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お茶会

 去年の3月に専門学生時代の同期とお茶をしてから1年。またお茶に行く約束をした。その人と会うのは12年ぶりで、東日本大震災以降会う事が無かった。東北の人ではないので震災が理由で会えなくなった訳ではない。だが、震災の影響はそれなりに受けたエリアではあったので、自分の事で精いっぱいな状況にはなっていた。

 それから特に連絡を取り合う事もなく12年の歳月が流れ、当時留学してきていた方が日本に来るとの事で、同窓会に誘われたのである。結果としてその同窓会には顔を出すことはなかったのだが、同窓会の前に気まぐれで誘ってくれた方とお茶に行ったのである。

 その方は今でも音楽一つで生活をしているものの、結構それだけで生活をするのは厳しいらしい。収入面の話ではなく、音楽でしか生きていけない状況に不安を感じているらしい。私からすると音楽だけで生活が出来るなんて羨ましいと思う限りではるのだが、無いものねだりなのかもしれない。私は音楽だけで生活をすることが残念ながら出来てはない。しかし、出来る仕事の種類はそれなりにある。沢山の仕事が出来る訳ではないが、何かの仕事が潰れても他の仕事で収入ゼロという状況を避ける事が出来るようにはなっている。

 お互い何だかんだフリーランスで活動をしているのだが、数少ないフリーランス仲間と1年ぶりにまたお茶をする事になった。

 この歳になると誘える友達は少ないし、フットワークもだいぶ重たくなってしまった。寂しさを感じる場面もかなり増えているし、夜のティータイムはそんな私の気持ちを静める為に必要な時間になっている。暖かくなったらテラスカフェで夜のティータイムをしたい。

 しかし、よくよく考えてみると、今年に入ってから何だかんだお茶友とのティータイムは割と行っている。最低でも年明けに職場の同僚であった20歳の男の子とティータイム。2月はまた元職場の同僚であった40代の女性の方とティータイム。そして、3月は専門時代の女性の方とティータイム。ちなみに去年の暮にはまたまた職場の同僚であった30代男性とのティータイム。

 こうして並べてみると、社会人として考えたら十分に誰かとお茶をしているのである。しかもそれなりの人数と会っている事に気が付く。ここに書いていない人も勿論一緒にお茶へ行くこともあるので、無いものねだりもいいとこである。

 それでも本当に一番会いたい人とはここ数年会う事が出来ていない。何となく誘う気になれないというか、フットワークが思ったよりも重たい。今はまあ、3月に約束が既にある事と、その場所が若干遠い事、何よりそのカフェはぶっちゃけ高いので予算をあまり使う事が出来ない。だから3月は割と大人しくしていたい。確定申告も控えているからね。

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