見出し画像

エジプトを忘れて

 モーゼのことを考える。ファラオの王女の養子で、エジプトの王子だったモーゼを。

 特異な育ちかただった。モーゼは実の母親を、みずからの乳母として宮殿で育った。母のヨカベットは彼に言い聞かせたに違いない、

 「あなたは特別な子どもなのです。あなたはいつの日か、わたしたちをこのエジプトの圧政から救いだすひとになるのです。そのためにナイル川から救いだされ、いまあなたはこの宮殿で暮らしているのです」

 きっとモーゼは王家での暮らしを享受しながらも、自らが異質であることをいつも肌に感じていたに違いない。ぼくはみんなと違う。ぼくはエジプト人じゃないんだ。

 それでもモーゼは、王家の一員として、エジプトで最高の暮らしをし、最高の教育を受けた。なんのために、と彼はじぶんに問うたに違いない。ぼくの兄弟や家族は、いまも奴隷として煉瓦造りをさせられている。貧しく、休む暇もない。なんのためにぼくは。

 モーゼは面の皮の厚いひとではなかった。自分が良ければ、とは思えなかった。だから宮殿にいて苦しんだ。そして母の言葉を思い出した。ぼくがこの宮殿にいる理由、それは同胞を苦しみから救うためなのかもしれない、と。

 いつの日か、ぼくのこの特異な生い立ちのすべてが生かされる日が来るのだ。そのためにモーゼは、エジプトから得られるものをすべて得ようとした。エジプトの最高学府で、その軍略のすべてを。いかにして兵を率いるか、いかにして戦うか。すべてはいつの日か、エジプトを相手に戦うため。

 けれどそのすべては潰えてしまった。四十歳にして、モーゼが討ち取ったエジプト人はただひとりだけ。同胞はみな彼に背を向けた。エジプトの方法で、エジプトに立ち向かおうとしたモーゼは、夢破れて荒野へと立ち去った。

 それからまた四十年が過ぎた。負け犬の一生だった。自らの資産など何もない。ただ義父から与えられた仕事をこなすだけ。宮殿での暮らしもすべて胡蝶の夢のようだった。王子であったことなど忘れた。ただのお爺さん、どこにでもいるような、ただの貧しい爺さん。

 エジプトでの誇りは、いつしかモーゼの念頭にも上らなくなっていた。気概も、野心も。将軍と呼ばれていたことなど、もはや笑い話だ。羊を追うのが精一杯のこの爺さんに! 遠くとおくの夢でしかない。戦車の活用法も軍事学も地政学も、すべて忘れた。この荒野で生きていくのに必要なのは、そんなことではなかった。 

 ついにエジプトのやり方を忘れ去ったとき、神はモーゼを山に呼ばれた。柴の木を包む炎のなかで、神はモーゼに出会われた。

 空っぽのモーゼ、八十歳のモーゼ。王家の一員だった面影のどこにも見当たらないモーゼ。博士号も、勲章も、すべて遠くの砂のなかに置き去って久しいモーゼ。

 ついに神は、そんなモーゼに言われた。

 「行け、わが民をエジプトから、自由へと連れ出せ」と。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?