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坐禅初心者の私が禅道場のイベントで学んだこと

シングルワーママ、いっしーです。

禅道場では定期的に行事があります。
禅とか坐禅に興味があって参加を希望する人も
気軽に参加できます。

私もこの行事(イベント)に参加させていただきました。

1 禅道場の行事について

摂心会といって
正規の会員さんのために行われている
禅道場の修行行事です。

これは一般の人も気軽に参加することができます。
主な活動は、坐禅、参禅(これは会員だけ)、作務(庭の掃除とかの作業)、食事、勉強会、お茶会などです。本来は宿泊(合宿みたいな感じ)して参加しますが、宿泊しなくてもいいし、活動もできるところだけ自分の時間の都合で参加できます。

かなり自由です。
料金は格安、全部参加しても数千円です。

2 初めて摂心会に参加してみた

初めてなのでまずは坐禅、作務、昼食、の半日に参加しました。
緊張しましたが、全く平気でした。

何回か週末の坐禅会でお世話になっている方がいたので
顔見知りの方もいたので安心でした。
とても丁寧に案内してくださいました。

作務とは作務衣の作務です。
単なる労働ではなくて、「動的な瞑想」です。

どういうことかといいますと
坐禅は「静的な瞑想」です。
黙って座って行う瞑想法です。

作務は「動的な瞑想」です。
あれこれ考えずに、いい悪いを判断せずに
今やっている作業に集中すること。
作務中は基本的にしゃべらずに自分の作業に集中します。
動きながら瞑想していることになります。

私は裏庭のどんぐり拾いをしました。

3 食事、食べることで学んだこと

私はこのイベントでの体験で非常に印象に残ったことがあります。
それは昼食の場面でした。

食事の流れは、お御堂に全員集合して座り高くなったお盆?(よく時代劇に出てくるやつ)の前に1人ずつ座ります。

食事担当は決まっているみたいで、その担当者さんたちは
調理と、みんなが食べるときは自分たちは食べないで
配膳を行っていました。

献立は、うどん(肉野菜入り)、サラダ、漬物でした。
すごくおいしかったです。
担当の方々、お料理上手でした。

で、食べ方に作法があるんです。

食べ方の作法

1 しゃべらない、食べることに集中
2 漬物を1枚残しておく(たくあんがいい)
3 食べ終わったら、そのたくあんで食器を拭う
そして、たくあんを最後に食べる
4 サラダのお椀にお茶を入れてもらって飲む

です。
しゃべらない、というのは予想できていましたが
思ってた以上にみなさん食べるのが早かったです。

途中で、「ゆっくり味わっている時間はない」ことに
気づきました。このままでは私が食べるのが遅くて
みなさんを待たせることになる!まずい!
ということに途中で気づきました。

慌てて食べるペースを上げました。

味わうというより
食べることに集中することの方が重要なんだ、と思いました。

参加者は男性の方が多かったので、女性で初めて参加の私には
食べるペースが早く感じたのかもしれません。慣れだと思います。

次に重要な作法が
たくあんを1枚残して、それをゴムべらのように使って
食器をきれいに拭うというものです。

要は何も残さない、きれいに始末するということです。

初めてだったので、要領が分かりませんでした。
その時のサラダは野菜のマヨネーズ和えでした。
マヨネーズ和えなので、最後に少しマヨネーズソースが
器の中に残りました。

これはどうしたものかな、と思いましたが
そのままにしていたら
そこに、お茶が注がれました。

マヨネーズ味のお茶になってしまい
飲むのが辛かったです。

で、お隣に座っていた方に
マヨネーズ味がしてちょっと気持ち悪かった、と
正直な感想を言ったところ

穏やかに、にこやかにこう言われました。

「小さくても大きくても、少し形が変わっても同じものだからね」

その一言に私はハッとしたんです。
「みんな同じもの」

そうですよね。野菜の切れ端だろうが
マヨネーズの汁だろうが
同じ野菜、同じマヨネーズなんだ、と。

当たり前のことなのかもしれませんが
私はそれまで、そういう考え方をしたことはありませんでした。

パラダイムシフトが起きたんです。

4 私のパラダイムシフト

「もったいない」ってよく言います。
私も頻繁にこの言葉を使ってました。

「もったいないから」食べ物を残さない。
そう思って食べ物は極力残さないで生活してきました。

この「もったいないから」が「同じものだから」

にシフトしたんです。

「もったいない」から
食べ物とか、物を大切にする、という考え方かと思います。

一方「同じもの」だからという考え方には
その物に対する愛情を感じました。

もったいないからと
同じものだから
微妙に違うと思います。

もし、自分がお釜の底に残った一粒のご飯粒だったとしたら、
「もったいないから」食べてもらうのと
「他のご飯粒と同じだから」食べてもらうのとでは
どちらがいいか?

私は、後者です。
後者の方が自分の存在価値を認められていると感じます。

私にとっては劇的なパラダイムシフトでした。

5 その後の自分の変化

「もったいない」からじゃなく「同じもの」だから
という考え方をするようになって

食べ物だけではなく、そのほかの物に対しても
愛情から大切にする気持ちをもつようになったと思います。

家庭でも我が子にも言ってます。

これまでの「もったいないから残しちゃダメだよ」ではなく
「同じ物だから残しちゃダメだよ」

そうです、おかまにご飯が一粒残っていたら
もったいないからじゃなくて

その一粒のご飯も、一膳のご飯も同じもの、だから
残さないんです。

愛情をもとに大切にする気持ち、私の腑に落ちた出来事でした。

↓ 参考まで、人間禅のリンクです。


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