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56. バンクシーとジャーナリズムと傘ネズミ


 バンクシーという素性を隠して活動する覆面アーティストがいます。

イギリスを拠点に活動するグラフィティアーティストで、街の壁などにスプレー等で絵を描くスタイルが有名です。最近では東京の日の出駅でも”それらしき”作品が見つかり、それを東京都が保護して一般公開をするということもありました。

 作風は風刺的で社会、政治や文化などの諸問題をテーマに、問題意識や議論を喚起するような作品を簡潔で分かり易い文字と視覚表現を用い、イギリス国内に留まらず世界各国で製作しています。
 公共や私有の建造物などを無断に使うグラフィティ表現の性格上基本的に無許可で行われ、あるとき彼に子供が送った手紙への返信の中で ”it's always easier to get forgiveness than permission / いつだって許可を得るよりも許しを得る方が簡単なものだよ。” と書いているようにその活動の大半は違法で行われています。
 
 インターネットで検索すれば作品は簡単に見ることができますが、その作品たちはイギリスのEU離脱、パレスチナ問題、資本主義、ジャーナリズム、アート市場、環境問題、監視社会、警察や行政権力などの具体的で多種多様な現代社会の問題をユーモアと共に言葉に多くを依存しないシンプルな視覚表現で扱っています。それは誰にでも分かり易い視覚表現のため、社会の識字率や特定の言語圏や文化圏を超えて社会の様々な立場の人々にその社会の問題を提起します。しかし基本的にその問題に関してなんらかの断定的な主張や明確な答えは提示せず、あくまで問題意識の喚起に力点が置かれていることもその特徴と言えます。
 
 そのようなバンクシー作品の特徴を考えて見るとそれはジャーナリズム的というより、これこそ現代ジャーナリズムのあるべき形の一つではないだろうかと思えてきます。
 現代のようなグローバル社会では、社会の範囲は国家の範囲も特定の言語圏も超えて世界中に広がっています。またそのような空間的な広さだけではなく、グローバル資本主義による世界的な格差の増大は、格差の階級の違いによる情報や教育の不均衡も押し広げつつあります。これまでのような一定以上の教育水準や言語に依存した形でのジャーナリズムは国家の中に社会がある時代は機能しても、社会が国家よりも大きくなった現代では最適な形ではないかもしれません。

 ジャーナリズムを人々が民主的な社会を営むために必要な、あらゆる人々への情報や問題意識の共有、また権力批判などを担うものだとすれば、バンクシーのやっていることこそが現代ジャーナリズムそのものではないだろうかとも思えます。逆に一般的にジャーナリズムと言われるような大手新聞やテレビは、これまでの歴史から経験と知的財産を有する一方、習慣(人間関係や既得権益)と資本(スポンサーや株主)に絡まって自由に身動きをとれず、社会に必要なジャーナリズムを十分に提供できていないようにも思えます。

 しかしもちろんジャーナリズムにも段階があり、最初は社会が問題意識を共有する段階、次に社会が問題意識を共有したあとの段階、次にその問題がなんらかの結論を迎えたあとの段階。各段階にはそれぞれ意識喚起、情報精査、記録等必要とされる役割があるため、その全てにバンクシーの手法が有効なわけではありません。しかし最初の段階である、社会に共有されるべき問題が十分に周知されてない段階の問題意識の喚起に関しては、バンクシーは他のジャーナリズムの手法では出来ない規模の有効性を持っているといえます。

 そのようなジャーナリズムとしてのバンクシー作品という視点で見ると、冒頭で触れました東京都日の出駅で見つかったネズミの作品も本物である可能性が非常に高い気がしてきます。
 
 あの作品はネズミの絵の部分だけが写真で切り取られて拡散したり、東京都が保護した壁だけを見てもその意味は不可解ですが、本来どのような場所に描かれた作品かを見れば、その意味するところは非常に明瞭に思えます。大きく赤字で”通・行・止”と書かれた金属の壁の下に傘を差して雨をしのぎながら、旅行鞄を地面に置いて佇んでいるネズミは、それの描かれた日の出駅から南にわずか数キロの所にある東京出入国在留管理局に対するものであり、その意味する所は世界でも批判の多い日本の入国管理制度である可能性は非常に高いように思われます。
 しかしこの作品においてもそのネズミの表情は喜びも悲しみも表してはおらず、作品はこの問題に対して批判的でも肯定的でもなく、あくまで問題提起に徹していると言えます。

 いずれ時が経てば、この作品によってこれまで日本の入国管理制度の実態を知らなかった多くの一般の日本人がそれを知ることになるかもしれません。一般的なメディアが正攻法でこの問題を取り上げても一部の社会的意識の高い人たちだけに届くだけですが、著名なアーティストが作品として題材に取り上げる形をとれば、それは既存のジャーナリズムでは出来ない規模と種類の問題提起になる可能性が高いと言えます。

 現状はこの作品が何を風刺しているかに関して、これほど作品が話題になったあとでも日本の社会で一般的に統一された見解は無いように見受けられます。それはこの作品の一部が切り取られて本来の場所ではない所で展示されたことが主な理由かもしれません。

 ですがちょっとでも興味を持ってネットを検索すれば元の作品の画像は簡単に見つかります。それを見ればその意図はかなり明確なように思えますが、それが一般的な理解ではないということは知っていてあえて無視しているか、もし本当に知らないのならば日本でアートに興味を持つ人たちの多くが社会問題に対してはあまり興味がなく、世界が日本をどう見て考えているかの視点に疎い人たちが少し多いのかもしれません。

これまでにもバンクシーは世界の難民問題を何度も扱ってきておりそれは間違いなく彼の興味の対象です。バンクシーは社会を見てそれを扱うアーティストです。バンクシー作品に興味のある人は社会や世界を知るときっともっとその作品を楽しめると思います。

 ですがもちろんこれは単なる深読みでしかないかもしれませんし、そもそもあのネズミはバンクシーの作品ですらないかもしれません。
 ですが一つ言えることは、東京都が大々的に宣伝して多くの人々の目に触れた今となっては、バンクシーのたった一つのツイートやe-mailで、日本の入国管理問題に関するこれまでのどのようなジャーナリストもできなかったような規模の日本社会への問題提起がバンクシーには可能であるという事です。その事だけを考えてもバンクシー作品はたんなるジャーナリズム”的”程度では収まらない、現代社会において非常に有効なジャーナリズム性を持っているとは言えるように思えます。

2020/3/4th

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