、再び作曲家の道へ進むことになる。というより、ここで小さな案件だけど音楽の仕事をやるようになって、挫折した頃よりも音楽家としての経験値を積むことが出来ていた。何だかんだ運はあったのかもしれない。

 否、はっきり書こう。自分以外の誰かが。それも昔から音楽に触れ続けた訳でもない人が音楽の仕事をやっていて、昔から音楽をやっていた自分が音楽を仕事に就けていない状況というのがどうしても耐えられなかった。どんな状況であれ、仕事に出来るだけの実力をその人は付けていたというにも関わらずだ。

 この歳になって思う事は、スッパリ音楽を辞めることが出来なかった人は、恐らく私と同じように結局当時思い描いていた形とは違ったとしても、音楽家の道に戻っていると思う。全然人気のないバンドマンだとしても、作曲を仕事に出来ないミキシングエンジニアだとしても。そして、他の仕事を掛け持ちながらでも音楽の仕事を守り続けている人も。

 そしてここで思う事は、音楽一本でやっていようが、他の仕事を掛け持ちしていようが、何らかの音楽の仕事で収入を作る事に成功している時点で、叶い方は別としても、夢そのものは叶っていると言って良いだろう。

 作曲家を目指した当時の私が今の状況を見て到底納得出来る人生とは言えないが、メジャーアーティストに楽曲提供をする事は出来たし、尊敬する作曲家とも仕事が出来たし(のちに覚せい剤で逮捕されてしまい、今は会えなくなりましたが)、ミキシングの仕事は定期的に指名を貰えているし、音楽の仕事を諦めた人たちに比べたら、だいぶ贅沢な夢の叶い方をしている。

 事実、今月は既に7万の音楽収入が入っていて、他の仕事を掛け持ちながらも、音楽に専念する事が出来るギャラが入るようになった事はかなり大きいと思う。やっぱ10万が見えるとやる気も全然変わってくる。時々10万以上の売り上げを作る事が出来る一方、0円の月だって全然あるので、まだまだ音楽の仕事を安定化させられているとはいいがたい。

 それでも慣れないオケ制作、専門時代の同期から仕事の依頼が控えている事を考えたら、やはり他の仕事を掛け持ってでも、例えフリーランスから再びバイトを掛け持ちに選んだとしても、収入を作る事に成功している仕事を手放す事は、今音楽をやっている人にも、挫折した人にも、そして依頼を今でも続けてくれている方々に失礼だと思う。

 私を頼ってくれる依頼者のオーダーに答え続けるぐらいのプライドは持たなければならない。勿論これから仕事をくれる方々や、未来の依頼主の為にも。

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