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衝撃的な物の渡され方を経験し、日本人の素晴らしさを再認識した話

シングルワーママ、いっしーです。

今でも忘れられない物の渡され方をしました。
悪い意味で印象的でして、折に触れ私の脳裏に
蘇ってきます。

それは歯医者さんの受付でのことでした。

診察が終わって診察券を返してもらうときに
受付の人が、それを人差し指と中指、
の2本の指で挟んで診察券を渡してきたんです。

ジャンケンのチョキの指の形で、そのチョキの2本指を平行にしてカードを挟んで、残りの3本の指は軽く曲げている手の形です。
たったこれだけですが、非常に衝撃を受けました。

渡してくる最中、その受付の方の視線の方向は私の方は向いてませんでした。

この動作は、私に喧嘩売ってる、というか
私のことを蔑んでるというボディーランゲージに
思えました。

そのボディランゲージを言葉に訳すと
「平民、下々のもの、のあなたを自分の視界に入れたくない、
カードを渡すときに万が一指が触れてしまったらイヤだわ」
と私は瞬間にそう訳しました。

大袈裟かもしれませんがそんな印象です。

人差し指と中指2本で挟んでカードを持つ、という動作は
もしかしたら、私の場合、
カードゲームのトランプで、
「七並べ」の時に、カードを置く位置が自分から遠いところにあって
やむなく2本の指でトランプカード挟んで所定の位置に置く、
ということはあったかもしれません。
そういうやり方を絶対にしていないとは
言い切れません。

でも、これまで
このような渡し方を人にしとことはないし、
この指の形で渡されたのも私の何十年の人生ではなかったことでした。

これは今ではこの日本においても
そんなに珍しくはない動作なのでしょうか?

もしかしたら、これでびっくりしてる私の方が
世間が狭いのかもしれません。

または、外国ではこういう渡し方は割と普通なのでしょうか?
こういう感覚は日本人だけかもしれません。

例えば、映画「プラダを着た悪魔」の一場面を思い出します。
この映画自体は私が大好きな映画の一つです。

主人公のアニーが圧倒的権威を持つ上司のメリンダに書類を渡す場面です。

確か、その晩の重要なディナーの座席表を見せて、と言われ、渡す場面です。アニーは片手でその書類を持ってメリンダに渡していました。
早く書類を渡して、早く早く!という場面でしたから
そうなったのかもしれませんがとても自然でした。

日本人の心の中に、単に「渡す」ではなくて「お渡しする」をいう気持ちがあるのだと思います。
でも、「お渡しする」より「渡す」方が所要時間としてみれば
0.1秒くらいは早くて能率的ともいえるかもしれません。

よくよく考えてみると、このような動作は日本人の間ではないかなと思います。おそらく両手で持って、上司に渡すでしょう。

日本人の心の中に、単に「渡す」ではなくて「お渡しする」

これも言霊の一種ではないかと思います。

「お渡しする」という言葉が両者になければ、片手で渡しても
全然失礼ではないでしょう、そもそもそういう概念がありません。
ただ渡せばいい。

どちらがいい悪い、ではないです。

2つを比較して、相対的に評価するのではなく、

日本人の心にあるそういう繊細さ、相手を思いやる気持ち、が
非常に素晴らしいと思います。

私は日本人として、こういう感覚を失いたくはありません。

日本人の方々にも、こういう感覚をなくしてほしくありません。

口うるさいおばさんだなー、と感じさせてしまったとしたら
ごめんなさいね。

なので、口で言うのではなくて
意識して自分が「お渡しする」という動作を
率先して行なっていこうと改めて感じた次第であります。



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