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改悪

 令和の時代。ほとんどの人は耳にしたことのある「時代に合わせたアップデート」とかいう言葉。私はこの言葉が心底嫌いである。そもそも令和の空気がことごとく嫌いである。

 正直平成後期ぐらいからコンプラハラスメントが横行していたものの、ここまで酷くはなかったんじゃないかなと思っている。それも長く続いたコロナで心が腐りきってしまったんだと思う。面と向かって「お前、腐ってるよ?」とは流石に言わないし、そういう人はフリーランスになってから極力会わないようにしているので私はまだ時代の圧力を感じなくて済んでいる。

 しかし問題はネットの世界である。否、ネット以外でも原則日本人の性格がゲロが出るぐらいに嫌いなので、そもそも私と合う人に出会う事が難しい。というより私に合わせる難易度は、結婚以上に難しいと自負している。そんな人だから実社会の世界でも、ネットの世界でも基本気に入らない人との遭遇率が高い。特にゲーム関係で出会う人にはロクな奴と出会ったことがない。ゲームの民の事を書きだすと悪口そのままになってしまうのでまたの機会に書くとして、価値観が本当に合わなくてイライラしてしまう。

 ネットの世界でよく耳にする「時代に合わせたアップデート」とやらを気に入っている層とは一生分かりあう事は出来ないと思う。何せ私は音楽でコンプラハラスメントを否定する曲を作っているし、それが私の「アーティスト」としてのコンセプトなので、令和のコンプラハラスメントの横行した世界を愛する人とは一生分かりあうつもりはない。

 何が気に入らないのかというと、その「時代に合わせたアップデート」=「正しい」みたいな風潮が気に入らない。寧ろ私の中ではそのアップデートとやらは改善よりも改悪の方が多いし、改悪を示す言葉とすら認識している。流石にこれは穿った捉え方である事は認めるが、言いたいことはアップデートの内容が必ずしも改善ではなく改悪もアップデート内容には含まれる事を都合よく忘れてんじゃねえよ?って話だ。

 そして誇らしげに「時代に合わせたアップデート」とか言っている奴は、ほぼ例外なくアップデートによって改悪されている人だ。これは本当に申し訳ないのだが、アップデートバカにちゃんとした価値観を持っている人に誰一人として出会ったことがない。少なくとも私の37年間の人生の中では誰一人としてアップデートの内容で「改善」された人は出会っていない。

 その時代にあてられたパッチ。不具合だらけだよ?だからギスギスしてんだよ?どいつもこいつも。

 と、遂にこのエッセイでもざらついた事を書いてしまったのだが、私も気が付かないうちにwindowsのアップデートみたいに勝手にアップデートをされてしまったのかもしれない。それでも私の納得の行くアップデート内容で正しく改善をしたい。

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